目を覚ますと白い天井。目がチカチカして思わず目を瞑った。自分はなぜこんなところにいるのだろうとぼんやりした頭で記憶を辿る。
「ん…」
拙い記憶を手繰り寄せていると左から小さな呻きが聞こえた。そういえば左手が異様に暑い気がする。ゆっくりと眩しさに慣れ始めた目を左手にやると、僕の手を握りしめて眠っている君がいた。同時に手首から腕にかけて巻かれた包帯を見て何故ここにいるのかを思い出す。
「…しくじったんだ」
ゆらゆらと視界が揺れる中、ボソッと呟く。そう、僕は失敗したのだ。本当はこの世界に別れを告げている予定だった。眠ったままもう起きるつもりなどなかった、はずだった。
「ん…起きた…?気分はどう?」
眠りこけていた君が僕のつぶやきによってか、はたまたたまたまか分からないが起き上がるとナースコールを鳴らし、僕が目を覚ましたことを告げる。その君の顔と言ったら酷いなんてものじゃない。目は真っ赤に腫れ、充血し、変な体勢で寝てしまったが故に寝た痕がついている。
「君が、見つけたの?」
君の問いには答えず今の状況の説明を求めた。
「そうだよ。あと少しでも遅れていたら危なかったんだから…」
そういうとまた涙を滲ませる。その涙を優しく拭ってやると君は生きていることを確かめるかのように左手に頬擦りした。暖かい、優しい、慈しむような頬には涙が乾いた跡がいくつも残っている。
「お願いだから、死ぬかもしれないようなことはしないで…死なない範囲なら目を瞑るからさ」
『死ぬかもしれないようなこと』、すなわち大量の睡眠薬を酒で煽ったりするな、ということだろうか。『死なない範囲』とは左腕の無数の傷のことだろうか。
「…ごめん」
このごめんを君はどう捉えただろうか。君はいつも通り笑って『いいよ』なんて言う。
君は泣き虫だ。僕の言葉一つに傷付いて僕の行動一つで涙を流す。僕は今まででも散々傷付けてきたはずなのに君はいつまでも離れようとはしてくれない。突き放しても『いいよ。待ってる』なんて言って僕の気持ちが落ち着くまで静かに泣いては待ち続けた。僕はそんな君が愛おしく、同時に邪魔だった。君がいる限り僕は死なせてもらえないからだ。大切なもの一つあれば生きていけるなんて戯言だ、僕は大切なもの一つのためにこの世界と共存する選択肢を選べない。1番大切な人を最も残酷に傷つけることになったとしても、だ。何か一つでも自分を傷つけると傷つけられたのかと言うほど泣き、心配し、僕という存在の価値を訴えかける。そんな生き方はもうしたくない。誰かを傷つけてまで生きていたくないのだ。もっとも、死のうとしなければいいだけの話だがそこまで生に対する執着がないのだから仕方がない。
「うん、身体も大丈夫そうだね。念の為今日は泊まっていきなさい」
ナースコールで呼ばれた看護師と医者が診察してくれた。後遺症も何も無いらしい。いっそ壊れてしまった方が楽だろうにカミサマはそんなことはさせてくれないらしい。なんとも皮肉な話だ。
「じゃあまた明日迎えに来るね」
「…うん」
そう言い残して面会時間ギリギリに君は帰っていく。きっと明日も面会時間同時に僕に会いに来ることだろう。その前にやらなければならない。幸運なことにこの病院は何度目かであり、構図は把握している。さらに言えばピッキングという特技を習得した場所でもある。
僕は夕飯を終え、巡回で軽く話したあと部屋を抜け出した。君の使い込んでる上着を羽織って向かったのは屋上だ。本来施錠されている鍵たちは僕には手馴れたものでカチャカチャとほんの数秒で開くようになっている。誰にも見つかることなく屋上に辿り着くとフェンスをよじ登る。
「ごめんね」
誰にも届かないその一言は闇に溶けて消えていく。あの時言った『ごめん』はこういう意味だった。もう何度目かになる未遂、その度に僕を世界に引き止めていた君に今度こそ終止符を打つつもりだった。足場のない先に一歩踏み出すと体が地面に吸い寄せられるように勢いよく吸い込まれていく。
--あぁ、やっと終われる。

目を覚ますと白い天井。目がチカチカして思わず目を瞑った。自分はなぜこんなところにいるのだろうとぼんやりした頭で記憶を辿る。僕はまた死ねなかったことに気づく。
「おはよう」
隣で微笑む君は天使で悪魔だ。今日も僕は死なせてくれなかった。