陽真はさも当然のような言い方をする。

「……さっきのは冗談だったのよね?」

「冗談なんて言ってない。俺、結婚願望が強くてさ、そろそろ結婚したくて日本に帰って来たんだ。それで、偶然君と再会するなんて、運命じゃないかと思ったんだ。君は独身で、将来を約束した相手もいないなら何も問題はない」

「ちょと待って、問題しかない。結城酔ってるの?落ち着いて。私たち再会したばかりだよね」

 つい2時間前に!

「酔って無いし、至極冷静。それに時間は関係ない」

 言葉の通り彼は落ち着いて見える。

 桜衣は肩を落とし、はぁ、と今度は大きな溜息を付く。

(寧ろ酔ってもらってた方が良かったわ……)

「あんたの思考回路がおかしな事になっているのはわかった。まぁ、本気だと仮定して、私、結婚とかする気が無いの。覚えてるかわからないけど、中学の時からそうだった。結婚したいなら他をあたってもらえる?」

 最初の敬語は何処へやら、随分失礼な物言いになってしまったが、もうこの際気にしない。

 目の前の男は客観的に見て最上級のイケメンだ。つまりイケメンを面倒で信用できないと認識している桜衣にとって最悪の相手なのだ。
 そもそも彼ほどの男なら結婚願望があろうとなかろうと女性に困る事などないはずだ。

「へぇ、中学の頃から変わってないんだな――なら『結婚相手に求める条件』をクリアする男が居たら結婚するって言った事も変わって無いよな」

 陽真は桜衣の言葉を聞くと人の悪そうな顔になる。

「えっ」

 桜衣は思いがけない言葉に唖然とする。
 
 確かにその事は覚えている。まさに昨日思い出していた。
 しかしあの時は陽真の勢いに押されて思い付きで言ったから、内容なんて忘れている。というか、彼があの黒歴史を覚えていることに動揺する。

 陽真はテーブルの上に付いた肘に体重をかけて内緒話をするようにこちらに身を乗り出してくる。

「桜衣、こうしないか?俺はあの時君が言っていた条件に見合う男だってことをプレゼンする。全部クリア出来たら君は俺と結婚する。仕事優先ならもちろんそれでいい。それでも無理やり俺の居場所も確保するから」

「……」

 傍から見たら極上の男が物凄く熱い口説き文句で迫っている図だ。個室が幸いして人に見られることは無いが普通の女性ならうっとりとしてしまうシチュエーション。

 しかし、桜衣の頭の中では鐘の音が聞こえ始めた。もちろんウエディングベルでは無い、
警鐘と言う名の鐘の音だ。

「く、クリアなんて、ゲームみたいなこと言わないでくれる?」

「ゲーム、か。君が乗ってくれるならそう思ってもらっても構わない。もしクリアできなかったら俺は君を諦めて他をあたる」

「ねぇ、最初から他をあたればいいんじゃないの?」
 
「もちろん勝算しかないけどね。桜衣は自分で言った条件、覚えてる?」

「……覚えていない」

 若干会話が噛み合わないような気がするが正直に答えてしまう。
 
「俺はバッチリ覚えてる」

「……」

 確かこの男、中学の時も人を巻き込むのが上手いタイプだった。だめだ、相手のペースに飲まれてはいけない。

 桜衣は一旦心を落ち着かせようと無言でほうじ茶を啜る。

「桜衣――キスまでした仲じゃないか」

「グふっ」

 思わずほうじ茶を吐き出しそうになって慌てて飲み込む。

「それも忘れちゃった?」

 急に同級生っぽく聞いてくるのはやめて欲しい。

「え~っと何のことかな……」

 桜衣の視線は宙をさまよう。

「へぇ?君の中でアレは無かった事になってるんだ……じゃあ、思い出す?」

 彼がさらに身を乗り出し、顔が目前に近づく。

 テーブルがギシリと軋む音と同時に、事態を把握できないでいる桜衣の唇に彼の唇が重なり、一瞬ですぐに離れた。

「――っ!」

「……もう、黙って俺の前から消えるなよ」

 陽真は硬直する桜衣の鼻先で低い声で呟く。終始どこか余裕のスタンスだった彼が真顔になった気がした。

「結城……」

「と、言う事で明日からよろしく。本当にINOSEに入社して良かったよ。桜衣に再会出来たんだから」

 真顔だと思ったのは気のせいだったのだろうか。
 桜衣は絶句しながら目の前の男を睨む。その笑顔に胡散臭さしか感じなかった。