君に手向ける最後の答辞


「ほんとにさ、しつこいようだけどなんでそんなに無愛想なの?」

 話の文脈は変われど、本日三回目となる『なぜ笑わないのか』という質問。

 そろそろ面倒くさくなってきたので、僕は最終手段である言葉を口にする。

「君には・・・・・・関係のない話だよ」
 
 大抵の人間ならここで諦めて、それ以上は詮索してこない。
 本人が『もう話す気はない』と意思表示をしている時点で、それ以上聞いても無意味だからだ。
 
 ところが、僕の願いとは裏腹に、彼女はそう簡単に引き下がってくれなかった。

「たしかに関係ないけど気になるの。笑わない理由を教えてくれたら、すぐ帰るから!」
 
 どうして、そこまで僕にこだわるんだろう。
 僕が笑わない理由なんか聞いて、どうするつもりなんだろう。
 僕は心底不思議に思った。 
 すこぶる鬱陶(うっとう)しくなってきたので、奥の手を使う。

「じゃあ、逆に聞くけどさ。人間って常に笑っていられるほど幸せな生き物だと思う?」 
「うーん、そうだなぁ・・・・・・」

 彼女は数秒の間、考える素振りをみせたあと「世界一(あわ)れな、もしくは世界一悲惨(ひさん)な生き物だと思う」と夕陽を背に答えた。

「そのこころは?」
「自分の感情で身を滅ぼせる唯一の生き物だから」 
「・・・・・・」 
 
 僕は黙った。
 まさにその通りだと納得してしまい、返す言葉を失った。
 どうせ、屁理屈でも並べてくるんだろうと思っていたから、見事に()()かれた。
 
「ほんと人間って悲しい生き物だよね・・・・・・」

 窓の外を見つめながら、まるで全てを知っているかのような口調で彼女が言う。

「だから僕は笑わないんだよ・・・・・・」
「えーと、それはつまり。自分で傷つくのが怖いから笑わないってこと?」

 ちょっと飛躍しているけれど、あながち間違ってはいないので首肯(しゅこう)する。

「傷つくのが怖いからこそ笑うんじゃん!」
「は?」

 僕は思わず、素っ頓狂な声をあげてしまう。

「辛いから、悲しいから、厳しいから、人間は一生懸命に笑うんだよ!」
「どういうこと・・・・・・?」

 僕は彼女が何を言っているのか、よくわからなかった。
 ()えない頭で珍しく真面目に考えてみたが、全く理解できなかった。

 僕の価値観が他人とずれているのか。
 彼女の価値観が異常なだけなのか。
 それすらもわからなかった。

「人間ってさ、命を()けてまで笑うことって一生のうちにあると思う?」

 彼女の優しい表情が、急に神妙な面持ちに変わる。

「あるわけないよ」
「そうだよね。あるわけないよね・・・・・・」

 彼女は数秒間、虚空を見つめて再び僕に向き直る。

「じゃあさ、もし絶対に笑わなきゃいけない瞬間が来るんだとしたら、それはいつだと思う?」

 さらにわけがわからない質問が飛んできて困惑する。
 
「東雲さんはいつだと思うの?」
「それはまだ私にもわからないかな!」
「そんな瞬間は永遠に来ないよ」

 僕が否定すると、彼女は今日一番の笑顔で言った。

「西宮くんにも、その瞬間がわかるときが来るかもしれないよ?」

 どうしてだろう。
 その言葉を聞いたとき、僕は彼女に論破されたような気分になった。

 理由はわからない。
 でも、僕のなかで何かが壊れたような、何かが上書きされたような、そんな気分になった。

「そろそろ迎えの時間だから帰るね!」

 振り向きざまに「また明日ね!」と付け加え、彼女が教室から出ていく。

「一体なんだったんだ・・・・・」

 僕は独り言を漏らす。
 彼女が話しかけてくる意図なんて検討がつくはずもなく。
 彼女は何がしたかったんだろう、という疑問だけが頭の中を支配する。
 それに彼女が言っていたことも、何一つ()に落ちない。
 あまり深く考えないようにしよう、そう自分に言い聞かせた。

 気がつけば、僕と日直の生徒以外、教室に誰も残っていなかった。
 整理整頓をあまねく済ませ、学級日誌を書き終えた様子の日直の生徒も、もうじき教室から居なくなるだろう。

 咄嗟に時計を確認する。
 時刻は十六時半を回っていた。
 図書室の閉館時間は十七時。

 思った以上に時間を浪費してしまった。 
 僕は椅子から立ち上がり、急いで図書室へ向かった。