そうだ、

彼には愛すべき人がいるんだ。
彼の腕と吐息で

溶けかけていた意識が戻ってきた。 

このままじゃ駄目だ。

私は彼の腕から逃れようとした。

でも彼の腕は

私から離れる事はなかった。

「部長、離してください。
      お願いします。」

離してくださいと言ってはいるものの、

心では

離して欲しくないと願う自分もいた。

そんな自分に嫌気がさした。

部長は私の言葉を聞いて、

目を覚ましたのだろうか。

『粟野!抱きしめてしまって申し訳ない。しかも家にまで送ってくれて...なんとお礼を言えば良いのか...』

彼は何度も謝ってくれた。

やっぱり私を抱きしめた事に

意味なんてなかったんだ...。

そう思うと悲しくなった。

「そういえば奥さんはいらっしゃらないんですか?もう12時前ですし...」

その質問をした途端に

聞いてはいけなかったと

彼の表情を見て思った。

悲しい笑みを浮かべたからだ。

『俺の奥さんは...
  きっと俺を愛してなんかいないんだ』