しかし、このクールな御曹司が「かずくん」と呼ばれるとは……違和感が半端ないが、きっと近しい関係なんだろう。

「桜衣さん、黙っててごめんなさい。個人的に知り合いってなると色々面倒で、何となく言い出し辛くて……」

「ううん、私こそごめんね。変に気を遣わせちゃったでしょう」

 何となく仕事がやり辛くなるからという気持ちはわかる。
 現に自分と陽真が同級生だった事もわざわざ言う事じゃ無いと思って話していない。

「とにかく今日このまま帰った方が良いな。佐野さんには伝えておく。それと、明日は休んでもらう。土日挟んで3連休になるから、ゆっくり休んで回復すればいい」

「でも今日休めば明日は大丈夫かと……」

 今日はともかく明日まで休んだら周りに迷惑が掛かるのでは無いかと躊躇する。

「桜衣さん!」

 未来が声を上げる。怒っているような、それでいて泣きそうな顔だ。

「もう少し自分を大事にしてください!最近の桜衣さんは頑張り過ぎてて何だか……無理して仕事に逃げてる気がして見ている方が辛いんです」

「……未来ちゃん」

――身に覚えがあり過ぎる。

 こんなことになったのは自己責任。挙句、こうして迷惑を掛けてしまった。

「ごめんね、未来ちゃん」

 本気で心配してくれている彼女に謝ってから、副社長に言う。

「わかりました。すみませんが、お休みをいただきます。あと、念のためにですが……結城に連絡を取ることがあっても、私が貧血で倒れたと知らせないで頂けますか?確かコンペは明日でしたよね」

 知ったとしても、陽真が気にするわけでは無いのかもしれないが、コンペ直前に少しも煩わせたくない。本当に念のために出た言葉だった。
 
 
 
 
 1時間ほど横になった後、未来が呼んでくれたタクシー(料金は副社長に請求されるから気にするなと言われたがいいのだろうか)で帰宅した桜衣は寝続け、気が付いたら外は暗くなっていた。

「……もう8時かぁ」

 ゆっくり起き上がってみると、ほとんどダルさも頭のふらつきも無い。体はだいぶ楽になっている。

 ベッドに腰掛けて腕を伸ばして伸びをすると自然と視線が壁の桜の絵に向かう。

 いつもと変わらない優し気な色合いに心がほぐれ、肩の力が抜けるのを感じた。

「あーあ」

 思わず言葉が零れた。

「未来ちゃんに痛いところを突かれちゃったなぁ……」

 本当は自分でも気づいていた。
 
 仕事に逃げて、陽真の事を考えないようにしていたこと。
 
 史緒里の話を聞いてからは猶更だった。
 あんなタンカを切ったものの、彼が本当にINOSEを退社したらと考えると、寂しいと思ってしまう自分本位な気持ちは消すことが出来なかった。
 
 あの時、陽真から離れようとしたのは彼の為では無く本当は自分の為だったのでは、とさえ今は思う。

 彼の傍にいて、これ以上好きになってしまったら――と、先のダメージを恐れ恋心にブレーキを掛けたかったのだ。
 
 しかし、既に手遅れだった。

 既に彼は桜衣の心の中の深い所まで入り込んでしまっていたのだ。
 
 彼に『好きだ』と言われた事は無い。
 結局は『ゲーム』という旧友とのコミュニケーションを楽しんでいただけなのだろう。
 こうして離れてしまえばあっさりと繋がりは無くなっていく。
 会えない事でそれを思い知るのが辛かった。
 
 忙しければ、余計な事を考えないで済む。
 必要以上に目先の事に打ち込む事で自分の弱い心に気付かないふりをした。

「周りに心配かける位ボロボロになるまで働いて。まったく、いい大人なのにね……」

――やっぱり、恋ってしんどい。こんなに弱い自分を思い知らされるとは。

 自嘲して、思い切り溜息を付いた、その時だった。