お店の中は、かつての活気は皆無で。お魚を並べていた台も片付けられてしまったのか、何もないだだっ広い空間となっていた。
「武利…これからどうするの?お魚屋さんは…もいう再開は…」
「まあ、難しいだろうね。」
ポケットに手を突っ込んだまま、私に少し背を向けてふっと息を吐く武利。
「…まさか、こういう展開になるとは思わなかったよな。」
こういう…展開?
武利の言っている意味がわからなくて、少し首を傾げた私を武利は一度見て苦笑いし眉を下げる。
「やっぱ、世の中思い通りには行かないってことかな。」
「た、武利…?」
それから、すぐ近くまでやってきて、少し私を覗き込むように小首を傾げた。
薄暗がりの中、切長の目の奥の瞳は、さっきの寂しさは消えて、ギラリと光っている気がして思わずごくりと唾を飲んでしまう。
「…どうして大人しく、あのボンボンと結婚の契約してくれなかったんだよ。」
少し低めに感じる声。淡々とした抑揚の無い喋り方に少し怖さを感じて、体が動かなくなる。
「そこさえクリアしちゃえば、美花は俺のもんになったのにさ…。」
「た、武利…何言って…」
やっと絞り出した声は出した後で、震えを帯びてるって気がついた。
その位…武利の話に嫌な予感が過って、心音が高くなる。
「まあ、いっか。今日ここで、捕まえちゃえばいいんだし。なあ?」
え…?
武利の呼びかけに暗がりから現れた数人。
う…そ…。
「久しぶりだな…あの時はよくもコケにしてくれたな。」
その中の一人は、紛れもなく不動産屋のボンボンで。
ニヤリと、顔を歪ませる。
そのまま武利に並んで立った。
途端、武利が、「お前が逆上して襲うのが悪いんだろうが」と、少しボンボンを睨む。
「ああ…それはすまねえ。お前との約束が果たせねえと思ったらな。つい躍起になっちまったんだよ。つか、結構いい身体じゃね?美花チャン。それが着物で怯えられたらねえ…」
ニヤニヤと見るその視線にゾクリと背中から悪寒が走る。
「ど、どういうこと…?武利…。」
「どういうことって…。」
「それ、聞く?」と鼻で笑う武利が、私の左手首を掴む。
「商店街なんて、古臭いものいらないでしょ。ショッピングモールができればこの一帯も栄えるし。良いことばっかりなのに、うちの親、無知な上に頑固だから。
ちょっと裏で手を回して居られないようにしたんだよ。まあ、ちょうど美花もそろそろ欲しいなーって思ってたし。便乗したってわけ。」
「親不孝だねー!」
ガハハと楽しそうに笑うボンボンに、武利も、クククッと楽しそうに笑って返す。
「美花の両親もそうだよね。俺のこと、すっかり信じちゃっってさ。『武利君は悪くないー』なんて。いや、俺が美花手に入れたくてやってた事だしって、思いながらも、まあ、美花を育ててくれた親だし?そんなに無下にしちゃ悪いから、とりあえず見張りも兼ねて毎日様子見に行ってたんだよね、最近は。」
何…それ…
『武利君は悪くないって言ってるんだけどね…』
『それじゃあ、武利君の中では済まないんでしょう。』
苦笑いながら武利の気持ちを想い私に話しておいでと言ってくれた両親の顔が浮かび、目頭が熱くなって視界がぼやけた。
「た、武利…魚屋さんを継ぐって言って…」
「や、こんな寂れてる魚屋なんて、いらないでしょ。立退料ありゃいくらでも再出発できるしさ。俺は元々、ここにはもう住んでないし。違う仕事してんだから。」
「美花チャン純粋だねえ〜。こいつ、相当悪いヤツだよ?立ち退きの協力する代わりに、美花チャン手にいれる協力しろってさ。
まあでも、悪いやつだけど、切れ者だよな。それに乗ったら、スルスルと立ち退き進んだんだから。いや〜切れ者はやる事も考える事も違うね!乗っかって良かったわ。」
「な、何…言ってるのよ!武利がそんな悪い奴に、自分から加担するわけないじゃない!
武利?脅されてるの?ねえ、何かわけがあるんでしょ?」
私の言葉に、一瞬きょとんとした表情を見せた武利は、困ったように眉を下げた。
「…いや、脅しって手段は低俗すぎて理由にならないでしょ、協力関係結ぶのに。そもそも、脅しなんて法的にそいつを抹消できる好機なだけじゃん。
それにさ、脅されたくらいで自分にメリットの無い取引なんて誰もしないよ。美花だってそうでしょ?あいつが借金返してやるって言ったから結婚決めたんだし。」
田宮さんの穏やかな微笑みが脳裏に浮かぶ。
そう…だよ?
田宮さんが窮地に陥った私に手を差し伸べてくれた。
助けて…くれたんだ。
「筋書きでは俺がその役目だったのにさ、不動産屋の倅から美花を守るって。美花を手に入れるには、この位の手の込んだことしないとダメだって俺が一番知ってるからね。
なのに美花はいきなり逃げ出すし…世界の100人だかなんだか知らないけど、土壇場で横取りしやがって…って、まあもういいや。過去の話は。
せっかくだから、これからの話をしよっか。」
更に詰め寄ってきた武利は、私の右手首も掴み、顔を近づける。
「…もう離さないよ、美花。」
「や、やめてよ…武利。どうしちゃったのよ!」
「どうしちゃった…って。美花が悪いんでしょ?これまで、散々近くに居てお前の事を一番に考えてきたのに、俺に全く振り向かなかったんだから。手に入るようにするしかないじゃん。挙句の果て、変な金持ち捕まえてきてさ。結局金かよって呆れたわ。」
私と武利のやりとりを高みの見物をしているボンボンがくくくっと面白そうに笑い、「武利さん、かわいーそーになー?」と他の奴らと相槌を打って囃し立てる。
「ま、美花が働かなくても良い暮らしさせてあげられるくらいの財力は俺もあるからね。これでも俺、結構稼いでるんだよ?
あの金にもの言わせたようなベリーヴィレッジみたいな住まいなんて、世界にいくらでもあるし、同じレベルを美花が望むなら、買ってあげるよ。」
金に…物を言わせた…?
何言ってるの…?
『ここはね、単なるエステじゃないの。日々の疲れを癒しに来る方々を最上級の形でおもてなしをしているの』
厳しくも優しい、榊さんを思い出す。
『ここは病院も入ってるからね。セキュリティはしっかりしておかないと。』と白い歯を見せて笑う高山さんのことも。
榊さんも高山さんも、最高の場所を作り上げるため、自分のスキルを磨き惜しみなく提供するための努力をずっとしている。
それだけじゃない。
ヴィレッジ内にあるスーパーやパン屋の店員も皆、自分がそこで働くことの意味をしっかりと理解し、一流の対応をされている。
「おかえりなさいませ」といつでも丁寧にそして柔らかく迎え入れてくれるコンシェルジュの方々。
少しの風邪でも丁寧に診察してくれる先生と、優しく寄り添ってくれる看護師さんや病院のスタッフ。
普段は無人のセキュリティロボットが巡回しているとはいえ、何かあった時に駆けつけるための待機を常にしてくれている警備会社の方々。
そして…住民の方々も、立ち話的な事はなくても挨拶は欠かさないし、どこか和やかで落ち着いた雰囲気で。
一人一人の努力と温かさ、それぞれの配慮があってこそ、あの素敵な空間を生み出している、唯一無二のところなのに。
口をキュッとつぐんだ私に武利は更に顔を近づける。
「とりあえずさ、プライベートジェットで海外にバカンスでも行こっか。」
そう言った、武利に目頭が更に熱くなったけれど、キッと睨みつけた。
「…武利、離して。私はベリーヴィレッジ以外に住む気もないし、田宮さん以外の人とどうにかなる気もないから。」
私の口上に武利は一瞬目を見開き、すぐに眉間に皺を寄せる。
「…何で?あんな昨日今日知り合った金持ちの奴より、俺のがよっぽど気心知れてんじゃん。その俺が金もあるって言ってんだよ?美花にとっちゃこの上なく良い話だと思うんだけど。」
「…田宮さんは、こんな狡い事はしないし、こんな風に私を怖がらせたり、絶望させたりしないよ。」
私の手首を掴んでいる武利の手にギュッと力が入り、血管を締め付けるほどの圧を感じた。
「…そんなの美花が知らないだけだろ。あいつのこと、少し調べさせてもらった。
あいつ、相当女癖悪いよ?美花を手に入れるために本性隠してるだけだろうが。」
『凪斗は私を大切に想っていて、私を守るために妻を利用しているってこと。』
不意にまた、前川さんの言葉が頭をよぎった。
……けれど。
「…違うよ。こんな風に、周囲の大切な人を傷つけてしまうような人と田宮さんは違う。」
そうだよ。私が接してきた田宮さんだって、本当の彼だから。
私を大切に、丁寧に…対等に扱ってくれて。いつだって優しかった。
だから、私は安堵をもらい、穏やかな気持ちで頑張りたいことを頑張って生活ができていたんだ。
そして…彼を好きになったんだ。
「田宮さんが、今までどんな人とどんなお付き合いをしたかなんて私は知らない。知らなくてもいいよ。私にとっては、自分が接し、感じている目の前にいる田宮さんが田宮さんなの。私が帰るべき居場所なの。」
そうだよ、前川さんの存在がどうのじゃない。私は…田宮さんが好きで、田宮さんという人に惹かれて一緒に居たいんだから。
武利は更に眉間に皺を寄せ、私の手首を掴んでいる手に力を入れる。
「…何とでも言いなよ。まあ、俺といればすぐ忘れるよ。昨日今日出会った奴のことなんてさ。」
その言葉と同時にボンボン始め、周囲の人達が距離を詰めてくる。
武利の唇が弧を描くと勝ち誇った表情になった。
こんなに真正面から話をしてるのに。
武利に…私の言葉が届かないなんて…。
私が嫌がらせされた時だって、「卑怯なことすんなよ!」って真っ先に相手に文句を言いに行ったりしてくれていた…。
『お前が振り向かなかったから』
私が…それで振り向かなかった…から……変わってしまった…ってこと?
目の前のどうしても受け入れ難い現実に、涙が込み上げ視界がぼやける。
「美花はもう、こっから先、あいつには2度と会わせないし、会えないから。」
「それは困ります。俺の妻なんで、返してもらわないと。」
緊迫した空気に、柔らかい声が響いた。
ぼやけた視界が一粒涙が落ちることで、クリアになる。
そこに現れた光景。
う…そ……い、いつの間に…。
それは、紛れもなくシャッター横の戸口付近に、いつの間にかもたれて腕組みをしながら立っている…田宮さん。
「武利…これからどうするの?お魚屋さんは…もいう再開は…」
「まあ、難しいだろうね。」
ポケットに手を突っ込んだまま、私に少し背を向けてふっと息を吐く武利。
「…まさか、こういう展開になるとは思わなかったよな。」
こういう…展開?
武利の言っている意味がわからなくて、少し首を傾げた私を武利は一度見て苦笑いし眉を下げる。
「やっぱ、世の中思い通りには行かないってことかな。」
「た、武利…?」
それから、すぐ近くまでやってきて、少し私を覗き込むように小首を傾げた。
薄暗がりの中、切長の目の奥の瞳は、さっきの寂しさは消えて、ギラリと光っている気がして思わずごくりと唾を飲んでしまう。
「…どうして大人しく、あのボンボンと結婚の契約してくれなかったんだよ。」
少し低めに感じる声。淡々とした抑揚の無い喋り方に少し怖さを感じて、体が動かなくなる。
「そこさえクリアしちゃえば、美花は俺のもんになったのにさ…。」
「た、武利…何言って…」
やっと絞り出した声は出した後で、震えを帯びてるって気がついた。
その位…武利の話に嫌な予感が過って、心音が高くなる。
「まあ、いっか。今日ここで、捕まえちゃえばいいんだし。なあ?」
え…?
武利の呼びかけに暗がりから現れた数人。
う…そ…。
「久しぶりだな…あの時はよくもコケにしてくれたな。」
その中の一人は、紛れもなく不動産屋のボンボンで。
ニヤリと、顔を歪ませる。
そのまま武利に並んで立った。
途端、武利が、「お前が逆上して襲うのが悪いんだろうが」と、少しボンボンを睨む。
「ああ…それはすまねえ。お前との約束が果たせねえと思ったらな。つい躍起になっちまったんだよ。つか、結構いい身体じゃね?美花チャン。それが着物で怯えられたらねえ…」
ニヤニヤと見るその視線にゾクリと背中から悪寒が走る。
「ど、どういうこと…?武利…。」
「どういうことって…。」
「それ、聞く?」と鼻で笑う武利が、私の左手首を掴む。
「商店街なんて、古臭いものいらないでしょ。ショッピングモールができればこの一帯も栄えるし。良いことばっかりなのに、うちの親、無知な上に頑固だから。
ちょっと裏で手を回して居られないようにしたんだよ。まあ、ちょうど美花もそろそろ欲しいなーって思ってたし。便乗したってわけ。」
「親不孝だねー!」
ガハハと楽しそうに笑うボンボンに、武利も、クククッと楽しそうに笑って返す。
「美花の両親もそうだよね。俺のこと、すっかり信じちゃっってさ。『武利君は悪くないー』なんて。いや、俺が美花手に入れたくてやってた事だしって、思いながらも、まあ、美花を育ててくれた親だし?そんなに無下にしちゃ悪いから、とりあえず見張りも兼ねて毎日様子見に行ってたんだよね、最近は。」
何…それ…
『武利君は悪くないって言ってるんだけどね…』
『それじゃあ、武利君の中では済まないんでしょう。』
苦笑いながら武利の気持ちを想い私に話しておいでと言ってくれた両親の顔が浮かび、目頭が熱くなって視界がぼやけた。
「た、武利…魚屋さんを継ぐって言って…」
「や、こんな寂れてる魚屋なんて、いらないでしょ。立退料ありゃいくらでも再出発できるしさ。俺は元々、ここにはもう住んでないし。違う仕事してんだから。」
「美花チャン純粋だねえ〜。こいつ、相当悪いヤツだよ?立ち退きの協力する代わりに、美花チャン手にいれる協力しろってさ。
まあでも、悪いやつだけど、切れ者だよな。それに乗ったら、スルスルと立ち退き進んだんだから。いや〜切れ者はやる事も考える事も違うね!乗っかって良かったわ。」
「な、何…言ってるのよ!武利がそんな悪い奴に、自分から加担するわけないじゃない!
武利?脅されてるの?ねえ、何かわけがあるんでしょ?」
私の言葉に、一瞬きょとんとした表情を見せた武利は、困ったように眉を下げた。
「…いや、脅しって手段は低俗すぎて理由にならないでしょ、協力関係結ぶのに。そもそも、脅しなんて法的にそいつを抹消できる好機なだけじゃん。
それにさ、脅されたくらいで自分にメリットの無い取引なんて誰もしないよ。美花だってそうでしょ?あいつが借金返してやるって言ったから結婚決めたんだし。」
田宮さんの穏やかな微笑みが脳裏に浮かぶ。
そう…だよ?
田宮さんが窮地に陥った私に手を差し伸べてくれた。
助けて…くれたんだ。
「筋書きでは俺がその役目だったのにさ、不動産屋の倅から美花を守るって。美花を手に入れるには、この位の手の込んだことしないとダメだって俺が一番知ってるからね。
なのに美花はいきなり逃げ出すし…世界の100人だかなんだか知らないけど、土壇場で横取りしやがって…って、まあもういいや。過去の話は。
せっかくだから、これからの話をしよっか。」
更に詰め寄ってきた武利は、私の右手首も掴み、顔を近づける。
「…もう離さないよ、美花。」
「や、やめてよ…武利。どうしちゃったのよ!」
「どうしちゃった…って。美花が悪いんでしょ?これまで、散々近くに居てお前の事を一番に考えてきたのに、俺に全く振り向かなかったんだから。手に入るようにするしかないじゃん。挙句の果て、変な金持ち捕まえてきてさ。結局金かよって呆れたわ。」
私と武利のやりとりを高みの見物をしているボンボンがくくくっと面白そうに笑い、「武利さん、かわいーそーになー?」と他の奴らと相槌を打って囃し立てる。
「ま、美花が働かなくても良い暮らしさせてあげられるくらいの財力は俺もあるからね。これでも俺、結構稼いでるんだよ?
あの金にもの言わせたようなベリーヴィレッジみたいな住まいなんて、世界にいくらでもあるし、同じレベルを美花が望むなら、買ってあげるよ。」
金に…物を言わせた…?
何言ってるの…?
『ここはね、単なるエステじゃないの。日々の疲れを癒しに来る方々を最上級の形でおもてなしをしているの』
厳しくも優しい、榊さんを思い出す。
『ここは病院も入ってるからね。セキュリティはしっかりしておかないと。』と白い歯を見せて笑う高山さんのことも。
榊さんも高山さんも、最高の場所を作り上げるため、自分のスキルを磨き惜しみなく提供するための努力をずっとしている。
それだけじゃない。
ヴィレッジ内にあるスーパーやパン屋の店員も皆、自分がそこで働くことの意味をしっかりと理解し、一流の対応をされている。
「おかえりなさいませ」といつでも丁寧にそして柔らかく迎え入れてくれるコンシェルジュの方々。
少しの風邪でも丁寧に診察してくれる先生と、優しく寄り添ってくれる看護師さんや病院のスタッフ。
普段は無人のセキュリティロボットが巡回しているとはいえ、何かあった時に駆けつけるための待機を常にしてくれている警備会社の方々。
そして…住民の方々も、立ち話的な事はなくても挨拶は欠かさないし、どこか和やかで落ち着いた雰囲気で。
一人一人の努力と温かさ、それぞれの配慮があってこそ、あの素敵な空間を生み出している、唯一無二のところなのに。
口をキュッとつぐんだ私に武利は更に顔を近づける。
「とりあえずさ、プライベートジェットで海外にバカンスでも行こっか。」
そう言った、武利に目頭が更に熱くなったけれど、キッと睨みつけた。
「…武利、離して。私はベリーヴィレッジ以外に住む気もないし、田宮さん以外の人とどうにかなる気もないから。」
私の口上に武利は一瞬目を見開き、すぐに眉間に皺を寄せる。
「…何で?あんな昨日今日知り合った金持ちの奴より、俺のがよっぽど気心知れてんじゃん。その俺が金もあるって言ってんだよ?美花にとっちゃこの上なく良い話だと思うんだけど。」
「…田宮さんは、こんな狡い事はしないし、こんな風に私を怖がらせたり、絶望させたりしないよ。」
私の手首を掴んでいる武利の手にギュッと力が入り、血管を締め付けるほどの圧を感じた。
「…そんなの美花が知らないだけだろ。あいつのこと、少し調べさせてもらった。
あいつ、相当女癖悪いよ?美花を手に入れるために本性隠してるだけだろうが。」
『凪斗は私を大切に想っていて、私を守るために妻を利用しているってこと。』
不意にまた、前川さんの言葉が頭をよぎった。
……けれど。
「…違うよ。こんな風に、周囲の大切な人を傷つけてしまうような人と田宮さんは違う。」
そうだよ。私が接してきた田宮さんだって、本当の彼だから。
私を大切に、丁寧に…対等に扱ってくれて。いつだって優しかった。
だから、私は安堵をもらい、穏やかな気持ちで頑張りたいことを頑張って生活ができていたんだ。
そして…彼を好きになったんだ。
「田宮さんが、今までどんな人とどんなお付き合いをしたかなんて私は知らない。知らなくてもいいよ。私にとっては、自分が接し、感じている目の前にいる田宮さんが田宮さんなの。私が帰るべき居場所なの。」
そうだよ、前川さんの存在がどうのじゃない。私は…田宮さんが好きで、田宮さんという人に惹かれて一緒に居たいんだから。
武利は更に眉間に皺を寄せ、私の手首を掴んでいる手に力を入れる。
「…何とでも言いなよ。まあ、俺といればすぐ忘れるよ。昨日今日出会った奴のことなんてさ。」
その言葉と同時にボンボン始め、周囲の人達が距離を詰めてくる。
武利の唇が弧を描くと勝ち誇った表情になった。
こんなに真正面から話をしてるのに。
武利に…私の言葉が届かないなんて…。
私が嫌がらせされた時だって、「卑怯なことすんなよ!」って真っ先に相手に文句を言いに行ったりしてくれていた…。
『お前が振り向かなかったから』
私が…それで振り向かなかった…から……変わってしまった…ってこと?
目の前のどうしても受け入れ難い現実に、涙が込み上げ視界がぼやける。
「美花はもう、こっから先、あいつには2度と会わせないし、会えないから。」
「それは困ります。俺の妻なんで、返してもらわないと。」
緊迫した空気に、柔らかい声が響いた。
ぼやけた視界が一粒涙が落ちることで、クリアになる。
そこに現れた光景。
う…そ……い、いつの間に…。
それは、紛れもなくシャッター横の戸口付近に、いつの間にかもたれて腕組みをしながら立っている…田宮さん。



