「へー!魚屋さんだったのに、いつの間にか悪の巣窟になっちゃってるなんて!
3流ドラマより酷い話ですね!酷いっていうか…今時それ?ってダサい!」
「全く…古き良き老舗の良さもわからないとは…せがれとして恥ずかしくないのですかね。まあ、こうなってくると、場合によっては犯罪者なので、親御さんもそんな息子とは縁を切って正解かも知れませんけど。」
な、中田さんと真崎先生まで……いらっしゃる…。
「ここでの会話はすべて録音させてもらっています。あなた達の出方次第では然るべき機関に通報がいくように、遠隔操作してもらっていますので、抵抗されない方が身のためかと。
なんせ、遠隔操作しているのは、世界をまたにかけているSEですし…田宮凪斗を敵に回す訳ですからね。"然るべき機関"は世界規模ですが、そのお覚悟はありますか?」
俯き加減にそう言った真崎先生の、銀縁メガネのフレームがキラリと光った。
「こっわ!真崎先生!怖いですって!まあ…でも。抵抗しないのは賛成かな。どっちにしても、敵わないと思いますよ、田宮さんにも真崎先生にも。この人達、相当強いですから。」
「いや、お前もだろ、中田。ジークンドーとカリシラット師範て。」
「え?だって、ブルースリーとか、カッコ良すぎません?
後ほら、俳優さんで格闘技の師範やら黒帯やらたくさん持っている方いるじゃないですか!かっこいいなあって思って。だから、俺も出来るようになりたい!ってやってみたら師範になれました!田宮さんや真崎先生といると、護身術は必須ですからねー。」
ジークンドーはあの有名なブルースリーが編み出した格闘技で…カリシラットは確かカリって棒を使って行う格闘技で…そこから派生してナイフの扱いなんかができるようになるような話を聞いたことがあるけれど…。
その師範ということは、中田さん、とてもお強いのでは。
無知すぎて凄さがわからないけれど、そんな中田さんが「強い」と言っている田宮さんと真崎先生も相当強いということ…なのかな。
クフフと不敵に笑う中田さんに少し眉を下げた田宮さんが、体を壁から起こす。
そのまま真っ直ぐとなんの躊躇いもなく私達の所まで歩いてくると、「く、来るなよ…」と武利が少し気後れし身を引いた。
私の手首をそれでも離さなかった武利を田宮さんがその目に捉え、武利の腕を掴む。
「…離せよ。今なら多少は許すから。」
「…っ!」
武利の顔が歪む。
それでも離そうとしない武利の腕を更に強い力で握ったのだと思う。武利の手の力が緩み、手首が解放された。次の瞬間、田宮さんが私と武利の間に体を入れ、私をその背中に隠した。
「…残念だったね、武利君。君の頭の良さはもっと違う方向に使うべきだった。」
田宮さんの言い草に、武利は自分の腕を押さえながら、キッと睨みつける。
「んだよ!お前が出てこなきゃ全部うまくいったのに!」
「犯罪まがいのことが上手くいって何になるんだよ。
美花の幼馴染なのに何故そんな考えになったのか理解に苦しむよ。
ただ、俺は君に全く興味もないからここに長居は無用だ。美花、帰ろう。」
くるりと武利に背中を向けたその瞬間、武利が「この野郎!」と拳を田宮さんに向かって振り下ろす。
けれど、それが届くよりも早く田宮さんの長い腕が武利に向かって伸び、顔のスレスレのところで手のひらがバッと開いた。
「…言った筈だけど。ここまでなら多少は許すって。」
その低くゆっくりな声色と振り返り様の冷徹な眼差しは、武利だけではなく、取り囲んでいた他の人達の動きを止めるには十分で。
「行こう」と促され、歩き出した私を悔しそうな顔で武利はただ、見送る。
そんな武利を一度見てから、外へと足を進めた。
魚屋の前にはいつの間にか、田宮さんのミニクーパーが止まっていて。
「…美花、とりあえず車に乗って?」と田宮さんが私に乗るように促す。
「ご両親の事は心配いらない。今日はお店を閉めてと依頼してある。」
依頼…?
少し首を傾げると、田宮さんはフッと柔らかい笑顔を見せる。
「…美花のご両親は本当に思慮深い方々だよな。俺が、どうしても今は訳を言えないが店を閉め、旅行に出掛けて欲しいとお願いしたら、それだけで承諾してくれたよ。」
「今日の仕入れ分は全部俺たちで買い取ったんで大丈夫ですよ!」
「老舗の野菜を存分に味わえるとは…今日は、素晴らしい夕食になりそうです。それから…旅費については、田宮さんが手配したのでほぼかかっておりません。」
う、うちの両親に…旅行をプレゼントしてくれたと言う事…?
「た、田宮さん…」
「美花、心配はいらないって。ご両親には、お店を閉めるだけではなくて、お願いしたことがあるんだよ。それで旅行に行ってもらった。後でゆっくりとその話もするから。とりあえずここを離れよう?」
…確かに、両親がここに居なければ、とりあえずボンボン達に何かをされる事はないはず。
武利…にも…。
不意に憂鬱の影を落としそうになったと同時に何人かの人がシャッターの前に立った。
あ…この間SPをしてくださっていた方々だ…。
奥の方は、確か真崎先生の代わりにうちの両親の所にしばらくいてくれた弁護士さん…。
「皆さん、ありがとうございます。後はよろしくお願いします。」
「わかりました。お任せください。」
SPのリーダーの方に田宮さんが丁寧にお話しすると、リーダーの方も丁寧に相槌を打つ。
「本城くん、任せたよ」
真崎先生も後輩の方に話しかけて、本城さんも、「もちろんです!」と頼もしい笑顔。
いつの間に…こんなに人を召集したの?
と、いうか…さっきも思ったけれど、どうしてここに私が居るとわかったんだろうか。
「ここから先は、彼らに任せれば大丈夫ですから。とりあえずここから離れましょうか。」
田宮さんに手を握られたまま呆然としている私に中田さんが車に乗り込むように促した。
田宮さんも一緒に後部座席に乗り込むと、運転席には中田さん、助手席には真崎先生が乗り込む。
「よし、じゃあ…帰りますよ!美花さんがいるから特に安全運転で!」
「本来、同じくらい行きも安全運転して欲しい所だったが、まあ、仕方ない。美花さんが乗っているんだ。丁重にな」
「や、俺は行きも居たよね?丁重にしろって話なんだけど。」
私の隣で、コミカルな呆れ顔を少し見せた田宮さんは、繋いでいる私の手に少し力を込めた。それに反応して田宮さんの方を見ると、ニコッと私に笑いかける田宮さん。
「…美花、もう大丈夫だからね。」
そう言ってからは特に私に話しかけることもなく、ただ、ただ、手を繋いでくれているだけだった。
「我々ははここで」と言う中田さんと真崎先生にベリーヴィレッジのエントランスで丁重にお礼を述べてお別れし、二人で部屋へと戻ってきたのは、そこから1時間ほどして。
「美花、この紅茶、甘い香りで、気持ちが落ち着くから。」
「あ、ありがとう…ござい…ます…」
ソファに私を座らせて、田宮さんが香の良い紅茶を淹れてくれる。そこからふわふわとゆらめく湯気に何となく、帰ってきたんだな…とどこか安堵を覚えた。
途端、隣に腰を下ろした田宮さんが、ギュッと私を抱きしめる。
「良かった…無事で。本当に…」
耳を掠めたその言葉に、緊張が解けたからだろうか。それとも、武利のショックが蘇ったからだろうか。よくわからない感情のまま、目頭が熱くなり涙が堰を切ったように溢れ出す。
「うっ…くっ…」
溢れ出てきた涙は、止めどなく流れ、田宮さんのシャツを濡らす。けれどそれでも止まらない。
“美花!今日は一緒に早起きだな!仕入れ頑張ろうぜ!”
…よく早朝に会うとそう言って笑っていた学生時代。
“何かあったら言えよ。絶対俺が味方になるから。”
何でも話して
“やっぱ、あそこのコロッケは美味いよな!世界一だと思う!”
成長して、就職して、実家を出て行っても、生まれ育った商店街をこよなく愛していると思ってた……私と同じ様に。
“商店街なんて古びたものいらなくない?”
武利…どうして……いつの間に、違う方向を向いてしまったの?
大人になって、色々な環境を目の当たりにして。誰もが変化するのは当たり前のことだけれど。心のどこかで、武利の根本は変わらないって勝手に信じていたのかもしれない。
私が大好きな幼馴染のままなんだって…。
「ふっ…うう…」
「……。」
泣きじゃくる私に、田宮さんは言葉を発することなく、ただ、ただ…その腕に閉じ込めてくれていた。
その腕の中が優しくて、余計に涙が溢れ出る。
どれくらいの時間、そうしていたかは定かではないけれど、しばらく動かなかった田宮さんが相変わらず私を抱き寄せたまま、そっと私の頭を撫でた。
「美花…本当にごめん。もっと早く到着すべきだった。」
その言葉に、田宮さんの胸元に顔を埋めながらも、懸命に横に首を振る。
……だって。
田宮さんが来なかったら、私はどうなっていたことか。
出会った時も、その後も…田宮さんは、私が助けて欲しいタイミングで手を差し伸べてくれていた。
今だって、武利のことで混乱している私をこうやって落ち着くまで寄り添ってくれている。
「来てくれて…ありがとうございます。今までも…ずっと…」
…離れたくない。
ずっと、田宮さんと一緒に居たい。
思わずギュッと田宮さんのシャツを握りしめた。
「……」
それに呼応するように、田宮さんが私を更に抱き寄せてくれる。
その鼻筋が、私のうなじに少し当たって、ふっと息を吐き出したのがわかった。
「…美花、ごめん。色々と話さないといけないよね。」
優しい…声色。
気持ちが自然と落ち着いていく。
「武利君のことはさ…ちょっと行動に不可解な点があったもんだから、調べさせてもらっていたんだ。」
え……?
私が反応したと同時に私を包んでいた腕が弱まって、思わず田宮さんのことを見上げると困ったように眉を下げ、片頬をその手のひらで覆われ、その親指が目尻をそっと拭った。
「…あそこに住んでいないはずの彼が、俺達が出会って実家に訪れた日にタイミング良く現れたのが気になってね。」
「でも…武利は実家があそこで…」
「うん、だから俺も最初は武利君は、魚屋に住んでいるのかと勘違いしたんだよ。
美花からも特に彼がどこに住んでいてどんな仕事をして…って聞いていなかった。美花は武利君が魚屋の息子で、あの商店街に居るのが当たり前だという意識がある。だから違和感は抱かない。
けれど俺は初めて会ったわけでさ。
第三者の俺から見れば、あれだけ自然に会話が流れていくと、魚屋に住んでいる人という印象だった。それに、次の日も早朝に出ると決めたのは俺だし、時間も誰にも…美花にもつげていなかったのに、またタイミング良く現れた。その上、美花のアパートに誰かが侵入した形跡もあった。」
「ま、まさか…アパートに侵入した人って…」
「おそらくね。パソコンを開こうとしたのは、何か俺につながる情報が欲しかったんだじゃない?当たり前だけど、身辺調査をしても俺に繋がるものは出てきていない。だとしたら、『どっから湧いてきたんだ、あいつは』ってなるでしょ?あれだけ美花に執着していたら。」
…言われてみれば、武利なら簡単に鍵を手に入れられる。
うちの八百屋に様子を見に来たていで、私のアパートの合鍵のありかを聞き出すのは、武利に絶対的信頼を置いているうちの両親からなら容易い。…持ち出すのも。
でも…武利がそこまで……
「…それだけ美花に執着してたって事だろうね。まあ、最初は純粋な気持ちだったんだろうけど。
一番近くにいるのに、振り向いて貰えないって、やっぱり苦しいんじゃない?」
『振り向いてくれないから』
そう言っていた武利を思い出して、またズキリと気持ちが軋んだ。
…けれど。
「…だけどね?」
気持ちがそのまま沈む前に、両頬をふわりと田宮さんの掌が包み込む。
「それで一番大事なはずの美花を傷つけたら、それは本末転倒だって俺は思う。
大切な存在を守りたいと思うことよりも、手に入れたいと思うことの方が大きくなってしまえば、それは完全なる自分の欲でしかないからね。」
…武利は。
ずっと、小さい頃から私を守ってくれていた。
その行為に私は甘えていただけで…武利が私をどう思ってそうしてくれているのかなんて考えなかった。
ごめん…ごめんね、武利……。
再び涙が溢れ出て視界がぼやける。それをまた、田宮さんの親指がそっと拭った。
「……美花が見てきた武利君が本来の武利君なんだと思う。だから、信じてあげたらいいよ。これからまた彼が変化していくのを。
まあ?俺としては美花の部屋に勝手に入ったのが許せないから、真崎先生に徹底的に叩きのめしてもらいたいけど。」
そう言って、優しくおでこ同士をくっつける田宮さんに、思わず少し頬が緩む。
ありがとうございます…田宮さん。
今置かれている武利の事実に『自分が歪ませた』という考えが何を言われても、私の中で変わらないことを理解してくれているからこそ、出てくる言葉。『これからの彼の変化』。
「…信じます。武利が変わるのを。」
「そ?俺は、美花の中で武利君の存在がなくなって『田宮さんの事で頭がいっぱい』ってなるようにしたいけど。」
「た、田宮さんの事は…沢山考えてます…」
「“沢山”じゃなくて、“全部”にしたいんだよ、俺は。」
鼻先をすり寄せられて、くすぐったさにまた頬が緩む。
…やっぱり、私は田宮さんと一緒に居たい。でもそれは、気持ちが通じた上でのこと。
今回の事があって、それを改めて自覚した。
だから、こうやって私を大切だと表してくれている田宮さんの言葉をまっすぐに受け止められるように、きちんと、田宮さんの考えを聞いて、次に進まないと。
「…田宮さん。」
「ん〜?」
機嫌よく返事をする田宮さんの唇があとほんの数ミリというところ。
「私、前川亜由美さんに会いました。」
ピクリとその体がゆれ、動きが止まった。
「…いつ?」
相変わらずくっついたままのおでこと鼻先。柔らかい口調も変わらない。
けれど、どことなく声色が警戒心を帯びた気がする。
「昨日の夕方…仕事に帰る前にお会いしたのと、今から1週間ほど前でしょうか。どちらも、レジデンスの入り口です。田宮さんにお会いしたいと…」
そこで一度言葉を切って、フッと短く息を吐き出した。
「……『私は、田宮凪斗の恋人だ』とおっしゃっていました。」
「……。」
私の言葉を最後に沈黙が訪れる。
エアコンの作動音が部屋の中にやけに顕著に響いて聞こえた。
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