薄暗い魔界の空。
 一人で窓からそれを見ていた。想い人は何をしているのだろう? 見ている空は完全に違う。
 (早く会いたい・・・)
 白の大地の空は、青空で輝いている。それに対して、黒の大地の空は薄暗い、気分がどんよりする。
 白の大地を経験していない魔族は、気にも留めないだろうな。
 黒の大地にも光があれば、慢性的な食糧不足も解決するかもしれない。ムダな争い事が減ることはいいことだ。物騒な黒の大地も少しは落ち着く。
 (あぁ、ルシファー様・・・)

 魔界のことを預かってから、数ヶ月の間、ルシファー様の顔を見ていない。白の大地は、ほぼ兄妹ゲンカで壊滅的な状況だ。責任を持って復興なされるのは、いいことなのだろうが、私のことも少しは理解してもらいたい。仕事を放り出しても、今すぐにでも会いたいのだ。顔を見たくて仕方がない・・・。この想いだけが、日々、積み上がっていく。

 そんなことを考えていた時に突然の来訪者があった。
 アドラと名の知れた黒猫の冒険者だった。
 「何を湿気た顔をしているのさ。あんたらしくない」
 「あぁ、アドラか・・・。今日はどうしたんだ? 何か私に用事があるのか?」
 「私があんたに用事がある訳がない。ただ、ひさしぶりに『顔でも見てやろう』と思っただけよ。用事があるのは彼の方よ」
 そう言って、黒猫の冒険者を私の前に連れてきた。
 「やぁ、ひさしぶりだね。ベルゼブブ、ルシファーに会えなくって寂しくないかい?」
 (な、なぜ分かるんだ。お前はエスパーか?)
 心の奥に閉まっている恋心を覗き見された気がした。
 (は、恥ずかしい・・・)
 「・・・ゴメンよ。ちょっとデリカシーがなかったね。そう顔に書いてあった気がしたんだ」
 「・・・」
 私は知らず知らずの内に顔を触っていた。その冒険者に笑われてしまった。後で教えてくれたのだが、その冒険者も同じことをしたことがあったらしい。
 「何、何? ひょっとして図星だったの?」
 「・・・悪いか。私はルシファー様のことが好きなんだ。愛している・・・」
 「もっと早く教えなさいよ。水くさい。あんたと私の仲じゃない」
 「・・・アドラ」
 「持つべき者は友」とでも言うべきなんだろうが、私とアドラは「そんな仲ではない」と、ずーっと思っていた。
 (すまない、アドラ)
 「そうだ、そんなことより用事を済ませなさいよ」
 「・・・そうだね」
 黒猫の冒険者は、笑顔で私に話しかけた。
 「その願い、叶えてあげるよ」
 何かの作戦に私の力添えが必要らしい。詳しくは教えてくれなかったが、ルシファー様の元へ行くようだ。
 (ルシファー様に会える・・・)
 私はそれだけでいいのだ。彼の作戦に乗ることにした。私がドレスを着て駒になることが、その作戦に必要だったのだ。
 (こんなことをして、ルシファー様に怒られないだろうか?)
 私はルシファー様に嫌われたくない。だから恋心を閉まっているというのに・・・。
 アドラは興味半分、おそらく冷やかしだろう。こんなことをするメリットが感じられない。
 黒猫の冒険者は、どうなんだろう? 異世界からやって来た猫だ。私にはそれ以外のことは分からない。サタンやルシファー様と、仲がいいことしか知らないのだ。
 (今はこの黒猫を信じるしかあるまい。ドレス姿か・・・)

 着替えを済ませ、駒となった私は、コインケースの中で大人しくしている。既に作戦は始まっているのだ。
 (しかし、ルシファー様を騙し討ちするようなことをして、本当に大丈夫なのか?)
 ・・・不安な気持ちが、あふれてくる。
 (いや、ダメだ。この黒猫を信じるんだ。既にサイは投げられたのだ)
 私は、出番まで待つだけだ。

 ルシファー様の執務室。
 ティータイムは続く。ルシファー様がポツリと独り言を言ったのが聞こえた。
 「もっと早くにオテロと会いたかったものだ。そうすればもっと違った結果になっていただろう。天使達には申し訳ないことをした」
 (何のことだ?) 
 「気づいていないだろうが、おそらく君は特異点なのだ。そう考えると時空移動の件などの説明がつく」
 驚愕の事実を知らされた。
 (ば、ばかな特異点だと・・・。この黒猫が?)
 ルシファー様の言われたことが信じられなかった。
 (ただの黒猫じゃないか?)
 奴は猫妖精の王様、ケット・シーと変わらない姿だ。
 天使長のミカエルが、それに対して疑問があったのだろう。
 「兄さん、特異点とは何だい?」
 「常識では定義できない存在だ。簡単にいえば、この世界の正義にも悪にも成りうる存在ということだな」
 「そんなオテロをイロイロな場所に冒険させていてもいいのだろうか? 私は怖くなったよ。何かのキッカケで悪に染まってしまったらどうするんだ。この世界の脅威にならないだろうか?」
 「相変わらず慎重だな。お前は・・・。オテロがそんなことをする訳がない」
 「いや、しかし・・・」
 「それだけ信用できないのならば、お前も冒険についていけばいいだろう。ずっと監視すればいいのだ」
 (ちょっと待って、この展開は・・・)
 ルシファー様の顔が、にやついている。
 (あの、しかめっ面のルシファー様が・・・)
 こんな表情は初めて見た。
 「兄さん、何をたくらんでいるんだ」
 「実はな、オテロさえよければ、お前の婿にどうかと思っていてな・・・」
 (えっ、どうして?)
 ルシファー様の企みなのか? だからここにくるのに私が呼ばれたと言うことか・・・。
 出番があるであろう時まで待機だ。ゴクリとつばをのみ込んだ。
 「ど、どう考えたらそうなる。私は結婚なんて・・・」
 (そうです。ルシファー様、勝手に決めてはいけません・・・)
 「先ほども言ったが、お前には幸せな生活を送って欲しいのだ。ゼウスもテュポーンもこの世界からいなくなった。脅威は去ったといえるだろう。残る不安は一つ、お前のことなのだ」
 「そんなことを言うなら、兄さんだって結婚していないじゃないか。私が花嫁を見つけてやるのが先だろう。兄さんだって幸せになる権利はあるハズだ」
 (うん、いいぞ。ミカエル、その通りだ)
 この展開は予定していなかったが、オテロは切り札の罠として、私を用意していた。
 「ミカエルさん、ルシファーの花嫁に会ってみる気はないかい?」
 奴は駒(私)を投げた。召喚。
 「オテロ、これはどういうことだ」
 動揺するルシファー様。
 「ルシファー様、私では不服でしょうか?」
 私は、はじらう乙女のような姿で下からルシファー様をのぞきこんだ。オテロの奴から、そうするように事前に言われていた。
 ここまでは、計算通りのシナリオだった。ルシファー様は、顔を赤くしてだまりこんだ。
 (ひ、ひょっとしたら、このまま・・・)
 「オテロ、ちょっといいかしら」
 オテロは、デメテルとミカエルに事情を説明していた。その間、私はドキドキが止まらなかった。今の私は魔王ではない。一人の女性だった。
 「なるほど、そう言うことね」
 「では、我々はジャマをしてはいけないな。兄さん、年貢の納め時だよ。決断するんだな」
 クスクスと笑うデメテルとミカエル。
 「・・・わかった。婚姻しよう。これからは妻として、ずっと側で支えてほしい」
 「・・・はい」
 私は泣いた。もちろん、嬉し泣きだ。部屋はあたたかい拍手につつまれた。私は人目をはばからず、ルシファー様に抱きついた。

 ― 半年後、教会にて厳かな結婚式が執り行われた。
 名だたる天使も悪魔も竜人も参加。一抹の不安はあったが、さすがに式を台無しにする者はいなかった。
 (ホッ)
 胸をなでおろした。
 考えすぎだった。この世界の名だたる強者が集まっているのだ。「怒りを買うようなことはしない」ということだろう。
 私はアドラにブーケをくれてやった。「次はお前の番だぞ」という意味だ。アドラに珍しく感謝された。お互いに「明日は槍が降るな」と思ったものだ。

 今、私は絶賛幸せの中にいる。奴には感謝だ。奴がこの世界に現れなければ、結婚なんてしなかっただろう。ただの片想いのままだったハズだ。
 私の恩人は、もうこの世界にはいない。元の世界へ帰った。
 私は魔王の一人だ。いつ戦いで命を落とすかも分からない。だから、一人息子に話をしてある。

 「Jr。『オテロ』と言う冒険者がこの世界で困っていたら、直ぐに駆けつけて助けるんだぞ」と。


 ― 完 ―