弟が『姫騎士になる』と言い出したら私が王太子になる事になりました。

 

 話し合いの場は必要。
 けれど、今は些かタイミングが悪かった。
 お邸に帰ってからイフに『来月の月初めの交流会は夜会だそうですね。夜会用の新しいドレスと礼服が届きましたよ』と持ってきたのだ。
 私とセイドリックの顔には、よほどありありと『忘れていた』と書いてあったのだろう。
 瞬時に悟ったイフに呆れた顔をされてしまった。

「どうされたのですか、お二人らしくない」
「あ、えーと……も、問題が発生したのよ。かなり深刻な問題が……」
「ああ、まあ、そろそろそうなるかとは思いましたけどね」
「…………」

 冷静なイフの返しに肩が落ちる。
 すべてお見通しというわけね。んもう。

「セイドリック、ともかく着替えて食堂へ。色々聞かせてもらいます」
「はい、姉様」

 まあ、あの様子ではセイドリックもいまいち事態の深刻さというか、下手したら問題そのものをよく分かっていなさそう。
 ともかく私も覚悟を決めなければね。
 二階の部屋に戻り、ラフな格好に着替えて一階の食堂に降りた。
 運ばれてくる食事に手を付け、いつ切り出すべきかうんうんと一人悩む。

「姉様、あのね」
「!」

 どうやら私がどこから話すべきか、どれから決めるべきか、色々悩んでいるのに気付いたセイドリックが気を利かせてくれたようだ。
 食事の手を止めて「な、なに?」と努めて平静を装いつつ笑顔で返す。
 ……ちゃ、ちゃんと笑顔になってるわよね?

「昨日なんです。シルヴァーン様にジーニア様との婚約を破棄して自分のところにお嫁に来てくださいって言われたの」
「き、昨日⁉︎」
「はい。昨日のお夕飯にお話しようと思っていたんだけど、でも……姉様の気持ちも確認しないといけないし、そもそも婚約云々は私にもよく分からないから、最初にイフに相談したのです」
「!」

 イ、イフに相談!
 そ、そうかその手があったわ!
 完全に抜け落ちていた……ごめんなさい、イフ。

「え、ええと、それでイフはなんて?」
「私もまずはセシル様へご相談される事をお勧め致しました。セイドリック様は今『セシル様』として生活しておられます。婚約破棄以前に、シルヴァーン様が好意を持たれている対象が『セイドリック様扮するセシル様』だとするのならば、せめて王族の皆様にだけはセイドリック様とセシル様が入れ替わっている事をお伝えすべきかとは思います」
「そ、そうよね……私もそう、思います……」

 それと、エルスティー様にも……。
 王族の方々だけではなく、あの方にもきちんとお伝え、しないと……。

「……………………」

 伝えたら、なんて言われるのかしら。
 失望されて、嫌悪されるのでしょうね……。
 あの方は嘘つきな女が大嫌いだもの、ね。
 拳を握り締める。
 し、仕方のない事じゃない。
 だって騙していたのは事実だもの!
 自業自得……自業自得よ!

「姉様?」
「大丈夫よ。そうね、それではやはりお断りの方向でお話を進めましょう。お父様には私から手紙を書いて報告しておきます。貴方の夢についてだけど……」
「姉様はそれでいいんですか? せっかく婚約破棄してもらえるかもしれないのに……」
「セイドリック……」

 しゅん、と落ち込むセイドリック。
 ああ、やはり気にしていたのね、私の婚約者があの方だという事を。
 私が嫁いだあとの事も、考えてくれたのね。
 本当にいい子。優しい子なんだから……。

「あのね、セイドリック……シルヴァーン様が好意を寄せておられるのは……多分、貴方なのよ」
「?」
「だから、貴方が好きなのだと思うわ。きっとね。『セシル』ではなく、貴方を好きだから……結婚してほしいと言ってくださったのよ。すでに他国の王太子と婚約が決まっている……それでも貴方がいいと」
「………………え……でも、私は……」
「ええ、貴方が本当は『セイドリック・スカーレット・ロンディニア』だと知ればシルヴァーン様は諦めてくださるはず。でも、婚約者がいるという理由では、あの方は諦めてくださらないでしょう。……だってあの方が好きなのは……」

 なぜ、今エルスティー様に言われた事が浮かぶのかしら。
 あの柔らかな笑みで、優しい声色で、吸い込まれそうな瞳に見つめられながら……あの日『好きだよ』と囁かれた。
 私も好きです、と言えたら楽になるのだろうか。
 あの人の胸に顔を埋めて、そう返す事ができたならーーー。

「あの方が好きなのは、貴方なのよ」

 胸の痛みが喉を這うように登ってくる。
 それを耐えながら、絞り出すように告げた。
 セイドリックは目を見開いたあと、ゆっくりと伏せて「はい」と頷く。
 それがどういう意味合いなのかは残念ながら汲み取りきれなかった。
 ただ、眼差しは真っ直ぐで決意めいたものを感じる。
 ああ、この子はどんどん大人になっていく。
 立派な王太子に……次期王へ。

「……シルヴァーン様には、ええと、私が『セイドリック』とお話してお断りするんですね」
「貴方がどうするかは私には決められません。でも、貴方はロンディニアの王太子。彼もブリニーズの王子です。自ずと答えは出ているでしょう」「はい……男同士では世継ぎが生まれないですものね……」
「…………」

 さすがにそこは知ってたわね。
 よ、よかった。
 正直そこが一番不安だったのよ……。

「でも、それじゃあ姉様はどうするんですか?」
「へ? 私?」
「エルスティー様とお出掛けしたり、普段から親しくされているではないですか」
「っ!」

 バ、バレ……⁉︎
 セイドリックにバレていた⁉︎
 どどどどどどこまで、どこまでバレてるの⁉︎
 キ、キスされた事はさすがに知らないわよね⁉︎
 えーとえーと……っ!

「そ、そ、それは……」
「姉様はエルスティー様の事を、お慕いしておられるのではないのですか?」
「……!」

 そ……そこはバレているのか。
 うう、どのみちセイドリックには言うつもりだったのだ。
 観念しましょう。

「……そうね……」

 でもあの方とシルヴァーン様は違うの。
 ええ、決定的にね。
 行儀は悪いけどテーブルに肘を付き、組んだ手を額に当てる。
 だめだ、頭痛がするわ。
 シルヴァーン様はセイドリックを『セシル』だと思っているから好意を持った。
 でも、エルスティー様の場合私を『セイドリック』だと思って好意を持ってくださったの。
 この違い、お分り頂けるかしら?
 ……この差は、大きい……ものすごく。

「ね、姉様?」
「いえ、まあ、だから、セイドリック……私はエルスティー様にも入れ替わりの事をお話しようと思うの。いいかしら?」
「!」

 ……なぜ嬉しそう?

「はい! もちろんです! 頑張ってください、姉様!」
「? ありがとう?」

 なぜ満面の笑みで応援?
 ……ああ、そうか、セイドリックはエルスティー様が同性愛者と知らないものね。
 うふふ、まあそこは永遠に気付かなくていい事。
 そのままでいてね、セイドリック。

「まあ、という感じでジーニア様との婚約破棄に関してはシルヴァーン様の出方次第ね」

 普通に流れて終わりだろうけど。
 シルヴァーン様も『セシル』だと思っていた相手がロンディニアの王太子では、身を退かざるを得ないでしょう。
 あの方はちょっと暴走し易い性格のようだけど、王族としての自覚も弁えもおありだもの。
 着地点もシルヴィオ様やメルヴィン様にご協力とお口添えを頂ければ、まあ、なんとかできない事もないはず。多分。きっと。
 さて、そうなると次は話し合いの場ね。
 最初はシルヴァーン様とエルスティー様、メルヴィン様とシルヴィオ様と……うーん、前回の王族のみで行われたお茶会のメンバーにセイドリックを加えればいいかしら。
 なんというか、その場にジーニア様がいると話がこじれそう。
 というか、話ができなさそう。
 ジーニア様を交えた話し合いはそのあと、学園の談話室を借りて行う形が望ましいかな。

「…………」

 あの方に微笑んでもらうのも、優しい声色で囁いてもらうのも、もう終わり。
 今度こそ、きちんとお断りをしなくてはね。
 引き続き友人として、卒業まで仲良くしてくれたらいいのだけれど……。
 いきなり距離を置かれたら、クラスメイトたちから変に思われてしまうかもしれないし。

 …………エルスティー様、近いうちに……お返事できそうですよ……。