会社の外に出ると、先程朱里が話していた制服を着た男の子が、出入り口から少し離れた場所の壁際に立っていた。

片手をポケットに入れ、下を向きながらスマートフォンに夢中になっているようだった。

 葉月は彼に幾らか視線を向けた後、帰り道の方向に歩いた。

 高校生くらいだろうか。一体、誰を待っているのだろう。

彼のことが少しだけ気になりつつも、葉月が歩みを止めることはなかった。

 夕飯はどこで食べるか、葉月の考えていることはそれだけだった。外で食べるか家で食べるか、決まるまでそれが頭の中でループしていた。

昨日は外で食べたから今日は家かな、なんてことを考えながらしばらく歩いていると、誰かに後をつけられているような気配がした。

 こう言う時に限って周りに人はおらず、怖くて後ろを振り向くことができなかった。

 後ろの人を遠ざけるために、葉月は歩くスピードを速くした。すると、後ろの人も同じペースで歩き出したことが歩く音でわかった。

(怖いな。こんなこと初めてだから、どうしたらいいのかわからない。とりあえず誰かに連絡しようか)

 葉月がスマートフォンを取り出すと、運の悪いことにスマートフォンは充電が切れていた。

(うわ、嘘でしょ? これじゃ誰にも助けを呼べない)

一瞬、葉月は絶望に駆られたが、何か他に解決策はないかと考えながら、後ろの人に追いつかれないようさらに歩くスピードを上げ、ついには走った。

走っている最中、路地裏を見つけた葉月は、飛び込んで隠れようか迷った。

(ここで路地裏に入って隠れても、もしかしたら見つかるかもしれないし、大声を出しながら走る? いやちょっとそれは)

 混乱しながら思考を巡らせた葉月だったが、何もいい方法は思い付かなかった。

(ああ、もうわからない。やっぱりこのまま走ろう)

 駅までの道を後ろの人から遠ざかるように、葉月は全力で走った。

(人がいる駅前まであと数分。走れば何とかなりそうだ)

 段々と息が荒くなってくる。苦しくなって、スピードを緩めたくなるが、後ろの人が怖くて一切スピードを緩めずに走った。

(こんなに必死で走ってるのに、まだついて来てる。でも駅前までもう少しだ)

 自分を励ましながら走っていると、「あの」と、突然後ろから声がした。

 驚きながら後ろを振り向くと、先程会社の出入り口付近に立っていたはずの彼がいた。

彼は息せき切りながら膝に両手をつき下を向いた。

 後ろの人の正体が彼だとわかると、危害を加えられることはないであろうと思い、葉月は足を止めた。

 しばらくお互い大粒の汗をかきながら、息せき切り続けた。

この状態は一体何だろう。想像していた不審者とは違って、ひとまず安心だが、彼はなぜ自分を追いかけて来たのだろう。

 葉月の頭にはひたすら疑問が浮かんだ。

 彼は息苦しそうにしていたが、真剣に葉月の顔を見ている。

「何?」

「足速いですね。昔、運動部に入ってました?」

 質問とは関係のないことを言われ、少し苛立ちを感じながら、葉月は「入ってないけど。て言うか、私に話があるなら、何ですぐに話しかけてくれなかったの?」と言った。

「すみません。普通に話しかけようとしたんですけど、タイミングが掴めなくて、すぐに話しかけられませんでした」そう言うと、彼は鞄からタオルを取り出して汗を拭き始めた。

「私に何か用があるの?」

 こんなに追いかけられたのだから、間違いなく何か重要なことがあるはずだ。

 落とし物を届けに来てくれたとか、はたまた思い出せないだけで本当は知り合いだったとか。

彼が話しかけてきた理由が気になり、葉月は頭の中で色々な想像を巡らせながら、彼の答えを待った。

先程汗を拭いたタオルを鞄に入れた後、彼は「はい、あの、単刀直入に言います、俺と友達になって下さい」と言って、お辞儀をしながら握手を求めてきた。

「え? 友達?」

 彼の想定外の発言に葉月は拍子抜けした。

自分は特別美女でもないし、有名人でもない。

それなのになぜ?

「ごめんなさい」

「どうしてですか?」

 咄嗟に断った葉月を彼は真剣な顔で見た。

その時、彼の顔をよく見ると、くっきりした二重で黒目が大きく、濃くて長いまつ毛が上を向き、肌が白くてお餅のように柔らかそうだと言うことがわかった。

葉月はそんな彼の綺麗な顔に終始見惚れた。

その綺麗な顔を見てから、今までの葉月のペースが崩れ、彼のペースに乗せられかけ始めた。

「どうしてって言われても━━あなた、高校生ですよね?」

「はい」

「じゃあ歳も離れてるし、世間体もよくないと思うし」

「今の時代、歳を気にするなんて古いですよ」

 彼は全く食い下がろうとしない。それどころか、詰め寄られている。

葉月はその綺麗な顔を前に後退りをした。

「そうは言っても━━だから、その、て言うか何で私なの? 私たちって今日出会ったばかりだよね?」

「そんなの関係ないですよ」

 できるだけ彼を傷つけないように話したのだが、それが逆効果だった。

動揺する葉月に対し、彼はあくまで冷静な態度だ。

 新手のナンパか何かだろうか。会社の前で待ち伏せして、好みの女がいたらナンパしてやろうとか、きっとそう言う魂胆だな。

友達になってほしいと言う口実を作って、自分とそう言う関係になりたいのかもしれない。

顔がイケメンだから、恥じらいもなくナンパができるんだろうな。そして、彼の策略に騙される女もいるんだろう。

 そう判断した葉月は、彼の前から立ち去ることに決めた。

「それじゃ、私急いでるから」

葉月はそれだけ伝えると、急いでその場から走り去った。

「あ、ちょっと」

 彼が後ろから呼びかけて来たが、お構いなしに駅まで走った。

さっきみたいに追いかけて来る様子はない。それを見て葉月は少し安心した。

 自分は絶対に騙されない。

 そもそも高校生だし、そんなの一歩間違えたら犯罪にも繋がりかねない。

 もしかして自分は年下に好かれるタイプなんだろうか。決して自惚れているわけじゃないけど、自分なんかのどこかよくて声をかけて来たのか本当に謎だ。

 先程の出来事が衝撃的すぎて、葉月はしばらく彼のことで頭がいっぱいになった。

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