終業のチャイムが鳴って、書いた人から提出して終わり。
今日最後の授業だから、書き終わるまで帰れない。
俺のプリントは途中で止まっている。
このままでは部活にも行けない。
でももう、部活に行きたい気分でもない。
目の前には坂井さんがいる。
彼女はやっぱり苦戦しているようだ。
彼女はプリントとにらめっこしている。
難しい顔をして唇を突き出している。
そんな顔が、急に愛おしくなる。
イライラして張りつめていた気分が、急に緩んでくる。
数学の問題が解けないでいるときのあの顔。
もうすでに懐かしく感じる。
そんな記憶に浸りながら、俺はいつの間にか、坂井さんのことをじっと見ていた。
少し眺めていただけなのに、時間はずいぶん経っていたのか、机には俺と坂井さんしかいない。
ふと目が合った。
だけど彼女は、目をそらさなかった。
突然の行動の変化に、一瞬戸惑った。
女子って難しい。
これは、どういう意味なんだ。
目をそらしたり、合わせてきたり。
何かを待っているのか?
俺も目を合わせたまま止まっていた。
これから、どうするのが正解なのだろう。
その視線に俺の方が耐えられず、ふと彼女の手元に視線を落とすと、仕上がった観察記録が目に入った。
頬杖をついたまま首を伸ばすと、それに合わせてプリントが逃げていく。
「な、なに?」
不審そうに彼女が聞いた。
「見せてよ」
「今回は本当にダメ。我ながらひどい」
「そうだろうね」
「うるさいなあ。
勝見君だってそんなに変わんないでしょ」
「俺のも見せようか?」
「別に見せなくてもいいよ」
彼女は機嫌を損ねたのか、よっぽど俺と絡むのが嫌なのか。
今日は手強かった。
「まあまあ、そう言わずに」
こんなことをしたら嫌われるだろうか。
俺は前のめりになって彼女のプリントを覗き込もうとした。
彼女はどんどん離れていく。
そのうち、彼女はもう逃げられないところまできていた。
気づいたら、彼女の顔が信じられないほど近いところにあった。
俯いた彼女の顔を覗き込むような体勢で俺は彼女に迫っていた。
__ヤバい。
でも、ここで引けない。
彼女の顔の輪郭を目でなぞっていると、彼女の耳元でふわふわと揺れる柔らかそうな髪の毛が、俺を呼んでいるような気がした。
__えっと、何だろう、次の言葉は……。
「また、数学教えてあげるから」
とっさに出たのは、そんなズルい言葉だった。
その言葉に彼女が一瞬息を止めたのが分かった。
ゆっくりと視線が上げられた。
その目の表面がうっすらと潤いをまとっている気がした。
それは気のせいではない。
彼女の思わぬ表情に、一瞬たじろいだ。
坂井さんは口元をゆがませて、しばらく何かをこらえていたけれど、ようやく振り絞るように声を出した。
「よかったあ。
また、数学当てられてたんだよね」
表情は笑っているように見えたけど、ほんの少し声が震えていた。
緊張の糸がほぐれて、何かに安堵したように、彼女から力が抜けていくのが分かった。
__よっぽど深刻なのか、数学。
何はともあれ、自分の選んだ言葉が正しかったようで、俺もほっとした。
俺が書き上げるのを待って、プリントを交換した。
「せーの……」も言わず裏返す。
「下手だなあ」
意見の一致は気持ちがいい。
俺たちの間には何もなくても、俺の中では、彼女への気持ちが確実に育っていた。


