無言のまま、じっと見合わせた目を先にそらしたのは、男の方だった。
「……ごめん……できない」
うなだれる男を、最後に一瞥して、香耶は入口横のクローゼットから出した薄手のコートを持ち、廊下に出て、重いドアを閉めた。
消したい黒歴史っていうのは、こういうもののことなんだろうな……
いろいろな思いが浮かんでは消えていくけれど、どれも今となってはどうしようもないことで……
考えれば感じるほど、取り止めもない穴に落ちていきそうな気がした。
この手痛い経験を笑える日が、いつか来るかもしれないけれど……
とりあえず今は、一刻も早くシャワーを浴びて、あの男が触れたところを全て、きれいに洗い流したい。
濡れた頬を手のひらでこすった香耶は、きっと盛大に崩れているであろう化粧の存在を思い出し、慌てて、近くのトイレへと飛び込んだのだった。



