「いやぁお姉さん。最近どうですか?」



数分前に彼の家の前で拾ったタクシーに乗り込んでからすぐにタクシーの運転手は機嫌良く話しかけて来た。


50代半ば位の細身の意外と顔立ちが綺麗な人だった。


範子は曖昧な返事をしながらさっき彼と喧嘩して泣きたくなってる事を我慢しなければならないこの状況を疎ましく思った。



喧嘩は些細な事だったかも知れない。


だけど範子は胸から沸き上がる叫びを押さえていられないと思っていたのに。


なんだ?


最近どうてかって?


荒れてます。


彼が信じられなくなってます。


さっき嫌われる事しました。



キスの途中で殴りました。



何が原因かもハッキリ今は忘れました。



いや、忘れたふりをしてるんですが。



何度お願いしてもすぐに忘れて置き去りにされるのが腹が立ったんです。



彼を嫌いとかどうでもよくなりました。




何時も何にも言わないんで何を考えてるかわかりません。




少しムカついてます。











でもヤッパリ大好きなんです。


とても大好きで堪らないんです。



今の自分に泣きたいんで。



お願いだから話しかけないで下さい。









「最近、ですか?何にもないですね?」



何で答えてるんだろう?



私は泣きたいんですよ。



「自分も、全くですね。景気は益々悪くてこの業界も商売になりませんね。お姉さんはいいなぁ」




何が良いのか分からないけどとりあえず「そうですね」と答えておいた。



気持ちは追いかけても来なかったし今でも電話もメールもして来ない彼にハラハラ泣きそうだ。





「何処のお店ですか?あんまり高い店だったら無理ですけど行きますよ」




はい?お店ですか?



何の?



「お姉さん、綺麗だから指名沢山入るんでしょ。おじさんなんて相手にならないか。あはは」




え?指名って。




「いやぁ、私はスーパーの店員なんで。キャバではないですよ。綺麗でないし」



ちゃんと答えてみた。



「・・あっそうなんでしたか。てっきり」




いやいいですけどどうでも。




「あっ。すいません。ラジオ良いですか?僕ね好きな番組があるんです」



いいよと頷くとタクシーの運転手はラジオをつけた。







ラジオから静かに音楽が流れる・・・・






「す、すいません!元の場所まで戻って下さい」





範子は運転手に半ば叫ぶ様に言った。




運転手はニッコリ笑って頷くとUターンをしてからさっきまでと違ってスピードを上げた。




「お姉さん。素直にならないと駄目ですよ」





タクシーの運転手は範子を拾った時に気がついていた。




泣きそうにタクシーに手を上げる範子の後ろを走って追いかけて来ていた男が居たことを。






ラジオから流れてくる曲は彼がよく口ずさんでいた歌だった。




範子は携帯を握り締めて窓の外の流れる夜の景色を眺めた。




映るのは彼のさっきの泣きそうな顔。



と瞼の裏には彼の優しい笑顔だった。









もうすぐ目的地彼の居る場所だ。




範子はタクシーのライトに照らされて目を細めてる彼を見た。





彼の足は慌てていたのか裸足だった。





範子は我慢していた涙がボロボロ溢れて止まらなくなった。






タクシーの運転手は車を止める。




「お姉さん。頑張って」






そう言った。







【瞳を閉じればあなたが瞼の裏に居ることでどれ程強くなれたでしょあなたにとって私もそうでありたい】







ラジオからそんなフレーズが聞こえて来た。