電話が、鳴った。
 机の上に置いてある固定電話の子機が、電子的にアレンジされたクラシックのメロディーを奏でる。チャイコフスキーの「白鳥の湖」だった。

 京香はそのメロディーを耳にして、緩慢に眠りから覚めた。
 暖かな布団に包まれたまま瞼を開けると、閉まりきったカーテン越しに窓から差し込む、ほの暖かい太陽の光が瞳に入ってくる。それから少し身じろぎをすれば、冷えた体に血液が回り始めて体温が上がりだす。

 なくなっていた意識が覚めて、身体に様々な感覚が戻ってくるのを感じながら、ゆっくりと上体を起こす。音源を辿ると、向けた視線の先に子機が見える。ピントの合わない視界に見える点滅する液晶には、受信元の電話番号が表示されている。それが学校のものだというのを直感的に理解するまで、そう時間はかからなかった。
 慌ててベッドから降りた。
 そのまま子機を取ると、メロディーはぴたりと止まる。

『……もしもし?』

 その声を耳にするとほぼ同時に、とっさに通話を切った。

 衝動的だった。
 その証拠に、数秒もしないうちに、やってしまった、という気持ちに襲われる。
 胸元に手を当てて意識してみると、ああ、これが罪悪感なんだと、心臓の奥がきゅっと疼くのを感じる。その重ったい感情を抱えながら溜息をついてベッドに座った。気付けば心臓がどくどくと脈打っていた。

 悪いことをしたというのは自分でもよく分かっている。だけど、どうしても行きたくない理由があった。行ったら、あの人たちに出会ってしまう。だから嫌だった。その感覚を確かめると、これまでと違う行きたくない事情が間違いなくそこにあるのを実感して、安心する。

 とにかく今日は行けない。行かない。そう心に決め込む。

 それでも程なくすると、そんな感情はいざ知らず、といった様子で、また着信を知らせるメロディーは鳴り響く。しつこいと思った。どうしてわたしみたいな人間のことを放って置いてくれないのか。舌打ちしたくなるような苛つきに駆られる。

 今度は、思い切って留守番電話に変わる前に子機につながるコンセントを勢いよく抜いてやった。ブツッという鈍い音がするのと同じくして、またメロディーは止まる。
 これで、もう鳴ることはない。

 どすん、とベッドに身を預ける。息を吐いた。といっても溜息なんかじゃない。さっきと違って今度は罪悪感とかそんなのを押しのけるくらい大きくなった、安堵感を感じていた。
 だって、あの声が聞きたくなかったから。聞かずに済んだから。