遠慮なんて私の辞書にはない。 樹くんの大きめの黒いワゴン車の助手席。遠慮なく乗り込ませてもらう。 今日は絶対に良い日。それはもう決定した。
樹くんに優しくされた日は何事も上手くいく。星占いよりずっと当たるんだから。
「てゆーか君は八代台のオフィスビルで働いているのか…?!」
車内で職場の場所を告げたら驚いた声を上げた。そりゃそうだ。樹くんのオフィスが入っているビルである。
ジトっとした目でこちらを見つめ「ストーカーめ」とぼそりと呟いた。けれどその瞳は全然怒っては見えなかった。
「しかも清掃とは……君とは因縁めいた物を感じざる得ない」
「何故ですか?」
「いや、それはこっちの話だ。」
「因縁なんて言い方は止めて下さいよッ。これは運命と言うのです!」
「ふんっ。物は言いようだな。」
「あ、そうだ。」
思い出したように鞄の中から紺色のハンカチを取り出す。
樹くんはちらりと横目でこちらを見つめ、そのハンカチを凝視する。 そしてハッと顔をしかめる。
「まさか泥棒だったとは…」
「違います。違います。数か月前ですかね、私が八代台のオフィスで掃除をしていた時にバケツをひっくり返して女性に水を掛けちゃったんです。
その女性は偉くご立腹で、けれど樹くんがその時庇ってくれたんです。
その時に私にこのハンカチを貸してくれたんです。
いつでも返せるように鞄の中に忍ばせていたんですけど、すっかり忘れてしまって」



