初恋前夜

「いつの話始めるんだよ」
「まあ、いいから答えてみ」
 楓に促され、しかたなくその話題に乗ってやる。
 記憶を遡るまでもなく、よく憶えているさ。
 中学三年の夏休みの課題一覧から選んだ県の文芸コンクール小説部門。
 原稿用紙二十枚以内という規定。
 短編ながら処女作に取り組む中学生には大作だった。
 『水の世界』というタイトルの応募作は、陸地が水で満たされたあとの世界を、小舟で旅する家族の話だった。書き切るのに八月まるっとひと月使った。
 渾身の一作は、神の気まぐれか県知事賞なるものを与えられ、学校名と顔写真、受賞コメントが新聞にも載った。当時ほとんど話したことのなかったクラスメイトからも「すげーじゃん」などと声を掛けられ、親戚のおじさんおばさんたちにも称賛された。
 当時、作品は市の文芸誌に収録された。