「あ、悠介くん!」
声をかけられた凛太郎は声の主を見つけるとパーッと弾けるような笑顔になり、手を振ると、悠介に駆け寄っていった。凛太郎は、奈津の友達の悠介が小さい頃から大好きだった。サッカーが上手くて気さくで、そしてみんなの人気者の悠介は凛太郎の憧れでもあった。
「あ、悠介!」
コウキと談笑していた奈津も、凛太郎に続いて表情がパッと明るくなる。コウキは奈津の笑顔の先を見た。そこには日に焼けて真っ黒な顔をした悠介が白い歯をのぞかせ笑っていた。コウキは自分のカッターの袖から出ている腕を見た。今日1日でずいぶん日に焼けた。「こんなに焼いて、怒られるな・・・。」と心の中で笑ったが、悠介の顔を見た後では、自分の腕がやけに生っ白く感じられた。コウキは顔を上げると、もう一度悠介の方を見た。こちらを向いていた笑顔の悠介と目が合った。目が合った瞬間、悠介の顔から笑顔は消えた。そして、コウキの目を真っ直ぐに見据えてきた。悠介の鋭い目は、コウキの心の奥までも見透かしてくるかのようだった。・・・コウキは目をそらした。コウキは悠介に負けないくらいの鋭い目で、自分もしっかり悠介を見据えたかった。・・・でも、今の自分にはそんな資格はないように思えた。その時、そんな二人の様子など全く気づかず、奈津がコウキに向かって明るく説明を始めた。
「あれは、6組の中山悠介。小学校からずっとサッカーで一緒!ま、幼なじみみたいなもんかな!」
奈津の屈託のない勢いに、コウキは、
「あ・・・うん。」
と反射的に頷いた。奈津は改札にまなみと詩帆の姿も見つけると、ますます笑顔になり、
「まなみ~!わあ、詩帆ちゃんまで!」
と両手を挙げた。コウキは奈津と凛太郎が悠介たちと合流するのを見届けると、自分は静かにその場から離れた。
「あ・・・、奈津、鞄、ここに置いとく。」
と奈津の白い鞄を肩からおろすと、そっとベンチに置いた。そして、そのまま、その場を立ち去ろうとした。奈津はその姿を見つけると、慌てて、
「え、コウキ、帰るの?まだダメ!一緒にいよう!」
と声をかけた。ワイワイと騒がしかった場が一瞬静まり返る。悠介は明らかに怒ったような表情になった。そして、それに気づいた、凛太郎と奈津以外の2人・・・まなみと詩帆の顔がこわばった・・・。コウキは静かに歩みを止めた。場の空気の重さを察したまなみは、奈津が何か言うより先に、大きめの声でコウキの背中に向かって話しかけた。
「あ、ねえねえ、なんで、奈津たちと一緒にいたの?もしかして、奈津を追っかけて教室出ていった?」
そう言ってしまってから、まなみは「やばっ!なんてこと訊いてんだ!」と気づき、慌てて口を押さえた。そして、恐る恐る悠介の顔を見た。詩帆もそっと悠介を見た。悠介は表情を変えず、コウキの言葉を待っていた。その表情からは悠介の心は読み取れなかった。コウキはゆっくり振り返ると、
「廊下から凛太郎くんの名前が聞こえたから。あ・・・前に蛍まつりで会ったことがあって。ちょっと気になって・・・。ただ、それだけ。」
とコウキは静かに冷めたような調子で答えた。その答えを聞いて、奈津は明らかに落胆の表情を見せた。まなみも詩帆もそれを見逃さなかった。でも、悠介だけはそんなことには気づかず、サッカーの試合の時、対戦相手を見るような鋭い眼差しをコウキに向け、いつもよりもっと低い声で
「それだけ?」
と訊いた。悠介はサッカー以外でも真っ直ぐに向かってくる・・・。でも、それを受けとめることが、今の自分にはできない・・・。コウキは目をそらしこそはしなかったが、力のない視線を返すと、
「うん。それだけ。」
となんの感情もこめずに言った。そして、
「それじゃあ、帰るから。」
と振り返ると、その場を後にしようとした。奈津はさっきまで隣で一緒に笑っていたコウキが、今は全く別の人のように感じられ、もう声をかけることができなかった。その時、
「コウキくん、今日はありがとう!」
明るい声が響くと、今まで、高校生たちの後ろにいた凛太郎が悠介とまなみの間を押し分けて、前に出てきた。そして、
「イッシーにも先生たちにも、オレちゃんと謝るから。今日、津和野に一緒に行ってくれてありがとう!」
と言った。それを聞くと、コウキは足を止め、振り返った。その表情は、いつもの眼鏡の奥の目を細めた笑顔だった。そして、握った手で親指を立て、「GOOD!」の合図を凛太郎に向けると、片目をつぶり軽くウィンクした。それは、駅に着いてからのどこか冷めた別人のようなコウキではなくて、津和野に一緒に行ったあのあったかいコウキだった・・・。そして、コウキはそのまま何も言わず、黙って駅から出て行った。奈津はしばらく佇んで、コウキの姿が見えなくなった駅の出口を見つめていた。すると、その奈津に向かって悠介が声をかけた。
「あいつのこと心配しなくていいって。昔っから奈津は誰にでもフレンドリー過ぎるから向こうが勝手に勘違いすんだよ。でも、ついてきたとしても無防備に男と一緒に遠出とかすんな。いくら凛太郎がいっしょでも。勘違いされる前にちゃんと断れって。」
そう言って、奈津の肩に手を置いた。奈津は肩に置かれた手を振り払うように悠介の方に向きを変えると、キッとした目で悠介を見た。そして、
「コウキはそんなんじゃない。コウキは凛太郎とわたしを心配して、ずっと一緒にいてくれただけ!それにコウキは勘違いなんかしてない!」
と語気を強めて言った。奈津の怒ったような態度に悠介はたじろいだ。悠介は自分のどの言葉が奈津を怒らせたのか分からなかった・・・。タムラコウキは、ちょっとでも嫉妬を感じていた自分が恥ずかしくなるくらい、悠介にはヘタレに感じられた。そんな奴だった。タムラコウキを目の前にしてみて確信したのは、奈津は絶対にこんな奴好きにならない・・・だった。
「わたし、お父さんに電話してくる!凛太郎、お父さんにつながったら、今から3人で小学校行かなくちゃ。」
奈津は、悠介には何も言わず、凛太郎に向かってだけそう言うと、スマホをだして壁際の所まで小走りで行った。
「は?あいつ、何怒ってんの?わざわざ迎えに来てやったのに!」
奈津が離れると、悠介はブツブツ言った。
「それに、今日の奈津、いつもに増してブス!顔がむくんでんだよ!」
といつも奈津とけんかするとそうするように、歯に衣着せない言葉で毒づいた。詩帆はもう慣れてはいたが、悠介と痴話げんかのようなけんかができるが奈津がうらやましかった。
「姉ちゃんの顔、確かにブス!汽車ですっげー泣いてたから、顔がパンパン!」
悠介の言葉を聞いていた凛太郎が笑いながら言った。悠介の動きが止まる・・・。
「奈津が泣いた・・・?」
悠介は自分の体が少し震えるのを感じた。
「うん、オレ寝てて目が覚めたら、姉ちゃん泣いてた。なんか気まずくってそれからまた寝た振りした。」
凛太郎は「オレって小学生の割に、気が利くだろう!」と言わんばかりのドヤ顔で話した。
「タムラコウキの前で泣いてた?」
悠介の声は震えていたかもしれない。
「うん!コウキくん、『どんだけ泣いたっていいよ。』って姉ちゃんに言ってた。なんかドラマみたいだった。」
何も分からない凛太郎は、高校生の恋愛シーンを偶然見てしまって、それを誰かに言いたくてしょうがないようなテンションで悠介に話した。
「ふーん・・・。」
悠介は愕然となり、そううなずくのが精一杯だった。詩帆は、「あいつが泣くとこなんて見たことないもん。」とどこの誰よりも奈津を知っている・・・そんな風に嬉しそうに話していた悠介を思い出していた。悠介の心は痛いに違いなかった・・・。そう・・・、レッドカードをもらった時も、今も、詩帆が悠介に対してできることは何もなかった・・・。そして、それを悠介が微塵も望んでいないことを詩帆は分かっていた・・・。
「あ~!!これこれこれ!!」
そんなことが起こっているとは知らず、今まで静かにスマホで何かを一心に探していたまなみが急に声を上げた。
「ねえ、コウキがさっき振り向いた時のポーズとウィンク、これに似てない?」
と何も知らないまなみは脳天気に、悠介と詩帆と凛太郎にスマホの画像を見せようとした。それは、まなみの好きなK-POPのアイドル画像だった。悠介はコウキが何に似てようと似ていまいと、そんなのどうでもよかった。今の悠介にとって、まなみの話はうるさいだけだった。チラッとだけ画像を見たが、全く興味を示さず、悠介は電話で父親と話している奈津の方に目をやった。詩帆の方は後輩としてまなみをぞんざいに扱うこともできず、とりあえず画像を見てみた。強めのアイラインでグレイの髪をした男の子がステージの上で、カメラ目線でウィンクしていた。手もちょうど、さっきコウキがしたように握った手に親指を立てて、「GOOD!」としていた。たしかに、似ていると言われれば似ているような気もするが、メイクをしたら、みんなこんな風になるような気もした。
「あ、確かにポーズは似てますね。」
とだけ詩帆は答えた。
「え~!ポーズだけじゃなくて、ウィンクしてる目も似てない?」
とまなみは食い下がった。
「う~ん・・・。メイク濃いいんでイマイチ分かんないです・・・。」
と詩帆は首をかしげた。まなみは、
「似てると思ったんだけどな~。」
とブツブツ言うと、スマホをしまおうとした。その時、横からのぞいて見ていた凛太郎が、
「あ、似てる!似てる!目も口も!」
と言った。まなみは、
「ほらね~!さっすが~!若い子は純粋な目を持ってる!!」
と笑った。詩帆も、
「はい、はい、わたしの目は濁ってます。」
と笑った。その時、父親との電話が終わり、奈津が戻ってきた。
「ごめん!成り行きを説明してたら長くなっちゃった。凛太郎、このまま小学校行こう!お父さんも直接小学校行くって。」
言い終わった奈津に、まなみが笑いながらスマホの画像を見せようとした。その時、
「小学校まで送る。」
と悠介のぶっきらぼうな声が響いた。
「あ、いいよ。凛太郎と二人だから。」
と断る奈津に、
「どうせ、方向一緒だろ。ほら、行くぞ!」
と悠介はプイッと駅の出口の方に向かって行った。まなみは奈津に見せようとしていたスマホを下げると、
「なんか、悠介怒ってない?めんどくさいな~。奈津、うちらはいいから、行って、行って!奈津の顔見たらホッとしたから!」
と言った。
「ほんっと!何怒ってんだか!まなみ、詩帆ちゃん、今日はありがとう!ごめんね。また、明日話すね!行こ!凛太郎!」
と言って鞄を持って出口に向かった。凛太郎はまなみと詩帆に手を振ると、
「ありがとう!またね!」
と言った。そして、奈津について行きかけたが、急に何かを思い出したように立ち止まると、
「そう言えば、さっきのコウキくんに似た人、誰?」
とまなみに訊いた。
「あ~、あれはねえ、わたしの好きなBEST FRIENDSっていうグループの『ヒロ』だよ!」
と答えた。凛太郎は、ふ~んと頷くと、
「その人、歌うまい?」
と訊いた。
「うまい、うまい!声がすっごく綺麗!それにダンスもすっごく上手!!」
とまなみは急にテンションを上げ、はしゃぎながら言った。まなみはBEST FRIENDSのことを訊かれるのが大好きだった。
「凛太郎くんも歌聞いてみてね~!」
と言うと、何かを思い出して、
「そうそう、今度、BEST FRIENDS、日本に来るよ!残念ながらコウキ似のヒロはスキャンダル騒ぎで今いないから来ないんだけどね。」
と宣伝を付け加えた。小学生に向かってスキャンダルという言葉を使ってしまったことなどおかまいなしだった。凛太郎は意味が分かったのか、分からなかったのか、一瞬不思議そうな顔をしたが、笑顔に戻ると、二人に手を振って、奈津と悠介の待ってる自転車置き場へ駆け足で向かった。