中学3年への進級を目前とした春休みのある日、午後から部活で登校していた桜衣は活動が終わった後、職員室に寄り用事を済ませ、校舎から出る。
 校庭をしばらく眺めた後、校門を後にした。

 もう日は落ちかけていたのだが、何となく帰りがたくて通学路の途中で足を止め、胸ほどの高さのフェンスに腕を預けて川の流れを眺める。

 ちょうど桜が満開で、時折ヒラヒラと花びらを落としている。その様子がさらに桜衣の心を切なくさせる。
 木の影だし、この辺りは人気が無いので、女子中学生がひとりぼんやり川を見つめていても訝しがられることもないだろう。

「――本間!」

 自分を呼ぶ声にハッとして振り向くと陽真が立っていた。
 走っていたのか、少し息が上がっている。

「結城、どうしたの?その大荷物で走って来たの?」

 彼は剣道の防具やら竹刀やらを持っているため大荷物だ。
 剣道部の主将でもある彼の活躍で剣道部は県内トップの実力を誇っていた。
 彼の濃紺の剣道着姿は凛々しく麗しいと、女子生徒から母親たちまで大人気だった。

「いや、明日から部活休止期間だろ、一度全部持ち帰ろうと思って――本間は陸上部の癖に大荷物だな」

「……あー、うん。置きっぱなしにしてた教科書とかがあったみたいで」

「ふーん」

 陽真は重そうな荷物を足元にドシリと降ろし桜衣の隣に並ぶ。

「……川を眺めてたの?」

「うん」

 この川の流れは東京と違っていて澄んでいる。登校時、朝の光を反射してキラキラして見える様子も好きだった。

 しかし、川の水は当たり前のようにこの土地に留まることなく、あっと言う間に違う場所に流れていく。
 桜の花びらを乗せて。

「川って、自分がどこの海に流れ着くか知ってるのかな」

「……どうだろうな」

 我ながら意味不明で感傷的な発言だったが、彼は茶化すことはなかった。
 
 しばらくふたりは並んで川の流れを眺めていた。

「本間は、高校どうするんだ?」

 ふいに陽真が口を開く。

「え、高校?」

 3年への進級を前に、既に受験の話題が本格的になり始めていた。友人の間ではのどの高校を受けるとか、学校見学に行くとかの話が良く出るようになっていた。

「うーん……まだ、決めれて無いかな」

「おまえさ、俺と一緒の高校受けないか?」

「結城と?」

 前に聞いた事のある彼の志望校は、県内でもトップの進学校だ。

「いやいや、無理だよ。私、結城みたいに賢く無いし」

「何言ってんだ、本間なら今も成績も内申もいいし、今から努力すれば何とかなるよ。勉強なら俺が見る……なぁ、一緒に頑張らないか?」

 彼は本気で言ってくれているようだ。

「……なんで、そんな言ってくれるの?」

 思わずポツリと出た言葉。少しの間の後、答えが帰って来る。

「高校行っても、本間と……ずっと、一緒に居たいから」

 桜衣は思わず顔を上げ、視線を川の流れから隣の陽真に移す。
 
 陽真も桜衣を見ていた。距離が近くて思わずドキリとする。彼の顔は真剣だった。

 嬉しかった。そういう風に思ってくれて。
 ただ、純粋に嬉しかった。

「……ありがとう」

 でも、切なくて泣きたかった。

 その後何も言えないでいると、彼が屈み桜衣の顔に影を作る。
 
 刹那、桜衣の唇に柔らかいものが触れた。

「……」

 一瞬何が起こったか分からず驚きで身を固くしてしまったが――初めてのキスは嫌では無かった。

 すぐに桜衣から離れた彼から何も無かったように
「次も同じクラスになれるといいな」と言われたので俯いて「うん」と答えた。
 
 恥ずかしさと、隠し事をしている後ろめたさで彼の顔を見る事が出来なかった。