「正体を隠すつもりはなかったんです。誰も僕を見て会長だとは思わないでしょうし」
「あ、あ、あの…会長とも知らずに申し訳ありませんでした。
ただの社員さんだとばかり勘違いしてしまい…」
「あはは、そう固くならずに。会長とはただの肩書に過ぎません。それに現役は退いてこの間まで呑気に海外のミュージカルに夢中になっていた風来坊でもありますので
今日は山之内さんにお話があったのですが、それと同時に棚橋静綺さんあなたとも一度お会いしたいと思っておりました。」
「私に?ですか?」
そこで長岡会長は両拳を膝の上に置いたまま、私へ向かい深く頭を下げる。
顔を上げるのと同時に眉毛を下げて申し訳なさそうな顔をした。
「まずは、うちの息子の非礼を詫びます。
本当に申し訳ありませんでした。」
「か、会長…!そんな頭をお下げになるなんて…!」
慌てて山之内さんがやって来た。こんな慌てふためく山之内さんを見るのも珍しい。
けれどそれ程の地位のある人だ。グリュッグエンターテイメントはこの人の代で大きな芸能事務所になった。息子である社長が帝王と呼ばれるのも、この人の存在があってからこそ。
「あの…謝らないで下さい…」
「棚橋さんには随分と失礼な事を言ったと聞いております。お詫びが遅くなり、申し訳ありませんでした。
そしてこの寮を取り壊すと言った件についてですが…、そんな事は私の目の黒いうちはさせるつもりはありませんので、ご心配なく」
長岡会長はハッキリとそう言ってくれた。その言葉を聞いてホッとした。何よりもこの寮の存続の事が気がかりだったから。



