サクラが話し終え、更に気になる事のあったシープは


「…“畜生どもの住まう汚い世界に落ちた”と、言ったが、そのあと、ダリア様達はどうなったんだ?」

と、ここが一番知りたい所だったのだろう。おそらく、ここからがシープ一族の運命が翻弄され続けている“醜女と絶美の宝石”の物語であろう話だから。シープは必死の形相で、サクラに話を教えてほしいと懇願した。

サクラは、すこぶる嫌そうな顔をしている。とても面倒くさい。もう、喋るのが疲れた。どうでもいい。と、いった分かりやすい表情を浮かべている。

「…あなたにとって、あまり話したくない事だと思うわ。だけど、大切な事なの。無理を言って頼んでるのは分かるけど…今後の為に是非とも教えてほしいわ。」

シラユキは、サクラの気持ちを察し謝罪しお願いをした。それでも、もの凄く嫌そうな顔をしている。

「ショウ姫の所に早く戻りたいなら、しっかり話しておいた方がいいんじゃないのか?このまま放置してショウ姫の元に戻っても、いつかまた話を詳しく聞かれるだけだ。
この面倒事はここで終わらせた方が得策だと思うが?」

と、言ってきたフウライの言葉に、確かにと思ったのだろう。サクラは、面倒くさそうに深いため息をつき、ひとくち紅茶で疲れた喉を潤すと


「…面倒極まりないが仕方ない。ここからは、“畜生どもの住まう汚い世界”に落ちてからの話だ。ちなみに言えば、今現在居るこの世界もその世界同様に思われてる世界だと言う事だけは言っておく。

その世界へと落ちた俺は、どうやら禁呪によってうまく転生できなかった様だ。

体はなく、だが、魂だけとはならず。
通常の人間には見えない“何かふよふよした青白い手のひらサイズの物体”になっていた。

建物も通り抜けできるし、人との面倒な関わりも持たなくていいと俺はそれはそれでいいなとも思っていたが。やはり思うのが、これではエリス様を守る事もできないし何より番えないとかなりのショックを受けていた。

だが、この姿でも何かできる筈だとエリス様を探し見つけた。この姿のおかげかダリアが捨てた“剣の能力”のおかげか、俺はエリス様を見つけそこに行きたいと強く思うだけで瞬時にそこに行く事ができた。

そこには、生まれたての愛らしいエリス様の姿があった。エリス様の姿を見て俺は安堵し、エリス様のお顔にピタリとくっついた。とても安心する。心地がいいと俺は奇跡的に会えた事に胸が高まり泣いた。…この姿では涙は出ないが。

エリス様は、俺に気が付いたのか俺を見て声を出して笑って下さった。

…きゅん!

もう二度と手放したりするものか。絶対にお守りする!強く思った瞬間だった。


「お!我が娘は、何に笑っている?
可愛いなぁ、お前は。さすが、俺とマリンの子供だ。」


エリス様の父親らしき男が、エリス様を抱き上げ愛おしそうに何度も頭にキスをしていた。

…ゲッ!エリス様に何という事を!!
俺は、エリス様の父親に向かい殴りかかったが俺に手足など存在せず、それどころか透けた存在らしく悲しくもエリス様の父親の頬に拳がぶつかる事もなくそのまま通り抜けてしまった。
…おのれ!

まるで俺の存在はないかの様に、周りは動いていて俺はただそれを見ている事しかできなかった。

エリス様の新しい家は、若き武将の家らしく
武将の娘として生まれたエリス様は一人娘。
エリス様の母親は、エリス様を産み直ぐに亡くなった様だ。

どうやらこの武将は、世界に名を轟かす程の名将であり英雄だという。その実力を示すかの様に武将の住むこの家はとても豪華でかなり裕福だった。

エリス様の新しい名前は“アイル”。何者にも変えがたい愛くるしい子。と、いう武将の親バカっぷりから付けられた名前だ。

…バカめ。と、思いつつ、悪くないと思った。この男のエリス様に対する父親としての愛情が強く大切に大切に育ててくれていたから。
あまりの親バカっぷりに呆れはするが、エリス様が幸せそうで心から嬉しく思っていた。
だが、不満も大きくある。俺がこの手でエリス様を幸せにしたかったから。それができないのが本当に悔しい。

しかし、幸せはそうは長く続かなかった。

エリス様が5才の時だ。

武将が長い戦争へと赴き、エリス様をお守り役の女中が面倒を見ていたある日だった。
その女中が、エリス様と公園で散歩をしていた時、他国の貧乏商人の男がベンチで休んでいた。

散歩の途中、エリス様と女中もベンチで休みオヤツを食べ景色を楽しみ、早くお父さん帰って来ないかななど会話を楽しんでいた。

何気ない日常だった。だが、貧乏商人は見てしまった。裕福そうな子どもとその使用人を何気なしにボーっと見ていると

先程まで何もなかったはずの場所にコロンと、子どもの手の近くにキラキラ輝く宝石が転がっていて。それに子どもは直ぐに気がつくと手に取り

「…あれぇ?また、あったぁ!」

と、子どもの手のひらにいっぱいの大きさはあろう宝石を使用人に渡していた。それを使用人は困ったように笑いながら

「アイル様は“お姫様ごっこ”好きですものね。」

なんて、子どもからどんどん渡される宝石を使い“ごっこ遊び”を始めていた。どうやら、使用人はこの宝石をオモチャだと思っているらしい。

だが、商人の男は一目見てそれが上質な本物の宝石だと分かった。分かったし、何より子どもがいる所からどんどん湧き出てくる宝石にマジックでも見ているのかと目を疑った。

何度見ても、やはり自分の目は間違えていない様だ。ここで男は、もし自分の目がおかしくないのであれば、この子どもが居るだけで自分は金持ちになれると欲が湧いた。

だが、旅であまりに疲れて夢でも見ているのかもしれないと。それを確かめるべく商人の男は毎日のように足繁くこの公園に通い、子どもの様子を覗っていた。何日もそこに通い商人の男は

…間違いない!!と、確信した。

そして、男がそれを確信し数日経った頃。男にチャンスが訪れる。使用人の女が尿意でトイレに向かって行ったのだ。

「申し訳ありません、お嬢様。ちょっと、トイレに行かせて下さい。直ぐに戻りますので。
いいですか?絶対に知らない人に声を掛けられてもついて行っちゃダメですよ?
変な人に連れて行かれそうになったら大きな声で助けてって叫ぶんですよ?」

と、何度も注意して。子どもは不安そうではあるが、うんと返事をした所で使用人はよほど我慢していたのだろう。慌ててトイレに駆け込んで行った。

それを見計らって、男は今だ!今しかないと思った。男は、子どもに気付かれないよう後ろからそっと近づき、素早く子どもの口を塞ぐとビックリし恐怖でもがく子どもの手足も縛り、大きな袋に詰め急いで自分の国へと戻って行った。


俺はこの時ほど、自分に実体がないという事を悔やんだ事はなかった。エリス様のすぐ側にいるのに、手も足も出ない…助ける事ができない。絶望感しかなかった。

それからが酷かった。「お父さん!お父さん、助けて!!おとうさ〜ん!うわぁぁ〜〜んっ!」と、泣き叫び止まないエリス様に、貧乏商人は暴力を振るい黙らせた。
そして、自分を父上と言うように脅迫し、貧乏なボロ小屋…貧乏商人の家に閉じ込めた。
エリス様が自分の言う事を聞かなければ暴力で黙らせ言う事を聞かせるの毎日。

そんな毎日に、いつの日からかエリス様は希望を失い…自己防衛の為だろう。何もかもを諦めてしまったエリス様は幸せだった本当の家族の事を忘れてしまった様だった。
幸せだった日々を思い出す事で、抜け出せないこの絶望的な不幸に耐えられなくなってしまうからだろう。

エリス様を家に置いてから、貧乏だった頃が嘘のようにどんどんお金が入ってくるようになり、いつからか貧乏商人は世界一の大富豪となっていた。

大金を手に入れた事で、女も大勢囲っていたし。街一番の若くて美しい女を強制的に娶った。女の家族を脅して無理矢理に妻としたのだ。

その内、商人の妻には6人の子供ができるが、商人の女遊びで女が妊娠しただの何だの女関係で揉めていたようだ。俺にとっては、そんな事はどうでも良かったが。

ただ、可哀想なのはエリス様で…。

エリス様は、商人の男に“バド”と名付けられ商人の男家族とは違う小さな小屋に住まわせていた。エリス様の能力でここまで財力を得ていると分かっている商人は、エリス様が早死にでもしたら困ると小さな小屋ながら人並みの待遇をし使用人を二人ほど付けた。“金を生み出す財力の源だ。くれぐれも丁寧に扱うように”と言って。

それから、エリス様はその商人と顔を合わせる事はなく、比較的平凡でつまらない毎日を過ごしていた。

と、言うのもエリス様に何かあっては金が無くなると外にも出してもらえず軟禁状態だったからだ。

ただ、エリス様は赤ん坊の頃から俺の存在に気づいていて、よく話しかけてくれた。俺はそれが毎日の楽しみだった。
どんな時もエリス様に寄り添い、話を聞き反応を示す。それくらいしか出来なかったが、俺の存在をエリス様も喜んでくださっていた。それがまた嬉しかったが残念な事もあった。声もない俺はエリス様に言葉を掛けられず会話ができない事だ。それがとても悔しく悲しい。

ただ、側にいる事しかできない。何もしてあげられない悔しさだけが日々強く俺の心を占めていた。

そんな、つまらない毎日だけが過ぎる毎日の中。エリス様にとって、衝撃的な事が起こった。


それは、ずっと会う事のなかった偽父である商人がエリス様の家を訪ねてきた事から始まる。
訪ねると言うより、勝手に入ってきて無理矢理話をし始めただけだが。

何度、このクソ外道ヤローに対し怒り狂い叫び飛び掛かった事か!!
それでも、何もできないんだ。本当に何も…。」


そこで、サクラは当時の気持ちを思い出したのだろう。声を詰まらせ、自分の手を睨み見て震えていた。そして、今にも流れ落ちそうな涙をグッと堪え…感情の昂りが少し落ち着いた頃、また話を再開した。

一同も、サクラの気持ちに感情移入してしまい、シープの従者、ベス帝王はサクラを憐れみ、涙を流していた。シラユキとシープなんてボロ泣きだ。

そして、話の内容を聞いていてリュウキは何か違和感を感じていた。


「そして、偽父はエリス様に言った。
今すぐ、ある男と結婚しろと。あまりの事に、現実とは思えない出来事にエリス様は呆気に取られていた。
その間にも、すでに夫となる男の記入は済んでいると婚姻届の紙を出し、何がなんだか分かっていないエリス様に強制的に婚姻届に記入させた。

エリス様が、10才の時の話だ。

そして、エリス様は幼くして、何がなんだか分からない内に誰か素性も分からない男と結婚させられた。

男と暮らす為の家が用意されるのだが。

今までとは違い、大きく立派な屋敷で使用人も10人付けられた。

あの偽父が、よほど気に入った男なのだろう想像はつく。

そして、屋敷に着くなり偽父は、屋敷に向かい

「さあ、出てきてくれ。お前の嫁を紹介しよう。」

そう声を掛けた。すると、屋敷の中から一人の男が出てきた。その男を見た通りすがりの者達は、男のあまりの美貌に驚き腰を抜かしてしまっていた。

それほどまでに、この男は美しかった。この世の者とは思えぬ美しさだった。
そして、その男に俺は覚えがあった。

当時のままではない姿だったが、アイツの特徴の名残りがそのまま残っていたから嫌でも分かってしまった。

流れる様なウエーブがかった黒髪に、真っ黒い陶器の様な肌、血の様に深いルビー色の目。
全てが理想以上にできた、美しいパーツとスタイル。

…コイツは…!

「はじめまして。ボクの名前はベーレと言います。12才です。これから、よろしくね。奥さん。」

ベーレという男は、愛嬌たっぷりにニッコリと微笑んでエリス様の手を取った。

色んな事が一度に起こり、驚いたエリス様は脳内でパニックを起こしていてポカーンと立ち尽くしていた。

「ベーレは、きちんと挨拶もしてくれたと言うのに、このクソガキャ!!ろくに挨拶もできないのか!!!」

そう偽父は、現実を受け止められていないエリス様に向かい、いつものように手を振り上げた。それを見てエリス様は恐怖で固まり、恐ろしさのあまり両手で頭を押さえ縮こまっていた。
俺も咄嗟にエリス様を庇う為に、エリス様に覆い被さる…無意味だと分かっていても行動に起こさずにはいられなかった。

だが、いつまで経っても恐ろしい拳は降ってこず、代わりに

「大丈夫だよ。」

と、言うベーレの優しい声と、エリス様の頭を撫でるベーレの手があった。
ベーレは、エリス様の視線に合わせしゃがむと

「これから、よろしくね?」

ニッコリと微笑んでいた。それに対し、エリス様は小さくコクリと頷いていた。

「…ボクの奥さんに、手をあげないでほしい。お義父様。お願いします。」

ベーレは、エリス様に向かって落ちてくる偽父の拳を手で受け止めた様だった。それから、直ぐに頭を下げ偽父にお願いをしていた。

そんなベーレに、偽父はいやらしい視線を送り

「それは、優秀なお前の努力次第だぞ?グフフ!」

と、ベーレの尻を気持ち悪い手付きで触っていた。

「…フフ。」

ベーレは、含みのある笑みを浮かべ、それ以上は偽父に言わなかった。おそらくだが、エリス様には聞かれたくない言葉しか頭に浮かんでこなかったからだろう。

…エリス様に何かあればと、今まで少しだけ偽父の様子も見てきたから知っている。

偽父は、大富豪になる前からある噂を耳にして気になっていたらしい。

ある旅芸人の役者の中に、それはそれは美しい男の子がいると。あまりの美貌に、みんな男の子の虜になり崇め王の如く大切にされていると言う。
その男の子欲しさに、色んな国から様々な貢物をしたり気を引き自分の物にしたい王族や金持ち達がご機嫌取りをしているが、何故かその男の子はそれらを全て断り色々な国を旅しているという。

大富豪になり、その男の子見たさにその劇団を呼びつけるが、何せ大人気の劇団。数年先まで予約でいっぱいなのだそうだ。

自分も劇団に予約したが、自分の屋敷に来るのは16年先だと言われた。途方もない話である。

しかし、何と幸運なのか!

予約をして数日経った頃、その男の子が偽父に会いたいと言ってきたらしい。

偽父は、直ぐにその場を設け

美貌の男の子と会った。会って、男の子のあまりの美しさに腰を抜かししばらく動けなかった。

どうすれば、この男の子の気を引く事ができるのか考えていた時だった。

「あなたの娘さんと結婚させて下さい。」

そう、男の子は言ってきたのだ。あまりの事に驚いた偽父だったが

「今すぐは、無理だがそれに応じよう。」

そう返事を返した。この男の子が婿養子になれば、いつでも男の子…名前はベーレに会えると目論んだ。しかし

「何故、今すぐに結婚できないのですか?
ボクは12才になりました。この国では、お金さえあれば、何才であろうと結婚できると聞きました。
そして、タンユ様あなたの娘さんにボクと年が近いお嬢さんがいますね?
その方と結婚したいのです。」

と、ベーレは言った。

そうなのだ。この国は基本的に、男女共に16才から結婚できるとされているが。
金さえ積めば、何才からでも結婚できるのだ。例え、0歳児であったとしても。

ベーレと年が近い自分の娘となると、3才になる双子の女児しかいない。5才になる息子はいるがこの国では同性では婚姻できない。

そう考えると、どうしてもあの財源娘しかいない。アレを連れて来て5年くらい経つか。
なら、アレは10才程になっている。ベーレと年も大して変わらない。

だが、アレと結婚となれば…そう考えていると

「タンユ様さえ良ければ、ボクは婿養子になりたいのです。ボクは世界中を旅を続ける中、政治に興味が湧きました。
ボクが娘さんと結婚し婿養子となった暁には、この家に財力だけでなく必ずや、大いなる権力を与えましょう。」

と、ベーレは言ってのけたのだ。その言葉が本当ならば、とても魅力的な話である。
この家には世界一と言っても過言ではない程の財力はあっても権力はなかったのだ。

まあ、そこは期待してないが。丁度良かった。
あの財源娘を手放す事なく、さらにこの美しい少年が自分の義理の息子となるのだ。
もし、ベーレが宣言した権力が手に入いらなければ、それを理由に使いベーレを自分の愛人にすればいいと喜んでいた。

そんな考えもベーレはお見通しの様で、この話にすぐさま乗ってきた馬鹿で操りやすい偽父に内心笑いが止まらない様だった。

「ありがとうございます。」

と、綺麗に頭を下げるベーレの口元はあまりの偽父のアホさに、上手くいきすぎてるくらい上手く事が運んだと笑みを我慢出来ず緩んでしまっていたから。

「では、さっそく婚姻したいのですが。」

と、ベーレがタンユに突拍子もない事を言うと、タンユは驚いた表情で

「…今日明日で結婚は無理ではないか?お互いにまだ顔も合わせた事もないだろう?」

そう言ってみるも

「タンユ様の気が変わらない内に結婚したいのです。」

間髪入れず、ベーレはそんな事を言ってきた。
そこで偽父タンユは考えた。もしかして、ベーレは誰か別の娘とあの財源娘を勘違いしている可能性があるんじゃないかと。

確か、近くの街に自分の他に富豪が住んでいて、その富豪にはとても美しい娘がいると聞いた事がある。…何才かは分からないが、下手をすればその娘と勘違いしているかもしれない。

あの財源娘は、これといった特徴もなく極々平凡な容姿をしている。むしろ、少しばかり標準より容姿が劣るかもしれない。中の下、下の上という感じだろうか。

アレを金以外で欲しがる物好きなんていないだろう。アレが財力を生み出す何かと知らなければ。アレは念の為に家から出した事はない。
だから、まさかその事を知っているとも思えない。

おそらくベーレは、隣町の富豪と自分の家を間違えてやってきたのだろう。ならば、あの財源娘に合わせる前に婚姻届に記入させ成立させてしまえばいい。後で、間違えたと言っても遅い。と、下衆な事を考え、ベーレの言う通り直ぐに実行に移したのだった。

これで、ベーレは自分の物になったとタンユは有頂天だった。その姿を、虫ケラでも見るかのように冷たい視線で見ていたベーレに気がつく事もなく。

そんな事があり、今に至るのだ。

そして、エリス様とベーレの夫婦生活が始まった。

ベーレはエリス様にとても優しく接しずっと笑顔を向けていた。エリス様も夫となったベーレを愛そうと努力し手料理も覚え振る舞うようになった。頑張っているが、とてもじゃないが美味しそうには見えない料理で味も、いまいちだったようだがベーレは文句を言うどころか

「いつも、ありがとう。嬉しいよ。
ボクにとっては、とても嬉しい味で好きだよ。」

と、嬉しそうに笑みをたやす事なく平らげていた。さらには、エリス様が作った弁当も喜んで仕事場に持って行き捨てる事も無く大事そうに食べていた。

ベーレが仕事から帰って来てくると、ベーレは自分から率先してエリス様の身の回りを世話し始めた。朝の洗顔から始まり、風呂の世話や爪のケアまで。仕事で疲れているだろうに、自分ができる限りエリス様に尽くしていた。

だが、何故か二人の寝室は別々だった。
そして、おかしな事に性的な事は一切なく、軽く触れるだけのキスすらなかった。

この事については、俺は心の底から安堵した。
もし、二人の間に情事があったなら…そう思うとゾッとする。考えただけで気が狂いそうになる。
しつこいくらい言うが、泣き崩れるくらいに俺はその事に喜んだ、この体では泣けないが。
それくらいに俺にとって、この問題は大問題だったから。

…だが、夫婦なのにどうして?
自ら夫婦になりたいと志願したくらいなのに?
前世が精で乱れてたから、そういう行為に飽きてしまったのか?興味を無くしてしまったのか?
いや、その割に自室に戻ってからベーレは毎日のように自慰行為に励んでいたから性欲はあった。むしろ、人より性欲が強いくらいだと思った。…なら、何故だ?
もしかして、まだ幼いエリス様の体を気遣っての事だろうか?そう思えば、大いに納得できる事だった。

色々とベーレに対し疑問に思う俺だったが、程なくしてその理由が分かった。

ベーレが軍に入隊すると、タンユが度肝を抜くほどベーレは実力を遺憾なく発揮し。
ベーレの宣言通りあっという間に上へと上り詰め若干13才にして国の総司令官とまでなってしまったのだ。正に有言実行だった。
…まあ、魂源があのダリアだから当然の結果だろう。

そして、やはりというかベーレは、世界各国を渡り歩き、それぞれの国の美しいと噂の美男、美女達を片っ端から自分の愛人にしていった。

それからだった。

エリス様の様子がおかしくなったのは。

ベーレは、いつも通り私生活では変わらずエリス様に尽くし大切にし上手いことエリス様を騙していたのだが。

ベーレが初めての浮気をし、愛人となった男と体の関係を持った時だった。

エリス様はその時、夫であるベーレの為にいつものように夕飯を一生懸命作っていた。次の日のお弁当のおかずの下ごしらえもしつつ。

調理中、突然エリス様が

「…え?なに、これ…」

と、固まりキョロキョロと辺りを見渡していた。何事が起きたのかと俺は心配になり触れる事もできないがエリス様の頬に擦り寄った。

すると、エリス様は俺に言った。

「…ベーレが男の人と…口と口をくっ付けてる。え?…気持ち悪い…舌と舌をくっつけてるよ?……なんで、服を脱いでるの?」

まるで、ベーレの情事をその場で直接見てるかの様な素振りで、性に疎いエリス様の口から出る言葉は卑猥な事ばかりだった。
エリス様の話を聞き、俺は衝撃を受けた。

エリス様は“見えている”のだ。自分に対する“裏切り”を。

あまりの光景だったのだろう。エリス様はショックのあまり腰を抜かし「もう嫌だ!見たくない!!こんなの見たくない!!!気持ち悪い!気持ち悪いっっ!!!」と、叫んで身を縮めて泣いていた。

そして、そのままエリス様は自室に篭り布団の中で泣き叫んでいた。

そして、しばらくしてベーレは家に帰って来たのだが異変に気がついた。
途中で放置された調理。いつもいるはずのリビングにもダイニングにさえいない。

そうなれば、ここしかないとベーレは、エリス様の部屋の戸をノックした。

「…バド、そこにいるの?入っていいかな?」

と、心配そうに声を掛けるベーレに、エリス様は

「……今日はちょっと体調が悪いからこのまま寝るね。ごめんね。」

そう言って、また布団の中に隠れた。

「…え?具合が悪いの!?大丈夫?入るよ?」

と、焦ったベーレは部屋の中に入ろうとした。だが…

「…ダメッッ!!!」

エリス様は、声を荒げベーレが中に入る事を拒んだのだ。それに驚いたベーレは

「…どうしたの?」

酷く寂しそうに、声を掛けるが

「…本当に、今日はそっとしておいて!」

どうしてもベーレを拒むエリス様に、ベーレは俯きしばらく部屋の前に立ち尽くしていたが、少しして

「…分かった。気持ちが落ち着いたら出ておいで、ね?」

そう声を掛けて、散らばっている台所を片付けエリス様の為に粥を作った。それをエリス様の部屋の前まで持っていくと

「…ご飯は食べられる?お粥を作ってみたんだけど…」

エリス様に話しかけるが返答もない。少し小さくため息をつくと

「ここにご飯置いておくからね?」

部屋の前に粥とほうじ茶を置いて、風呂へ入りに行き戻って来ても手が付けられずいたご飯を見てベーレは肩を震わせ声を出さず泣いていた。

そして、朝になるまでエリス様の部屋の前に座りエリス様が出てくるのを待っていたようだ。
だが、出て来る気配もなく、出勤時間近くになってベーレはエリス様の朝食を作り

「テーブルの上にご飯置いておいたから後で食べてね?…行ってきます。」

いつもなら、笑顔で「行ってらっしゃい」と送り出すエリス様の姿は無く、ベーレはグスッと鼻を鳴らしトボトボと仕事へ向かった。

そんなベーレの様子を見た使用人達は、冷たい態度でベーレをいじめたとしてエリス様に怒りを覚えタンユに、この事を告げ口した。エリス様がいかに愚かで、ベーレが可哀想なのか。大袈裟にある事ない事色をつけて言っていた。

それを聞いたタンユは激昂し、ベーレが仕事でいない留守の間、エリス様の元を訪れ

「この出来損ないがッッ!!!ベーレになんて態度を取ったんだ!!このクソがっ!」

「お前みたいなブスは、誰からも相手にされない。そんな、クソ役に立たない不細工のお前を嫁に貰ってくれただけありがたく思え!!!
しかも、優秀有能な美貌の男が!誰もが羨む、ベーレの妻の座をお前が持っているのだぞ!?」

「…許せね〜…お前みたいなブスが、あの宝石の様に美しい男と…クソっ!クソったれがぁぁ〜〜ッッッ!!!」

「お前は、どんな時も笑顔でベーレに尽くせ!
でなければ、もっと酷い目にあわせるぞ!!!」

など、数々の暴言を吐き、「許してください。もう、しません。」と、泣き叫ぶエリス様を無視し暴力を振るい無理矢理に言う事を聞かせた。

あざや傷が多く目立ってしまったエリスを見て、マズイと思ったのだろう。タンユは急いで、医者を呼びエリス様を手当てさせると

部下に“バドは少し精神を病んでいるようだ。しばらく病院に入院させる。医者は今は誰にも会う事はせず安静にしなければならない。と、言っていたから誰とも面会できない”と、ベーレに伝えるよう言った。

この内容は、タンユが考えた訳ではない。使用人達が知恵を出し合ってタンユに提案したものだった。

病院にも大金を使い根回しし、屋敷では使用人達が協力し合ってエリス様の事をあたかも本当かのように言ってベーレに信じ込ませた。

ベーレは、この様子を怪しみ、こっそりエリス様のいる病院を訪ねてみるも面会謝絶になっており会う事はできなかった。
病室の番号も分からなかったが、少しベーレが本気を出せば簡単に知る事ができ。直接会えなくてもと思い、遠く離れた場所からエリス様の様子を見ていた。

遠くでハッキリ、エリス様の姿が見えなくてもエリス様の安否を確認できて安堵したようだった。

それから毎日、ベーレはエリス様に手紙を添えた見舞いの品を看護師に託し、遠くからエリス様の安否を確認すると大勢いる愛人の家に泊まりに行く。そんな毎日を続けていた。

ベーレが愛人と交わる度に、その光景がエリス様の目に映るとも知らずに。」