僕らのコレは互いの傷を舐め合うだけの、ほんの些細な儀式のようなものだった。軽く唇に触れ合うだけの子供っぽいキスを交わし、『好きだよ』などと言葉にする。だけど決して僕と君の目は合わない。君の瞳に映っているのは僕ではなく、彼であり、僕の瞳には君ではなく彼女が映っているのだから、視線など合わずとも当然だ。
「ねぇ、好きだよ、--くん」
僕の首に腕を回して擦り寄ってくる君は愛おしそうに彼の名を呼ぶ。ぎゅっと力の入った腕は小さく震えていた。そっと背中をトントンと叩いてやると少しだけ和んだように腕から力が抜ける。
「好きだよ…--」
そう呟くとそっと頭を撫でられる。彼より少し大きな手で少し荒っぽくわしゃわしゃと撫で回す君は、少しガサツだ。
「ねぇ--くん、なんで私じゃダメなの…?私の何が足りなかった?なんであの子なの、なんで裏切ったの、やめてよ私の前であの子と居ないで…」
狂ったようになんで、どうしてと繰り返す君は縋るように、祈るように、贖罪するかのように彼への言葉をポロポロと零す。いや、零れるのだ。これが僕らの関係。
「ほんと、なんでだろうな…なんで、僕達が…」
思わず僕の口からも零れる。捨てられた子猫が身を寄せ合うように、僕達はお互いに身を寄せていた。寒さに震えるように身を震わせ、誰かに拾ってくれと訴えるかのようになき声を漏らし、小さな箱から出られずにいる。
「じゃあ、また明日」
「うん、ありがとう」
君を玄関先まで見送った僕は、見てはいけないものを見た。
「…どうしたの?」
僕の様子を見て何かを察した君は僕の視線を辿る。
「ぁ…」
君の瞳が見開き、固まる。怯えるかのように肩を震わせ、視線を逸らせず、その目を塞ぐことしか出来なかった。その視線の先には君が何よりも見たくないモノが幸せそうに並んでいたのを、僕は気づいていた。気付いていたのに何も出来なかった。
「なんで…」
そう呟いて両目を覆う僕の手を濡らした。まだ君の中から彼は消えていない。
「送るよ、大丈夫だから安心して」
そんな在り来りの言葉しか出てこない。
「…なんであんたはそんななの」
目を塞いでいたはずの君はいきなり僕の方を振り向いて目を赤くしながら何故か怒る。
「ごめん」
「違うでしょ…なんであんたはあんたを利用してるだけの私を守ろうとするの?」
「それはだって--」
『お互いいてくれなきゃ困るから』
君は驚いたことに僕と全く同じ言葉を発した。僕達はお互いを利用する関係だった。僕は君を彼女に見立てて、君は僕を彼に見立ててたくさんの懺悔と後悔とたくさんの何故を繰り返していた。ずっと誰にも届かないままなのにも関わらず…。
「嘘つき」
君の言葉に思わず目を見開く。君は悲しそうに笑っていた。
「あんたの目にはもう、あの子は映ってないじゃない。もうあんたは私を置いて進み始めてるくせに」
何度も見たことのある表情でぎこちなく笑う。彼を責める時、真実を知る時、虚勢を張る時、いつもこんな顔をしていた。
「本当はもう私なんて要らないくせに、なんで私を守ろうとするの」
そう、君は異様な程に勘が良かった。とっくに見透かされていたのだろう。
「同情のつもり?」
勘が良いが故に誰よりも深く傷ついていた。
「僕は、まだ君が必要だよ」
嘘ではない。ただ必要な理由が変わっただけだ。
「馬鹿じゃないの…私が気付かないとでも思ったわけ?」
「素直に話せば君は受け入れてくれたかい?」
「私は変わらない。関係性を変えても良いけど、私はまだあんたを利用することしか出来ない」
「それでいいんだ」
本当は君が僕にしか寄る辺がないことが嬉しかった。本当はお互い依存している関係性が心地よかった。本当はもう僕は吹っ切れていた。
でもそうしたら君は優しいから一方的な利用をするようなことは許さないだろう。だから言わなかった。
「元々は傷の舐め合いから始まった関係だ。今のままでも今と変わってしまっても僕は構わない」
そう、僕らはお互い捨てられた存在だった。その寂しさを、辛さを、後悔を、懺悔を紛らわせるためだけの関係だった。それしか縋る術がなかった。
「馬鹿みたい」
そう言って笑う君は見透かしていた僕の気持ちを受け止めてくれる。
「彼女を愛してたよ、誰よりも。いっそこの手で殺めてしまいたいくらいには。だけど僕はもう前に進む」
なんとも自分勝手で申し訳ないが、同時に安堵する。
「彼を愛しているよ、誰よりも。この手で殺めて私だけのものになるのなら喜んで殺す。今も、ずっと」
似て非なる感情に溺れた僕たちは復唱するように、確かめるように見つめたまま今初めてはっきりと口にする。

僕らは捨て子、寄り添い痛みを和らげるためにそばに居る。