突然グイッと強い力で後ろに腕を引かれたと思うと、肩ごと後ろから抱きしめられ、身動きが取れなくなった。

「――彼女に御用ですか?」

 桜衣を後ろから囲いながら前方の本間に射殺さんばかりの視線を送っているのは……

「……結城!?」

 今心の中に思い浮かべていた人が実体化して桜衣を後ろから抱きしめている。

(……嘘でしょ?)

 密着しているから感じる纏う香りと温もりが、本人だということを実感させる。

 たしか、このシチュエーション、前にもあったような……

「ったく、こんなとこまで来て何ナンパされてんだよ」

 耳元で悪態をつかれるが、自分は何も悪くないし、ナンパでもない。そして腕は緩まない。

「――彼、なのかな?」

 本間は目を眇める。
 
 『大事な人』は、と言っている気がする。

 後ろから抱きしめられている状態が居たたまれなくて声に出せないが、心の中で「そうです」と答えながら小さく首を縦に振る。

「大丈夫だよ。僕は桜衣ちゃんの昔のお父さん。偶然ここで再会しただけだから。桜衣ちゃん、呼び止めて悪かったね。僕も娘のピアノの教室に迎えに行くところだった……遅いって怒られちゃうなぁ」

 彼は陽真と桜衣、それぞれに笑顔を向けると、じゃあね、と踵を返す。

「……本間さん!」

 桜衣はその背中に呼びかける。

「あの、母は……本間さんの事ちゃんと好きだったと思います。だって、母の人生で結婚したのは本間さんだけでしたから。私も、本間さんと家族になれて幸せでしたし、本当に感謝しているんです」

 彼と母と桜衣。家族だった時間は短かったけれど、温かい思い出として、心の中にあり続けるだろう。

「――ありがとう……おとうさん」

 本間は歩みを止めていた。

「……ダメだな。年のせいか、最近、酒を飲んで無くても涙もろくてね」

 声を詰まらせた彼は首だけ振り返ると、照れたように目元を拭ってから言った。

 幸せになるんだよ、と。