「音楽室と理科室は鍵が閉まっててダメだったな。職員室にも鍵かかってたし……教室系は厳しいな。
校庭は最後でいいし、とりま鏡のところ行くか!」
コンビニ行くか!くらいのノリでユウキは大広間の鏡に向かう。
ーーー鏡。
なんだか急に身の毛がよだった。
家でも割と、夜中に鏡を見るのは少し怖い。
夜の学校なんて尚更、しかもあの大鏡だ。
ダンス部などがよく使う大きい鏡。
教室の窓とか色んなものを写すから、霊も……。
だめだ、そんなホラーな想像をしたら歩けなくなっちゃう。
「アオイ、大丈夫か?」
私がなかなか進もうとしないのに気がついて、ユウキが振り向く。
「うん。なんか怖い想像したら、震えてきちゃって……」
「なんだよ、情けない奴だな」
ユウキは呆れた顔をする。なんだか、申し訳ない。
でも、呆れてるだけじゃなかった。
「手、つなぐ?」
ユウキの顔は少しだけ、溢れる欲を押さえ込むような、
好きな子だけに見せるような……。
そんな顔をしてた。
断る理由なんてない。
私はユウキの手を取った。
ユウキの温度と握力が、手から脳にビリビリと伝わる。
男子ってこんなにがっしりしてるんだ。
嫌な想像が全部吹っ飛んでいく感じがする。
もう少し。いや、このままずっと。
この温度に、この手に……ユウキに、触れていたいな。
ーーーーーーーーーーー
廊下を曲がると、大広間が広がっている。
しんとした空気。青い月明かり。
なのに鏡の周りだけなんだか淀んだ気配をまとっていて、近寄りがたい感じがした。
「もっと近くで見てみようぜ」
ユウキが私を引っ張ろうとする、でも体が素直に従えなかった。
本能が拒否するような、
足が床に縫い付けられたみたいな感覚だった。
「大丈夫だよ。俺と一緒なんだから」
いつもなら安心するようなユウキの一言。
なのに、なぜか不安が止まらなかった。
頭をふるふると振って、ユウキの手を振りほどいてしまう。
ユウキは少し悲しそうな顔をすると、大鏡の中央へと走り出していった。
「あっ……」
置いていかれたような、空っぽになるような虚無感に包まれる。
さっきまで手のひらにあった感覚が、無に帰してしまったみたいに。
ユウキはしばらく鏡をまじまじと見ると、
ノックのように叩いてみたり、芸人のギャグの真似をしたりして遊び始めた。
小学生男子みたいなよく分からない行動が面白くて、緊張が少し解けてくる。
「ほら、こういう馬鹿なことしてれば霊も寄り付いてこないって。アオイも来いよ」
そういって私の方に向き直ると、また近くに戻ってきてくれた。
また手を引かれる。
今度は、自然と体が前に出た。
導かれるまま、私も鏡の前に来た。
普段の学校とは違う静けさの中で、月明かりが照らす黒い校舎に私はいた。
いつも通りのセーラー服。
お気に入りの、レモンの輪切りみたいな髪留め。
いつもの私の顔。
そして、ユウキとの身長差。
1つ1つ、確認していく。
何も変なところはない。
後ろには誰もいない。
私が手を挙げれば、鏡合わせの私も手を挙げた。
回れば回った。
「ほらな、大丈夫だろ?」
ユウキがにしし、と笑う。
たしかに、かなり怖いと思ったけれど、ユウキが一緒にいてくれたから楽しかった。
鏡に映る青黒い校舎は綺麗だし、
なにより、ユウキと二人きりでいられる口実があるだけで嬉しい。
怖い鏡にも、ちょっとだけ感謝しよう
そう思ってちらりと自分の虚像を見たときだった。
「……っ!」
私が振り向くよりも先に、鏡の中の私はこちらを向いて笑っていた。
瞳は獲物を狙うみたいに怪しく光って、皮肉いっぱいに口角を上げて、歯をむき出しにして。
いつものぼんやりした私ではなく……いや、私?
本当に私なのか?
まるで他人と目があった時のような、
弾かれるような感覚なのはなぜ?
「アオイ?どうしたんだよ」
「えっ、と。か、鏡……が、」
ユウキの声で反射的に鏡から目をそらしてしまう。
どうしよう、うまく言葉にできない。
「鏡がどうしたんだよ?特になんもなかっただろ?」
「え、いや。でも……」
もう一度鏡に視線をずらすと、そこにはいつも通りの私がいた。
さっきのような違和感も何もない、いつも通りの私だ。
「じゃあ次は屋上の階段だな!行こうぜ」
ユウキは何も感じなかったらしい。
いつも通り、少し強引で元気なユウキだ。
気のせい、かも。
そうだ、きっと怖い想像をしてたせいだ。
そうやって自分に言い聞かせて、階段を上っていく。
そうやって、二階へとさしかかったとき……
「あっ、」
上履きが滑って、体が宙に舞う。
重い浮遊感が私を包んだ。
「アオイ!!!」
ユウキの声が、静かな校舎中に響き渡る。
同時に、私には聞こえた。
「こんにちは、アオイ」
薄気味悪い声。この声は、
私の声だ。
