美術室の前を通る。
全く人のいる気配はない。
もちろん話し声なんてしない。

念のため、そっと静かにドアを開ける。

誰もいない風景が覗く。

あれ?ここにもいない。
トイレかな。
まじでどこ行ってんだろ。

一歩前に踏み入れて、少しずつ視線を前方に向ける。

そして私は心臓をギュッと鷲掴みにされた。

向けた先にあったのは、巨大なキャンバス。
そしてキャンバスに真剣な表情で向かう蓮の姿だった。

釣りをする医者らしき男。
そこに群がるように泳ぐ人々。
荒々しい海。
薄暗くも何故か綺麗な空。

蓮がスプレーを吹き付けると、キャンバスに乗った途端にダラダラと下に垂れ流されていく。

それが余計に暗さを演出している。

一見とても綺麗なブルーと紫とピンクの重なりなのに、全体的に物悲しさが漂っている。

蓮が何度も何度も丁寧に色を重ねる。

何度も重ねられたところは黒に近い色だ。

夜から朝になる海なのか、夕暮れと夜の間の海なのか。

迷うことなくどんどん進められていく。

どんどん表情に深みが増していく。

蓮は全く私に気付かない。

私もただその様子に見入っていた。

今度は筆を手に取り、海と空の間の境界に何度も何度も色を乗せる。

曖昧だったラインが少しずつ浮き上がってくる。

海の色はとても暗い。

助けを求める人々の悲痛さが伝わってくる。

蓮の背中から、絵に向き合う姿勢が伝わってきた。

蓮がこっちに気付きそうになった。
私は急いで廊下に出る。

自分の足元をぼんやり見つめる。

夏の終わり。
誰もいない昼休みの美術室。

こんなのズルい。

どうしようもなく蓮のことを好きになっている自分に気付いた。