デザートを待つ間、撫子が周りを見てみるとアニマル的特徴を持った人型のお客さんがあちこちにいた。虫の触角や鳥の羽根、角や尻尾を持っていたり、ほとんど全身動物だが二足歩行の体を持っていたり様々だ。
 みんなそれぞれのウェイターや他の動物と談笑して楽しそうだ。時間を気にせずくつろぐ様子はまさに理想的な温泉宿の景色のようで、見ている撫子もほんわかした気分になった。
「不味い」
 ふいに斜め後ろの席で声が上がったときも、撫子は聞き間違いだと思った。
「このホテルは客にこんなものを食わせるのか」
 剣呑な調子に撫子が思わず振り返ると、そこにはむっつりと顔をしかめた少年が座っていた。
 年は十二、三歳といったところだろうか。大きな赤い目をしていて、真っ白で柔らかそうな髪が肩まで伸びており、なかなかかわいい子だ。
「支配人を呼べ」
 その頭にはぴょこんとしたウサギの白い耳。和んでしまったが、その言葉に撫子は首を傾げる。
 ウェイターが一礼して下がると、入れ違いにオーナーがやって来る。
「どうなさいました、お客様」
「部屋が汚い。席が気にいらない。食事が不味い」
 ウサギ耳の少年はつらつらと苦情を並べて、オーナーをにらみつける。それに、オーナーは丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました。すぐに対処いたします」
 静かに顔を上げようとしたオーナーに向かって、少年は一歩近づく。
 はっと撫子は息を飲む。
「お前も気にいらない。おれ、お前嫌いだ」
 少年はオーナーの顔に向かってコップの水をぶちまけた。
「ちょっと、君」
 撫子の中で熱い感情が目覚めて席を立つ。
「このホテルはどこからどう見ても綺麗だし、どこの席も広々としてていい席だし、食事だってここ以上のところなんてみつからないくらいおいしいよ」
 少年は誰かに文句を言われたのが意外だったのか、きょとんとして撫子の顔を見た。
 けれどすぐに顔をしかめて口をとがらせる。
「気にいらないったら気にいらないんだ」
「それじゃ駄目だよ。せめてどう直してほしいのかきちんと説明しなきゃ。そうじゃないとただの文句になるよ」
 それにと、撫子はウサギ少年の前に屈みこんで指を立てる。
「嫌いなんて失礼だ。オーナーに謝りなさい」
 少年はかっと顔を赤くして飛び退く。
 少年は逃げるように出て行ってしまった。
 撫子は電車が通った後のような突風に髪を揺らされて、慌ててオーナーに振り向く。
「オーナー、大丈夫ですか!」
 白い髪から水を滴らせながら、オーナーは眉を寄せて撫子を見た。
「余計なことをしないように。お客様のどんな要望でもお応えするのがこのホテルのポリシーなんですから」
「でもあの子のあれは要望ではありませんでしたよ」
「説明を求めるようでは支配人失格です」
 オーナーはハンカチを取り出して顔を拭きながら言う。
「お客様の中には生前に不満をためてここにおいでになる方もいらっしゃるんです。そのような思いもすべて受け止めるのが私の役目です」
「……プロですね」
 撫子は気圧されて黙った。
 オーナーを見る目が変わった。生前アルバイトならたくさんしてきたが、オーナーほどの覚悟で働いてはいなかった。
 撫子は手を顎に当ててうなると、大人しく頭を下げることにした。
「よく知らずに勝手なことをしてすみませんでした。私が悪かったです」
「わかればよろしい」
「だから私をあの子の苦情処理担当にさせてください」
「撫子?」
 顔を上げながら、撫子はオーナーの猫目を見返す。
「タダ飯食らいでは居心地が悪いので働きます。もう十分休みましたし」
 一週間は寝たし、三食分くらい一気に食べた。
 恩返しというと聞こえがいいが、心の整理として何か返したいと思った。
「私が言ったことを忘れましたか。あなたは無為に過ごしていればそれでよいのです」
「私が良くないです」
 撫子は生前をちらっと思い出して頬をかく。
「生きている間はバイト三昧だったので無為に過ごすのは罪悪感で死にそう……いや、もう死んでますけど苦痛です」
 死にそうなんて言葉、生きている間にそう簡単に使うものじゃなかったな。撫子は遠い目をして、オーナーに目を戻す。
「それにあの子、なんだかほっとけなくて」
「どうしてそう思うんです」
「本当に悪い人は、とりあえずは良い顔をするでしょう? そういう人は生きている間にいっぱい会ったんです」
 人生経験は十六年とはいえ、両親に関わる人間には実にいろんな人がいた。
「まあ、あと」
 オーナーが水を被るくらいなら、自分が被った方がましだと思った。
「何です?」
「いえ、それだけです」
 正直に言うと何だかオーナーのことが好きみたいじゃないか。撫子は慌てて言葉を濁した。
「バイトがしたいんです。私の休暇の過ごし方として認めてもらえませんか?」
 自分の好きなことをすればいいのにと、友達に言われたことがある。
 けど両親は借金で苦しそうで、少しでも生活を楽にしてあげたかった。そういうと自己犠牲のように聞こえるかもしれないが、結局は自分自身のためにしていたことだ。
 ただ、両親と一緒にいたかったから。今は……もうちょっとくらい、ここにいてもいいと思っているから。
「まだ行くつもりはありませんし」
 撫子がそう言うと、オーナーは猫目を細めた。
「私は役に立つ妻が欲しいわけではありませんよ」
 一拍思案して、彼は言う。
「好きになさい。あなたの休暇ですから」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし」
 オーナーは撫子の肩に手を置いて、耳に口を寄せる。
「浮気は許しませんよ」
 とっさに何も言えなかった撫子に、オーナーは続ける。
「先ほどのお客様はフィン様。詳しくはチャーリーに聞きなさい」
 ひらりと尻尾を振って去っていくオーナーを見送り、撫子はウサギ相手にどうやって浮気すればいいのか考えていた。