「確か、私にご用と……」
「ああ、僕が代弁しよう」

 セイドリックが『私』として話を促すと、エルスティー様が胡散臭い笑顔のまま紅茶のカップを持ち上げる。
 一口喉を潤してから、ズバッと『君の婚約者なんとかならないのあれ』とかなりストレートに言ってきた。
 あ、ああ……その件かぁ、そ、それねぇ、そ、そうですよねぇ……。

「も、申し訳ございません……」
「いや、君が悪いわけではない。そもそも、婚約者は保護者ではないのだ。謝ってもらわなくていい。すまない、気にしないでくれ、そういう意味で言ったのではないのだ」
「あ、ありがとうございます、メルヴィン様」

 なんてお優しいのかしらメルヴィン様。
 セイドリックがお礼を言う。
 けれど、私は深くため息をついた。
 アレはない。
 ええ、私の婚約者、シャゴインのジーニア様だ。
 座学のテストはカンニング。
 武芸のテストは従者にやらせる。
 態度はたぽたぽとしたお腹よりも大きく、口を開けば命令形。
 相手がこの国の貴族であってもお構いなし。
 アレは、ない!

「婚約者の君からなにか言って……も、聞かないかな?」
「聞きませんね、あれは」

 セイドリックが即答した私を不安げに見上げてくる。
 誰が言っても、彼は恐らく変わらないだろう。
 エルスティー様は頭をこてん、と傾けまた微笑む。

「そうかぁ。まあ、僕は構わないのだが」
「いや、困る。大変に困る」
「え、あ、は、はい?」

 メルヴィン様が腕を組み、そして脚を組み替え、顳顬を指で解す。
 エルスティー様はニヤニヤしているのに、この差はなんなのかしら。

「その……我が国の一部貴族の中にはその態度に大層腹を立てて……シャゴインを潰してしまえばいいのでは、と言い出す輩が出始めたのだ」
「ええ⁉︎」
「潰す?」

 今度はセイドリックがこてん、と頭を傾ける。
 な、なんて純真無垢な子なの⁉︎ 天使かしら!
 いや、今はそこに胸キュンしている場合ではなかったわ。

「頭の痛い話だ。我が国の国王陛下は先代が武力で他国を脅して統治したやり方が嫌いだった。それになにより、巨大になり過ぎれば統治も難しい。だから陛下は各国の統治権を尊重する、と仰り今の形になった。しかし、一部の貴族は自分たちが『どんな広さの領地も統治できる』という謎の自信を持っている」
「……そ、それは……」
「そう、まだ夢見ているのさ、『大陸統一』を。僕も割とその考えは面白いと思っているのだけれど……メルヴィンは反対なんだよね?」
「当然だ。……自分は陛下の考えに近い……この国の貴族は、その『統一』を果たした後の統治が可能なほど優秀ではない。過信だ。それに、それは精霊獣の怒りを買うだろう。人間はそこまで傲慢になってはならない。だからザグレの守護獣や精霊獣は『スフレアの森』に引きこもってしまったのだ」
「って言うんだよ」
「そう、ですか……」

 まだメルヴィン様はなにかを言いたげにエルスティー様を睨む。
 なるほど、ザグレの国は王族の方と、貴族の方で考えにズレがあるのね。
 いや、しかし……それは恐らくどこの国も同じ。
 というよりも、人である以上同じ考えの者などいないだろう。
 志を同じくする事はできても、同じ人間ではないのだから。
 まあ、それを束ねるのが王族としての責務。
 メルヴィン様は大国の王太子として、悩ましいのだろう。
 この方が次期国王ならザグレは大丈夫そうだけれど……。

「精霊獣様……私、一度でいいから見てみたいです〜」

 と、手を合わせてお花を飛ばすセイドリック。
 天使かしら?
 可愛すぎる。
 ああ、精霊獣様とはこの“大陸になった”神獣レンギレスが遣わせし幸運の獣。
 見れば小さな幸運を、触れれば中くらいの幸運を、認められれば大きな幸運に恵まれると言い伝えがある。
 国の繁栄はその国の王族が精霊獣に認められ、精霊獣がその地に留まれば約束されたようなものだとも。
 現在精霊獣が滞在していると言われるのは東のエディレッタ王国と東南のブリニーズ王国。
 神獣の森と隣接する我がロンディニアとシャゴインの王族には古く、神獣の森へ精霊獣を探しに行く儀式がある。
 成人した王子は、森へ挑み精霊獣を招く習わしがあるのだ。
 セイドリックも成人したら行かねばならないでしょうね。
 まあ、でも……。

「セシル姉様、確かに精霊獣様は幸運とその国が繁栄している証ではありますが……今は置いておいてください」
「あ、はい。すみません。それで、ええと、私にジーニア様の立ち居振る舞いを注意して欲しいと、そのようなお話でしょうか?」
「それはあまり期待していないが、してもらって改善するなら是非頼む」
「わ、分かりました頑張ります!」
「…………」

 セイドリックが拳を握って返事をするのはいいのだが、多分この場の誰もその『注意』に効果があるとは思っていない。
 効果がない事を分かった上でその話をする……ううん、これは本命ではないわね。

「それで、他には?」
「なかなか単刀直入に突っ込んでくるね?」
「まどろっこしい真似はお嫌いだったのでは?」
「うん!」

 満面の笑みだ。
 エルスティー様ってある意味ではとても分かりやすい方ね。
 しかし、突然その笑顔が複雑そうなお顔になる。
 な、なぜ?

「ああ、ええと、うんまあ、そのね」
「な、なんですか」

 なぜ突然言い澱むの?
 怖いんですけど?

「じ、自分から言おう。実はメル、んん、妹のメルティの事だ」
「メルティ様、ですか?」

 ああ、あのメルヴィン様の妹姫様。
 双子のご令嬢に左右をがっちり固められて、居心地悪そうにしているイメージ……。

「メルティ様の左右にいつも双子の令嬢がいるだろう? あの双子のご令嬢は公爵家の令嬢でねぇ……」
「えーと、それはつまり、もしや……」
「そう、セイドリックの考えている通り〜。メルティ様に取り入って、どちらかがメルヴィンの婚約者になろうとしているんだよ」

 ああ……やはり。
 分かりやすい感じでしたものね、アレ。
 それに公爵家。
 公爵家のご令嬢ともなれば、身分は問題ないように思うけれど……。

「なにか問題がおありのご令嬢たちなのですね?」
「会った事があるのなら分かると思うが、性格が悪い」
「そんな身も蓋も無い……」

 スパーンと言い放つエルスティー様。
 ますます頭を抱えるメルヴィン様。
 イフに目配せして、バーベインのハーブティーを準備させる。
 これまでの話を聞いていれば、イフならバーベインを察して持ってくるはず!
 バーベインは神獣の森の近くにはえる薬草の一種。
 お茶にすると苦く渋みはあるものの後味はさっぱりしている。
 効果は精神的な安定と、精神的な悩みからくる頭痛への鎮痛効果。
 異母姉たちからの虐めに参っていた頃の私が、よくお世話になったお茶なのだ。

「というか、どちらも婚約者になろうとしていて面倒なんだ。メルティを人質のようにして、私が私が、と鬱陶しく近付いてくるんだよ」
「ま、まあ、それも仕方ない事なのでは?」
「そうだけどさすがに、ねえ?」

 エルスティー様が見たのはメルヴィン様。
 顳顬を押さえたまま動かれない。
 う、うぅん、これは、確かに限界のようですね……。
 しかし、他国の私たちはこの問題に介入する理由がない。
 王子に恩を売る、という点においては実に魅力的ではあるが、具体的になにをすればいいのか……。
『セシル』には婚約者がいるし『セイドリック』は国内で婚約者を探す予定なので、性格が悪いと断言さるている令嬢とお近付きになる必要性を感じないわ。

「そこで、セシル姫に頼みがある」
「「は、はい?」」
「メルティ様と友人になってくれないかな? セシル姫は年上だし、友人が変わればメルティ様も精神的に安定すると思うんだよ。今のあの双子が側にいると変な影響ばかり受けるしね」
「「………………」」

 セイドリックと顔を見合わせる。
 そ、そうねぇ、まあ『セシル』は確かに年上ね。
『セイドリック』は……同い年だけど。
 それにあの双子に左右を固められた姫様の事を思い出すと、振り回されていて可哀想だな、とは思っていた。
 ザグレの姫と友人になる、というのは、私なら一向に構わないのだけれど……。

「ダメかな?」
「私、メルティ様とお友達になりたかったのです! こちらこそ!」
「…………」

 って、言うわよねぇ! うちの天使なら!
 セイドリック、本当に大丈夫なのかしら?
 相手はあの厄介そうな双子のご令嬢。
 友人の座を奪うのはそれなりに骨が折れると思うのだけれど……。

「あの、あの、その代わりと言ってはなんなのですが! エルスティー様、メルヴィン様にお願いがあります!」
「もちろん構わないよ。叶えられる範囲にはなるけれど、お礼はしたいと思っていたから」

 え?
 セイドリックが交渉を⁉︎
 わ、私の知らぬ間に王族らしく他国の王族貴族にきちんと対価を求めるように……!
 セイドリック! 成長したのですね!
 私は嬉しいですっ!
 して、一体なにを求めるのかしら?
 交易? いえ、ここは普通に上級クラスへ入るための加点?

「私、騎士になりたいので剣を教えてください!」

 ン、ンンンンンン〜〜〜〜?

「…………」
「…………け、け、剣?」

 あ、ああ! ほら!
 お二人の表情が固まった!
 かろうじて半笑いのエルスティー様が聞き返しているけれど、肩がプルプル震えている!
 な、なぜにそこをおおぉ〜⁉︎
 剣なら私が教えてあげるのに〜!

「な、なぜ姫である貴女がそのような……」
「失礼致します、こちらバーベインティーでございます」
「あ、ありがとう?」

 さすがだわイフ。
 やはり私の意図を汲んでくれたわね。
 目の前に差し出されたお茶に、困惑気味のメルヴィン様。
 一応「苦味と渋味がありますが、頭痛によく効きます」とフォローしておく。

「えっと、私、可愛くて強い姫騎士になりたいのです! でも、剣はあまり得意ではなくて!」
「な、なるほど? 姉弟揃って、お、面白いね……っ」
「笑いすぎですよ、エルスティー様」
「……ほぉ……た、確かに飲むと気持ちが落ち着くような気がするな……」

 笑いを堪えるが堪えられてないエルスティー様と、バーベインティーをお気に召してくださったらしいメルヴィン様。
 私は頭を抱える。
 そんな私の前にも、イフはこれ見よがしにバーベインティーを差し出してきた。
 本っっっ当に優秀な執事ね!

「ぼ、僕は構わないよ。というか、それなら今度から四人で剣の訓練をしない?」
「本当ですか! よろしくお願いします!」
「ぐっ」
「四人?」

 メルヴィン様がエルスティー様を怪訝な顔で見る。
 ニコニコとエルスティー様はメルヴィン様、ご自分、そして私を指差して、親指を立てた。
 同じくニコニコ……まあ、質はちがうけれど……するセイドリック。
 私とメルヴィン様は無表情のまま、バーベインティーを口にする。

「…………セ、セイドリック様、この茶の茶葉を分けて頂いても、い、いいだろうか……」
「ご用意して差し上げて」
「かしこまりました」

 ……多分来月辺りからバーベインの茶葉が交易品に加わる事だろう……。