それから、
ふぅ、と息をゆっくり吐き出して
話しはじめた。
『とは言っても…
話すことはあまりないんだ。
なんせ、覚えていない。
記憶喪失。
医者はそういった。
じきに思い出すこともある、
そのまま思い出さないこともある。
俺は、考えた。
何を思い出す?
自分の名前?
親との思い出?
子供の頃の記憶?
妻だという女と愛を
どうやって育んで、
どれだけの時を重ねてきたか?』
一度は愛した……いや、
事故以前には
恐らく愛し合っていたであろう
女性を"女"と呼ぶ彼に
違和感を感じた。
どこか遠くを見つめて黙り込む。
その顔は、
悲しみと言うより
「……怖いんですか?」
何かに怯えている。
『…………ハハ、
笑えるだろう。
その女がね。
みんなが病室から帰ったあとに
さっきまで
わんわんと泣いていたその顔で、
その声で、聞いてくるんだ。
"あなた、本当に何も覚えてないの?"
ってね。
その目に涙はすっかりなくて、
俺を睨んでいた。
そりゃ、
旦那が妻を覚えてないんだ。
悲しくて苦しくて、
どうしようもなくて、
怒りをぶつけてる、
そう思った。
………はじめは…ね。』
愛する人が、
自分の事を忘れてしまうなんて…
想像もしたくないよ。
大好きな人、
愛する人、
愛をあげたい、
もらいたい、
笑って、泣いて、
手をつないで、喧嘩もして、
二人の思い出。
大切な想い出。
永遠なんてない。
だけど
例え別れてしまうことになっても、
想い出だけは、
淡く色褪せたとしても
永遠に心の中に
残り続けるのに。
