弟が『姫騎士になる』と言い出したら私が王太子になる事になりました。

 

 セイドリックがあのダメ王太子に襲われて二日が経った。
 昨日は各国の王族の皆様を集め、事件の説明と私とセイドリックが入れ替わり生活をしていた事を暴露した。
 ついでに、メルヴィン様とエルスティー様が入れ替わっていた事も。
 驚いたのは、メルヴィン様とエルスティー様の入れ替わりを、シルヴィオ様とイクレスタ様がとうの昔に気付いていた……いや、知っていたという事。
 あのお二人とメルヴィン様、エルスティー様は何年か前、例の『スフレアの森探検』でアーカの国へ出た時に出会っていたらしい。
 シルヴィオ様が笑顔で『そうそう、懐かしいね〜。イクレスタ様がうちの兄を口説いている現場をメルヴィンに見られて、なぜか開き直り、遊び方から口説き方までそれはもう実践を目の前で行なって見せて……』『やめろおおおぉ!』……あ、こほん。
 まあ、イクレスタ様にとっては大変に触れられて困る内容のようなのでこの辺で……。
 まったく、自業自得とはよく言ったものね。
 メルティ様とレディ・ウィール様は、セイドリックの夢について『素敵!』と賛同してくださった。
 そして、問題のシルヴァーン様。
 話し終えてから顔面蒼白、表情はまさに無。
 この世の終わりのような顔で、大変に心苦しい事になっていた。
 だと言うのに、兄のシルヴィオ様は肩を震わせて弟を笑っていたのだから、もうあの人本当にもう……。
 当然、婚約の話は取り下げてくださるそうである。
 じ、実に申し訳ない。

「ふう」

 お風呂から上がり、髪をタオルで乾かしてからテラスへ出る。
 私の部屋から突き出た角部屋のセイドリックの部屋を見ると、灯りが点っているのが見えた。
 あのダメ王太子に襲われた事はショックだっただろう。
 でも、翌日からはおくびにも出さなくなった。
 早く忘れさせてあげたい。
 平気だと言っていたけど、平気なわけがないわ。
 これを理由に婚約破棄を言ってやりたいけど、こちらからの婚約破棄の申し出は異母姉たちがシャゴインに提示したデメリット発動になるのよね。
 とは言えこれはさすがにひどすぎる!
 異母姉たちだって王太子のセイドリックが襲われたと知れば、立場上シャゴインを非難しないわけにはいかないはず。
 でもあの異母姉たち……特に一番上のあの人は、自分の息子を王太子ーー次期王に据えたいと思っているから、ここぞとばかりにデメリットを優先させるかしら?
 いや、それはさすがにお父様が黙って…………。

「ん?」

 手摺りに手を置いて、月を見上げていた私はカサカサという葉音に塀を見る。
 塀に添うように立つ木の葉が、揺れている? まさか?
 目を凝らして見ると、塀に人が登ってきた。
 賊⁉︎
 塀の外の木は初日にメルヴィン様が登ってきたから、賊の侵入に繋がると思って切ってしまったのに⁉︎
 んん⁉︎

「…………メルヴィン様⁉︎」

 月明かりに照らされた銀緑の長髪。
 ザグレディア学園の制服。
 塀によじ登り、立つとすぐに私の存在に気付いて手を振ってきた。
 な、な、なっ……なにしてるんだあの方はーーー⁉︎

「っ……」

 辺りを見回す。
 あ、屋根を伝っていけばガゼボの上を通って塀まで行けるかも……。

『そ こ で お ま ち く だ さ い』
『オッケー』

 口パクだが、私の言いたい事は伝わったようだ。
 軽い頭痛を覚えつつ、上着を羽織り、ズボンとブーツを履いて屋根に降りた。
 できるだけ音を立てないよう屋根を伝い、ガゼボを通って塀の上にたどり着く。
 そこからメルヴィン様の元へとバランスを取りながら進む。

「こんばんは」
「ではありません! なにしてるんですかっ」
「君に会いにきたと言ったら信じる?」
「…………」

 かあ、と顔が熱くなる。
 目を泳がせると、外側の塀の壁に梯子を見付けた。
 ……なるほど、これを使って登ってきたのね。

「それにあれからゆっくり話せていないじゃないか」
「う……。し、しかしそれは、なんというか……」
「弁解くらい聞いてほしいものだと思ってね」
「べ、弁解?」

 なんのだろう?
 聞き返すと、柔らかく微笑まれる。
 胸がドキドキとうるさくなってきた。
 この方の、この笑顔はだめだ。
 まともに見ていられない。

「でも危ないし、まず座ろうか」
「は? 塀にですか?」
「月が綺麗だし、スリリングでいいだろう? それに、さすがに女性の部屋に入るのはまずいし? それとも入れてくれる?」
「叩き落としますよ」

 塀の上に座り、月を見上げる日が来ようとは。
 と、思いつつも、隣にメルヴィン様がいるのは……悪くない。
 遠くも近くもない距離。
 邸を背にするように座り、ドキドキとしながらメルヴィン様を盗み見た。
 相変わらずお綺麗な方……。

「懐かしいねぇ、そういえば君と出会ったのもココだった」
「そうでしたね……」
「あの日は入れ替わりの事でエルスに『やはりやめないか』と相談されて『やめたければ僕を捕まえてみるがいい!』と鬼ごっこ兼隠れん坊をしていたんだよねー」
「…………」

 そ、そうだったのぉ〜⁉︎
 哀れなり、エルスティー様!
 そしてこの人ほんとなにしてるの……。
 思わず頭を抱えてしまう。

「まさかここまで登ってくる人がいるとは思わなかった」
「完全にあの日は不審者でしたからね」
「あはははは」

 いや、今もか。
 仮にも王族の借りる住居に梯子を掛けて登ってくるなんて、王族のする事じゃないわ。
 まして塀に座るなんて!
 ……って、私が言っても説得力がないわよね……。

「思えば君は最初から僕の想像を超える人だった」
「それはこちらのセリフです。エルスティー様……いえ、メルヴィン様は、初めて会った時から何度も何度もこちらの都合などお構いなしに、こちらを振り回してきて……」
「そうかな? あの頃は退屈で退屈で息が詰まりそうで、僕は僕なりに足掻いていたんだよ」
「退屈、ですか? 毎日楽しそうでしたが?」
「退屈だったねー。だから普通ではない事はないか、毎日模索していた。エルスとの入れ替わりも、理由の一つは退屈から逃れる為だった」
「……そう仰ってましたね」

 エルスティー様が。
 先日顔面蒼白で朝に訪れた時、入れ替わりの理由の一つは『面白そうだから』と言っていた。
 でも、なぜそんなに退屈だったのかしら?
 ザグレは珍しいものもたくさんあるし、退屈する要素が見当たらないのだけれど?

「君も王族なら少し分かると思う。豪勢なものというのは見飽きるんだ。貴族たちのおべっかもね。町は賑わっているし面白いもの、珍しいものも多いけれど、いつからかそれも色褪せて見えるようになっていた」
「……それは、なぜです?」
「以前に言っただろう? 窮屈だったんだよ」
「…………」
「母上は、まあ当たり前だが、婚約者を決めろ、早く結婚して世継ぎを、しか口にしないし父は政治にしか興味のない人でね。僕やメルティにはあまり構ってくれない人なんだ。これだけ大きな国の王ともなれば多忙を極める。いつも過労死寸前まで働いて、僕らが顔を見るのは数日置き、なんて事もざらだ。あれが自分の将来かと思ったらゾッとしたよ」
「そ、そんな……」

 ここではない場所を眺めるメルヴィン様。
 その表情から、眼を逸らす。
 私のお父様は週末、必ず私とセイドリックを連れてお母様のお邸に帰る。
 小さい頃は必ず四人で食事をしていたし、お母様にも会いに行こうと思えば自由に会いに行けた。
 まあ、異母姉たちの嫌がらせで足止めされたりはあったけど。
 お父様も公務で一日働き詰めだったけれど、週末の習慣だけは必ず守っていた。
 ザグレほどの大国になると、それも難しいのかしら……。
 それは、確かに寂しい。
 そうか、この方は……メルヴィン様は……ずっとお寂しかったのね……。

「息苦しくて『スフレアの森』からアーカに行ったりもした。あの時はワクワクしたし楽しかったなぁ……アーカでイクレスタやシルヴィオたちにも出会えたし……うん、あの時のようなワクワクした気持ちがね、僕の中には圧倒的に足りなかったんだよ」
「はい」
「……だから、それを求めて足掻いていたんだ」
「はい」
「……でも君は、僕にまったく異なる答えをくれた」
「……え?」

 私?
 私、なにもーー。

「僕はこの国が好きだったらしい」
「…………。はい」
「そして見方を変えると、世界は美しいもので溢れている」
「……はい。今私たちの頭上に輝く月も、とても美しいです」
「うん」

 とても嬉しそうに笑うメルヴィン様。
 ええ、そうです。
 世界は広いし、美しいものがたくさんあります。
 お母様とお父様が笑い合いながらキスをして『ただいま』と『おかえり』を言う光景。
 家族で囲む食事。
 朝日が差し込む庭。
 苦手な事も頑張る弟の笑顔。
 それから、貴方様のその笑顔も……私にはとても美しく、眩く見えるのです。

「僕は女性が苦手だよ」
「……はい」
「君が女性だと知った時は素直に傷付いたし、がっかりしたし、悲しくもあった」
「…………すみません」
「でも隠し事をしているのは僕も同じだったから、そこは、僕もごめん。そして、一つ覚えておいてほしい」
「……?」
「僕は君の考え方が一番好きだ。君が女性だと知ったあともそれだけは変わらなかったよ。同性愛者だと思ってたけど、君の事は好きなままだから、どうやら僕は両方いけるみたい。……だから僕は君がいい。きっとこの先、君より好きな女性は現れない。断言できる。僕は君だけは愛し続ける自信がある」

 言葉が出てこない。
 まずい、また泣きそうだわ。
 家族以外で、私にこんな風に真っ直ぐ好意を伝えてくれる人なんて今までいなかった。
 いえ、お父様やお母様、セイドリック、イフたち一部の使用人以外ほとんど敵に等しい。
 異母姉たちの悪意に包まれるように生きてきた。
 疎まれる言葉ばかり聴いて生きてきたの。
 嫁ぎ先のあのダメ王太子を見た時、一生そんな風に想ってもらう事もないのだと諦めたのにーー。

「ねえ、君は? 君は僕の事をどう思ってるの? 今度は聞かせてよ」
「……私、は……」

 私の人生は、王族としての責務に捧げられるものだと思ってきた。
 でも、でも……。

 ーー『二年間は自由に楽しい思い出を作りなさい』

 お父様、今だけはいいでしょうか?
 自由に生きる。
 この、ザグレディア学園にいる間だけでもいい……。

「……メルヴィン様の事を……お慕いしております……」

 ああ、心臓が張り裂けそう。
 恥ずかしいのと、生まれて初めて家族以外に『心』を曝け出した緊張感。
 喜びや、伝えられる嬉しさ。
 顔はこれ以上ないほど熱いし、涙まで出てきた。
 その涙を拭うようにメルヴィン様の手が添えられ、顔が近付く。
 額が当たる。

「キスしていい?」
「…………は、い……」

 目をきつく閉じた。
 柔らかな感触が唇に触れる。
 一瞬のような、果てしなく長いような時間。
 その感触が消えたあと、恐る恐る目を開けた。
 とても幸せそうに微笑むメルヴィン様がいる。

「あ、でも、たまに町で男の子のつまみ食いとかしてもいい?」
「今ここでそれをお聞きになりますか⁉︎ ……いいですよ……」
「おや、存外悩まないね?」
「お、女の私では、メルヴィン様も物足りなくなる事もあるかと思い……あ、でも、セイドリックはダメですよ!」
「…………冗談だよ」
「……え? ん⁉︎」

 驚いた。
 今度は目を閉じる間もなく、唇を奪われる。
 こ、こんな、さっきとは全然違う口付けも⁉︎

「っ……」
「残念ながら今は他を見る余裕がない。……それに、例え本当につまみ食いしたくなっても僕の一番は永遠に君だ」
「………………」

 はく、はく。
 口が塞がらない。
 よ、よくもまあ、こんな……は、恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなく……!

「明日は勝つよ」
「え? あ……」

 明日は『月初めの交流会』!
 メルヴィン様とジーニア様の、決闘の日……!

「そしてあのボンクラから君を奪おう。どうか大人しく攫われておくれ、僕のお姫様」
「は、っ……」
「おやすみ。あ、梯子を降りる姿は地味でカッコ悪いから先に君が部屋に戻るのを見届けてから帰ろう」
「…………、……はい、おやすみなさいませ……」

 そして、どうか……本当に勝ってください。
 立ち上がって、心から月に祈る。

「頑張って攫ってくださいね」
「もちろん。必ず期待に添えよう」