弟が『姫騎士になる』と言い出したら私が王太子になる事になりました。

 

 一年、上級クラス。
 レイシャ・エーヴァンデル嬢はその中央、前の席に腰掛けていた。
 周りにはザグレの国の貴族令嬢たちが群がるように並び、彼女を口々に慰める。
 その様を滑稽に思う。
 その私から見れば実にわざとらしい泣き顔も、これでおしまいよ。

「姉様!」
「セ、セイドリック! 良かった、ご無事だったのですね!」
「はい、ですがすぐに森へ戻らねばならなくなりました! メルヴィン様がミーシャ様を助ける為に単身で戻られてしまって……!」
「お兄様が⁉︎」
「な、なんという……!」
 
 教室の隅で不安げだったメルティ様を慰めるセイドリックとレディ・ウィール様。
 私は『セイドリック』だと思われているので、レディ・ウィール様はお話してくださらない。
 だが、重要なのはこの三人ではないので、ちらりとレイシャ様を見る。
 やはり、案の定……鬼の形相で立ち上がり、こちらへ近付いてくるわね。

「どどど、どういう事ですの! メルヴィン様が、本当に姉を助けに⁉︎ そ、それもお一人で⁉︎」
「は、はい……先程森へ探しに行ったら、賊に身代金を要求され、メルヴィン様がお一人で来るように言われたのです。メルヴィン様はミーシャ様の為に……本当に護衛一人付けず、お一人で森へ身代金を支払いに……!」
「っー!」

 レイシャ様の目的は、姉の合法的な始末とメルヴィン様への婚約者候補……引いてはご結婚と王妃の座だろう。
 そんなレイシャ様がもっとも恐れるのは、メルヴィン様が他の女……特に自分と同じ顔で、彼女からすれば自分よりも劣っている姉に、メルヴィン様を奪われる事。
 自分で嗾(けしか)けておきながら、本当にメルヴィン様がミーシャ様を選ぶような事はないと確信している。
 彼女の中では『姉はメルヴィン様に嫌われていて、助けられるはずがない』存在なのだ。
 それを、ひっくり返す。

「ですので私とエルスティー様も急ぎメルヴィン様を追いかけます! メルヴィン様をお守りし、ミーシャ様をお救いするべくザグレの騎士たちも集結し、森へ向かうそうですから! きっと大掛かりな大捕り物が行われる事となるでしょう。そうなれば賊などひとたまりもありますまい! 全員捕らえて、ザグレの法に裁かれる事となるでしょう! 姉様は事が終わるまで学園でお待ちください。ひと段落着きましたら騎士たちが皆様を邸まで護衛するそうです」
「で、ですが、セイドリックも行くのですか? 危ないのでは……」
「問題ございません。あの程度の輩に遅れを取る私ではありませんよ」
「……そ、そう、ですか……」

 本当に心配しないで、セイドリック。
 私は大丈夫よ。
 肩を叩き、微笑んでから踵を返す。
 その一瞬、レイシャ様の様子を伺っておく。
 わあ、すごい顔……。
 取り繕うのすら忘れた、鬼の形相だ。
 それは見下していた姉への烈火の如き嫉妬。
 思い通りに事が運んでいない事への不満、焦り。
 こうなった貴族の女性は、自分の目的を達成するまで止まらなくなる。
 なにより、この状況。
 このまま姉が助かり、賊が捕まると巡り巡って自分が危うくなりかねないのだろう。
 まあ、この地位の女性の場合、侍女やメイドが優秀な場合が多いので、全て彼女らのせいにされる可能性もある。
 もちろん、そうはさせないわ。

「では行って参ります、姉様。必ずや賊を捕らえ、メルヴィン様とミーシャ様をお救いして参ります!」
「は、はい。気を付けて」

 少し悔しそうなセイドリック。
 でも、今の貴方にはこの教室の姫や令嬢を守るという役目がある。
 学園の騎士も十人程度を残して連れて行くからだ。
 もちろん、手薄にするのは作戦だけどね。

「ではあとはよろしくお願い致しますね、シルヴィオ様」
「お膳立てありがとう、セイドリック殿。お見事な煽りだよ」
「いえ、とんでない」

 教室を出てから、扉の横に腕を組んで背を壁付けていたシルヴィオ様へ声をかける。
 ブリニーズの貴族は彼の弟たちにより、彼らのお邸に移動済み。
 この後のレイシャ様はシルヴィオ様に一時お任せする。
 まあ、どう出るかは大体予想が付くのだけれど。

「一番楽しいところを自分が頂いていいのかな〜」
「………どうぞ」

 しかしこの方も大概性格がお悪いというか、いい性格なさっているというか……。
 最初の品行方正なイメージが脆くも崩れて行くわ。
 レイシャ様はきっとこの後、この事態を自分の想定していたストーリーに戻すべく奔走するだろう。
 まずは指示をした侍女、あるいはメイドに接触する。
 その侍女かメイドを特定するのがシルヴィオ様にお任せした役割。
 相当面白い会話になるだろうと、今からシルヴィオ様は満面の笑み。
 うん、怖い。
 レイシャ様の意向を聞いた侍女かメイドはさぞや、レイシャ様同様に慌てるだろう。
 そして、優秀な公爵令嬢付きの侍女かメイドは賊との内通者と接触を図るはず。
 時間との勝負だ。
 あの森は神聖な場所故に、本来ならば例えザグレの国であっても大捕物など絶対に行われない。
 レイシャ様はそれを見越した上で『スフレアの森』に舞台を設定したのだろう。
 だが、それが覆されたら?
 騎士たちが総出で賊を捕らえたら、賊たちはあっさりと話を持ちかけてきた間者の事を喋るだろう。
 巡り巡ってレイシャ様の侍女かメイドに辿り着くのは明白。
 ではそのあとは?
 もちろん、そこはシルヴィオ様の『お楽しみ』だ。

「では私はエルスティー様と合流致しますので」
「うん、気を付けてね。エルスティーに」
「…………」

 ……どう返事をしていいのか分からず、半笑いになった。
 いや、半笑いにすらなっていなかったかも。
 こ、この方は、どこまでご存知なのだろうか……。





 ***



『スフレアの森』入り口。
 陽の落ちる少し前に、辿り着く。
 そこではメルヴィン様を三人の騎士が馬から降りて待っていた。

「ふむ、やはり素直な賊たちだね」

 彼らに聞こえないよう、ほくそ笑むエルスティー様。
 森の入り口には二人の賊が座り込んだミーシャ様に、剣を向けてこちらを睨みつけていた。
 素直ではあるがさすがに全員で出てくる程のアホでもないらしい。
 まあ、そこまでのアホではさすがに減刑を申し出てしまうレベルになる。
 見てみたい気もするけれど、そんな賊。

「おうおう! ようやく来やがったな! さあ、金を出せ!」
「良かろう! 前金だ! 受け取れ!」
「!」

 小袋には金貨が十枚。
 馬から降りて、私は自身の足元に残りの数百枚が入った袋を置く。
 放った小袋に、二人の賊は顔を見合わせて、それからおどおどと後ろを振り返る。
 そうだろう、そうだろう。
 間者により『公爵は身代金を用意していない』と聞いているはずだ。
 実際、この金は公爵が用意したものではない。
 エルスティー様とメルヴィン様、シルヴィオ様にもお借りして用意した金だ。
 金など持って来ないと思っていた彼らからすると『え?』だろう。
 というか、大捕物に遭うと聞いていないのかしら?
 金に目が眩んで、賊どもは逃げなかった?
 いや、多分……。

「え、えーと、い、いや、ま、待て! お、俺たちは金貨千枚用意しろとーー」
「ああ、その件か。あるぞ」
「な、なに⁉︎」

 やはり。
 時間稼ぎに出たな。
 間者に大捕物の件を聞いた賊たちは、とりあえず時間稼ぎに出る可能性が高かった。
 捕物が行われるならミーシャ様を捨てて、逃げるのが得策。
 だが、森の入り口には本当にメルヴィン様が見張りでおられる。
 賊の明確な人数は分からないが、なにやら連中は私の事を知っていた。
 私の事を知っていたなら『たった一人に大勢で挑みかかって返り討ちにされた』記憶があるのだろう。
 剣を持ったメルヴィン様に、剣を捨てて見逃せ!
 とでも叫ぶはずが、そのタイミングで二人の騎士が駆け付ける。
 ……という手筈。
 奴らが身代金の受け渡し人に指名したのは私だ。
 連中は引っ込みがつかなくなってきて、このように逃げ場もなくなる。
 なら、次に奴らが考えるのはこのような時間稼ぎ。
 では、その時間稼ぎの時間を奪おう。

「ほら」
「「バ、バカなぁ⁉︎ マジかぁ⁉︎」」
「んんん⁉︎」

 賊とミーシャ様の目が見開かれ、驚きの声。
 私が馬に付けてきたのは金貨が二百枚入った袋が二つ。
 エルスティー様の馬にも二百枚の金貨が入った袋が二つ付けてある。
 馬に付けてある金貨は合計八百枚。
 そして、私の足元には同じ大きさの袋。
 これにも二百枚入っている。
 そしてさっきの小袋には十枚。
 男たちの顔が……いや、目が金貨に眩んでいる。
 よしよし。

「この馬も付けよう。逃げるのに使えるだろう? 見たところお前たちは『二人組』のようだから、二頭用意した」
「「⁉︎」」

 エルスティー様が馬から降りて、合計八百枚の金貨を背負った二頭の馬を連れて近付く。
 破格だ。
 いや、もう破格どころではない。
 贅沢しても二人くらい、一生遊んで暮らせる。
 私たちの前に姿を現した賊は『二人』。
 しかし、少なくとも他に四〜六人はいるはずだ。
 だが、金貨の袋は五袋。
 そして、馬は二頭。

「あ、う……」
「お、おおう、な、なかなか……は、話が分かるじゃねぇか……」
「さあ、ミーシャ様を解放しろ!」
「う、馬と金を置いて後ろへ下がれ!」
「いいだろう。ただし一頭のみだ。もう一頭はミーシャ様の安全を確保してからでなければ渡せない」

 足元の袋を持ち上げて二歩下がった。
 すると賊の二人は焦った表情。
 この男たちは下っ端だろう。
 背後からの圧。
 エルスティー様に連れてこられた馬の手綱を手渡され、頷く。
 目の前には、数百枚の金貨と馬。
 一頭だけでも一人は確実に一生遊んで暮らせる。
 二人の賊はお互い目だけで会話して、鼻の下を伸ばしつつ、様子を伺っていた。
 私は目を細める。
 時間の問題、というやつだ。
 もう、ミーシャ様の横にいる二人には大捕物の事は頭から抜け落ちている。
 だって、馬があれば逃げられるのだ。
 その上、遊んで暮らせる大金も一緒に付いてくる。
 なら、やる事は一つ。
 あとはタイミング。
 ごくり、と喉を鳴らす二人の賊に、私は厳しい表情で叫ぶ。

「さあ! ミーシャ様を解放しろ!」
「っ……」

 もう一度、賊二人はお互いの目を見る。
 そしてーーー。

「う、うわああぁ! 俺のモンだぁぁぁぁ!」
「テ、テメェ!」

 ミーシャ様を捕らえていた男が走り出し、手前に放り投げた小袋には目もくれず、馬に向かって手を伸ばす。
 もう一人の男も追うように走り出し、私は最初に裏切った男を避けるようにミーシャ様の元へと駆け出した。
 後ろで馬が嘶く。
 もう一人、ミーシャ様へ剣を向けていた男共すれ違い、剣を抜いて彼女を縛っていた縄を切る。
 それとほぼ同時に木の陰からわらわらと残りの賊が顔を出し、騒ぎ出す。

「テメェら裏切ったな!」
「許さねぇ! 待ちやがれ!」
「そうはさせるか! ちくしょう!」
「逃すかよ!」

 彼女を引っ張り、森の入り口の脇へと移動する。
 賊たちの目は血走って、怒りに震えながら駆け出した。
 少しでも冷静な者は残っているかしら?

「あ、あの……」
「静かに」
「っ」

 賊たちから彼女が見えないよう我が身で隠し、怒り狂った賊が飛び出していくのを見送る。
 木の陰に回り込みつつ、連中が隠れていた方へ少しずつ移動してみるが、もうその付近に人の気配はなかった。
 どうやら、冷静な判断ができる者はあの盗賊団にはいなかったようね。

「セイドリック様……あの、わたくし……」
「恐ろしい思いをなさいましたね。もう大丈夫なようです。あの賊たちも愚かな事です」
「え?」

 彼女の手を握ったまま、森の入り口へと戻る。
 案の定……いえ、計画通り。

「まあ!」

 ミーシャ様が声を上げる。
 付近に隠れていた騎士たちにより、馬で逃げようとした最初の裏切り者は捕らえられ、次に裏切った男もメルヴィン様が腕を捻って地面に押し付けていた。
 追い掛けた仲間もエルスティー様と、駆け付けた騎士たちにより一網打尽。
 二人の足の遅い賊は森の入り口に戻ろうとこちらへ走ってくるところ。

「ど、退けぇ!」
「セイドリック様!」

 ミーシャ様を背に庇い、剣を抜く。
 腰を沈めて、先に剣を抜いた賊の剣先を弾き肘鉄を顔面にお見舞いした。
 もう一人は身を捻り、剣先をナイフを持つ手首に突く。
 もちろん手加減した。
 でも、刺さった痛みでナイフは落ち、賊はおののく。
 その隙に、お腹へ蹴りを入れた。
 腹を抱えてしゃがみ込む男の額に剣先を突き付ける。

「終わりだ。観念するのだな」
「っ……」

 セイドリック、とエルスティー様の声。
 剣を向けたままでいると、二人の騎士が駆け寄り、賊を引っ立てていく。
 騎士の後ろから歩いてきたエルスティー様。
 微笑みが、優しい。
 胸が鳴る。
 いや、いや……。

「成功だね」
「こ、この程度は当然でしょう」

 顔を背けた。
 なによ、あの優しい微笑み。
 ずるい。
 そ、それに、これは過程だわ。
 この後が大変なのよ。
 まだ気は抜けなーーー。

「セイドリック様!」
「ひゃ!」

 後ろからなにかに激突された。
 なんだろう、と思ったらミーシャ様。
 うるうると涙を滲ませたお顔。
 あ、ああ、そうだった。
 彼女も恐ろしかっただろう。
 でも、事情はきちんと聞かなければね……。

「大丈夫ですか、ミーシャ様。もう賊は捕らえられました。ご安心ください」
「あ、ありがとうございます! でも、わたくし……セイドリック様にあんなに失礼な事を、言いましたのに……ううう! た、助けてくださるなんて……はうううう!」
「あ、ああ、別に気にしていません」

 そこ気にする良心があったのか。
 なによりだわ。
 妹御にもそのお気持ちがあれば良いのだけれど。

「…………」
「……え、ええと……」

 う、後ろからエルスティー様の圧が!
 圧がす、すご!
 とはいえ恐怖に怯えて泣いている令嬢を放っておく事もできませんし⁉︎
 どうしようどうしよう⁉︎

「エルスティー、セイドリック殿! 賊は全て捕らえた。残党もいるかもしれないが、この場は騎士に任せて我々は一度戻るとしよう。ミーシャ嬢、貴女には事情を聞かねばならない。疲れているだろうが、協力してほしい」
「は、はい、メルヴィン様……」

 メルヴィン様が声をかけてくれて、私は一度学園に戻る事になる。
 助かった……と、離れたミーシャ様を見送ってから肩を落とすと、その肩を大きな手が叩く。
 ぞわり、と背中が寒気に襲われた。

「セイドリック、ちょっとこっちを向いてくれない?」
「い、急ぐので失礼!」
「あ!」

 シルヴィオ様の言葉を思い出し、逃げた。