石段を下った先に、その川はあった。
 端が見えないほどの幅がある大河は、澄みきった青い水がゆるゆると流れていく。
 列車に揺られている間にも常に視界の隅には川が流れていた。これが世に言う三途の川なのかもしれないと撫子は思う。
 昔話みたいなおどろおどろしい雰囲気はない、静かな空気をまとう川だった。
「あの綿あめみたいなものって何ですか?」
 川にはところどころに白い塊が浮いていて、夜空に浮かぶ星のようにきらめいている。
「あなたは本当に食欲が旺盛ですね」
「すみません。私の俗世にまみれた目には綿あめにしか見えないんです」
 だって柔らかそうでおいしそうじゃないですか。そうつけくわえると、三毛猫のご主人がくっくっと笑う。
「なるほど。じゃあお嬢さんが食べたら綿あめの味がするだろう」
「え? 本当にそんな味がするんですか?」
「するかもしれませんね」
 オーナーはさらりと答えてから言う。
「あれが終わった後の命です。記憶も何もかもすべてを洗い流された魂ですよ」
 撫子は思わずまじまじと白い塊を見る。
 悠々と流れる川に、それは体の力をすべて解き放って身をまかせるように、ただ浮かんでいる。
「あ」
 川岸に着くと、それを動物たちが集めていた。人型の動物がせっせと荷車に積んでいる姿も見られる。
「拾ってどうするのかという顔をしていますね」
 撫子はなんとなくその先がわかっていながら、オーナーに頷いた。
「すべてに使うんです。食べ物も燃料も魂から生まれます。死出の世界は、終わった後の命で作られているんですよ」
 オーナーはちらと撫子を見た。
「嫌悪しますか?」
「いいえ」
 その言葉には即答できた。命を巡らせるこの世界の理は、優しいと思えた。
「この川は死出の世界中を流れているんですか?」
「ええ、隅々まで循環しています」
「飲んでみたいです」
「どうぞ」
 撫子は川岸に屈みこんで、そっと水をすくいあげる。
 それは命を巡らせる水として、今まで飲んだどの水よりも力をくれる気がした。
「父さん、母さん」
 父さんと母さんの命のおかげで私は生きていられる。
「ありがとう」
 川に向かって、素直にお礼を言うことができた。
 オーナーと三毛猫のご主人は川岸の動物たちに指示して、魂を荷台に乗せていた。その間、撫子は川の流れを飽きることなくみつめていた。
「では、撫子。列車に乗って帰りますよ」
 オーナーがやって来て撫子に告げる。撫子はこくんと頷いた。
「お嬢さん」
 別れ際、三毛猫のご主人が苦笑交じりに言った。
「こいつが嫌になったら、ガツンと言って俺の宿に来るといい。好きなだけ泊めてあげるよ」
 ふっと笑って、彼は付け加える。
「ただ気が収まったら戻ってやってくれ。こいつはどうしようもない奴だが、悪い奴じゃない」
 撫子は笑って言った。
「はい。知ってます」
 三毛猫のご主人に手を振って、オーナーと撫子は終点を後にした。