初恋前夜

 もちろん彼女とは、普段から挨拶は交わすし、演劇部の部室でも自然に接していた。ただ、それは逆にいえば、あくまで部員のひとりとしてであって、決してそれ以上に距離を縮めることはないということでもある。
 だから……もう振り返りたくもない昨年の、とても苦い経験をして以来、ここ一年ほどは彼女とまともに話した記憶がない。
 床に尻をついたまま戸惑っていた僕に、彼女が手を差し伸べた。
 ――えっ?
「ほら、立ったら」
 手を貸してくれているのか。あの、一穂が。
「う、うん」
 彼女のまっすぐな眼差しに惹き込まれ、僕も手を伸ばす。
 ほっそりした指先と、やわらかな手のひら。そして、体温。
 からだがかっと熱を帯びた。
 初めて一穂に触れた。