弟が『姫騎士になる』と言い出したら私が王太子になる事になりました。

 

 入学から半年を過ぎる頃。
 上級クラスにもすっかり慣れ、ミーシャ嬢の謹慎も解かれた。
 彼女のスカウトはイフに任せて、とりあえずしばらくは平和な日々を——。


「エルスティー! ミカが! ミカがいなくなった! 私のミカが!」
「に、兄様落ち着いて!」
「おちついて、にいさま……っ」
「落ち着いていられるか! 私のミカが帰ってこないんだぞ!」
「は、はあ?」

 平和な日々……。
 意外と早く崩れたわね。
 朝早く、登校してきたシルヴィオ様がエルスティー様に詰め寄った。
 こんなに狼狽えたシルヴィオ様は……は、初めてね?

「なんだあれは、どうしたというのだ?」
「お、おはようございますイクレスタ様……お仕事はひと段落されたのですか?」
「ま、届いた分はな……」

 アーカ王国王太子イクレスタ様はお国からお仕事が届くらしい。
 ので、割とよくお休みされる。
 次期王としてすでに働いておられると思うと、私ももっと頑張らねばと……いや、それは今は置いておこう。

「ちょっと落ち着きなよ。事情が呑み込めない」
「どうされたのですか? ミカ、とは?」
「私のマイスートハニーだよ!」
「「……………………」」

 メルヴィン様とエルスティー様が表情を消す。
 ちなみに私の横のイクレスタ様もだ。
 トテトテとセイドリック、メルティ様も近付いてきて「どうしたの?」と私に聞いてきた。
 あいにく、私にもさっぱりなのよね。

「もしかして、ブリニーズから連れてきた小動物?」
「小動物じゃない! 私のマイスートハ」
「それはいいから」

 むご。
 と、シルヴィオ様の口を塞ぐエルスティー様。
 な、なんかエルスティー様ってシルヴィオ様への態度が大変に無礼というかぞんざいというか……い、いいのかしら、一国の王太子にあの態度。
 これだからザグレの貴族は、まったくもう……。

「シルヴァーン殿、説明してくれないか?」
「は、はい、メルヴィン様……。ミカとは兄様を助けてくれた事のある命の恩人のような存在で、兄様は溺愛といいますか……まあ、とにかくとても大切な存在なのです」
「私の命より大切なんだよ!」
「分かった分かった、君の一人称が素に戻るくらい大切なのは分かったよ」

 一人称……そういえばシルヴィオ様の一人称は『自分』だったはず。
 素は『私』だったのか。
 いや、しかし……。

「なぜ一人称を偽る必要が?」
「そういえば貴国はあまりブリニーズと親交が深くなかったな。あの国の王族には妙な仕来りが多いのだが、中でも『真名(しんめい)』と『諱(いみな)』という、他国にない文化がある」
「えっと、それは、どういうものなのですか?」
「『真名』は文字通り真の名。親と妻または夫にしか明かさぬ名だ。プロポーズと言われるものはこの『真名』を告げる事だと言われている。『諱』は死後の名。ブリニーズの歴代の王は生前の名を捨て、死後はこの『諱』で語り継がれる」
「そ、そうなのですか。独特な文化があるのですね。勉強不足でした」
「い、いや。……まあ、なんにしてもそのようにブリニーズの王族は名に繋がるものをよく隠す。王太子ともなれば一人称からして別なものを使う事も必要になるのだろう。嘘偽りが多いというよりも、隠さねばならない事が多い故の処置のようなものだ。そこを汲んでやれば、関係も良好に進められる」
「そうなのですね……ありがとうございます、イクレスタ様」

 さすが隣国の事についてはお詳しいのね。
 ブリニーズ王国……奥が深い。
 ちょっとよく分からないけど、そういう文化、という事ね。

「いつもなら午後のお散歩から帰って、そのまま邸の庭や日向で昼寝しているのに、昨日の夜から帰っていないんだ! ザグレの騎士団を貸し出してくれ! 白に茶色や赤毛の模様が入ったふわふわの生き物だ! 耳は三角、足は四本尻尾はこのくらいで……」
「に、兄様落ち着いてください!」
「……にいさま……」

 あ、あんなにシルヴィオ様が狼狽えるなんて、よほど大切な方なのね……。
 ところで、そのミカという名前、以前シルヴィオ様の恋人? としてお名前を伺ったような?
 しょ、小動物だったの?
 い、いえ、軽んじてはダメよね。
 いつも余裕のある立ち居振る舞いのシルヴィオ様が、あんなに慌てておられるのだもの。
 きっと私にとってのセイドリックのような存在なのだわ。

「…………。私も探すのをお手伝いします!」
「! セ、セイドリック殿……!」

 考えただけで死ぬ!
 セイドリックが行方不明⁉︎
 全力で捜索するわ!
 どんな手を使っても見付けなければ!
 セイドリックが帰ってこないなんて、そんな! なにかあったんだわ! 早く探さないと! いやよ、そんなの、絶対無理!
 シルヴィオ様が狼狽えるのも無理ないわ!

「お散歩コースはどのような……」
「いつもあの辺りを散歩しているらしく……」
「ちょ! ちょっとちょっと! 距離が近い! あと、なんでセイドリックがシルヴィオのペットの捜索に協力的なの?」

 まずは状況の確認よね。
 そう思ってシルヴィオ様に探し人……いえ探している生き物の特徴他、歩くルートや行動範囲、どういう性質なのかを詳しく教えてもらう。
 そこを邪魔してきたのはエルスティー様。
 ものすごーく不機嫌。
 今エルスティー様が不機嫌になる要素あった?

「ペットではない! 私の最愛の人だ!」
「だからそれはもういいってば。……というか、あんな珍しい生き物を繋いておかないから迷子になるんじゃないか。檻にでも入れておけば良かったのに……。自己責任だよ、セイドリックが手伝う必要はないってば」
「なんて事を言うんですか!」
「え、ええ?」

 繋いでおく?
 檻に入れる?
 そんな事できるはずもない!
 セイドリックには自由に、好きなように生きて欲しい。
 そう思うのは姉として当然!
 王族故、ままならない事もあるでしょう。
 大人になればそういうものは増えます。
 でも、今はまだそんなしがらみを気にする事はなく思うままに生きて欲しいじゃないですか!

「猫を捕らえておくなんて、そんな無体な!」
「…………。ネコ?」
「え? はい。耳が三角で大きさがこのくらいで尻尾が長くて四本足で……極め付けは『にゃー』と鳴くのですよね?」
「え? シルヴィオ様の飼っておられたのは猫なんですか⁉︎ 私も猫大好きです!」

 なぜそこでキョトンとするのか。
 私とセイドリックが頭に『?』を浮かべる。
『にゃー』と鳴く生き物なんて猫しかいないじゃない。
 なぜ、そこで不思議そうになるの?

「ネ、ネコ? 確かにミカは何度も自分をネコだと言っていたけど……」
「?」
「え? 猫が自分を猫だと言ったんですか?」
「あ、ああ、満月の夜には人間の姿になるんだけど、その時に『自分はネコだ』と言っていたんだ。しかし、我が国にはネコなる生物はいない」
「???」

 セイドリックと顔を見合わせた。
 は、はあ? ね、猫が満月の夜に人間の姿になって『自分は猫』と宣言する?
 は、はあ?

「え、ええと、普通猫は満月の夜に人の姿に化けたりはしませんけれど……」
「そ、そうだよね? いや、だからミカは特別なんだよ!」
「セイドリック、もしやその猫は精霊獣様なのでは……」
「猫の姿をした精霊獣、ですか? ……え、ええ? そ、そんな話は初めて聞きますが……」

 セイドリックが私を見上げながらそう言い出した。
 私も精霊獣の姿を目にした事はない。
 しかし、我が国には『スフレの森』に王になる者が挑み、精霊獣に認められる試練がある。
 その文献によれば精霊獣は巨大な鱗のある蜥蜴(とかげ)。
 この大陸となった神獣レンギレス様に似た姿をしている……と読んだ事がある。
 もしかして、意外とそのくくりではないのかしら?
 猫っぽい精霊獣もいるのか〜。
 ちょっと見てみた……………………精霊獣って言わなかった? 今。

「せ、精霊獣、なんですか⁉︎ 探しているの⁉︎」
「本人はよく分からないと言っていたけれど、僕に精霊獣の加護が付加している事を考えると、ミカは精霊獣なのではないかと思っている」
「に、兄様ーーー⁉︎」

 しーん。
 と、クラス内が静まり返る。
 そう、嵐の前の静けさだ。

「き…………騎士団に連絡しろ! 全騎士団総出で王都を捜索するんだ!」
「精霊獣探しだと⁉︎ き、貴様もっと早く言わぬかー! 我が国の騎士も全員だ! 見た者触れた者にはご利益がある! 急げ! 他国に遅れをとるな!」
「我が国の騎士もだ! 早く全員集めて探し出せー!」
「精霊獣が迷子だと⁉︎ ブリニーズの精霊獣が!」
「探せー!」

 教室は一気に大混乱。
 綺麗に並べられていた机や椅子は傾き、時には倒れ、各国の令嬢令息は血相を変えて教室から使用人を呼びに出て行く。
 メルヴィン様やイクレスタ様もご自分の国の騎士団招集に駆け出し、教室に残ったのは私とセイドリックとブリニーズ三兄弟のみ。
 エルスティー様やメルティ様まで、いつの間にいなくなったのかしら。
 いや、まあ、精霊獣は見ただけで幸運が舞い込むという。
 だ、誰でも直接探しに行きたくなるわよねぇ。

「皆みっともないな! ミカは私のものだというのに!」
「そ、そうですね……?」

 そこぷんすこ怒るところ?
 ひええ、シルヴィオ様なんて事を……これは中級や下級クラスにも間違いなく飛び火するわね。
 いえ、下手したらザグレの貴族やお城にも……。
 王都も大騒ぎになりかねないわ。
 なるほど、それで現在進行形でシルヴァーン様が頭を両手で抱えているのか。
 内々に探したかった、わよねぇ……。

「兄様! あんな事をこんなところで暴露してどうするんですか! ミカが誘拐されたら! 我が国にようやく現れた精霊獣なのに!」
「なにを言う。ミカが選んだのは私だよ? ミカの加護は私に付加しているんだ! 他の男の元へなどやらないよ!」
「で、は、な、く!」
「に、にいさま……ミカが、ミカの意思で奪われたら……って、シルヴァーンにいさま、心配してる……」
「そんなの力付くでも取り戻す。ミカは私のものだ」
「…………」

 目が、本気だ。
 シルヴィオ様……なんて物騒な……。
 これは早く見付けてシルヴィオ様のところへお戻ししないと戦争が始まるかもしれない。

「こ、こほん。気を取り直して、改めて探すのお手伝い致します」
「ありがとうセイドリック殿。貴国とはあまり親交もないのに……」
「いえ、なればこそ、是非今後は親しくしていければと」
「はい! 私もお手伝いします! 猫のような精霊獣様、是非お会いしてみたいです!」
「ありがとう、セシル様。えっと、ではミカの散歩コースなんだが……」


 こうして、ザグレの首都をも巻き込む『ブリニーズの精霊獣大捜索作戦〜私を幸せにして!〜』の火蓋が切って落とされた。
 果たして何人の人間が精霊獣を目にする幸福、触れる幸福を得られるのか⁉︎
 そう、これは大捜索作戦と銘打った壮大な競争である!