あるとき、喜久子は仕事で、長期出張の時また、健が貞を招きいれた。健は喜久子がいないとき自分で育児が出来なくてなにかと貞をよんで頼るのだった。
クタクタで喜久子が帰り着くと、また貞がなにか勝手に買ってきていた。疲れていた喜久子は、ていねいに、「もう買ってこないで欲しい。お金がなくとも少しずつ自分たちでかんがえて家具は入れたい」と言った。
が、貞は突然激高した。
「この女は、、、」
その時、健はなにもいわず、喜久子をかばってはくれなかった。
貞はほうきをもってたちあがりわめきちらした。
「こんなとこにはいられない、すぐ帰る」、とさわいだが、自分の家に電話しても仲の悪い嫁が夜中に受け入れるはずもなく、健がなだめ夜中なので取り敢えず寝かしてよくあさ丁寧に帰した。
貞はごきげんが悪くなると、喜久子を突然「あんた」よばわりした。
そのときから喜久子は貞が買ってきた蠅たたきとたちあがるとき貞がつかまっていたほうきが大嫌いになった。
貞はよくお金の話をした、近所のだれそれは、どんな暮らしぶりとか、親孝行した、どうしたこうした、とこちらへの請求をあからさまにした。40年ちかくずっと、母の日の贈り物、盆暮れおくりもの、おとし玉を欠かさなかったのは我々夫婦くらいであろう。
同居の息子夫婦も、近所のど貧乏の娘もたかるばかりでなにかくれた様子はない。
いやだったのは、喜久子は2重保育をしながらも大会社にかなり長いこと務めていたし、高額の退職金もふくめると、かなりの額働きかせいだ。だから、家も買えたのだ。貞はぜんぶ健が建てた、とおもっているらしいが真相は全くちがうのだ。家や車について買おうといったのはいつも喜久子。健は自分の趣味にしか関心はなく、育児はしないで趣味の仲間と1日でかけてしまう人間「おれの趣味やいきがいはこれしかないから行かせてくれ」と。喜久子のはどうだっていいのだ。自分勝手で、いっさい家庭の成長を思う考えはなかったのだ。それなのに、貞は健だけが家も子供も頑張っているとおもっているのだ。
喜久子が会社を辞めたころから、貞はよく喜久子は今は何をしているのか?ときき、「これこれをしてすこしかせいでいます」とこたえると。「そうだねー。すこしは、はたらかないとね」。という。
健ばかりはたらかせるなという意味だ。喜久子の父が亡くなると、「遺産をいくらかもらったか?」とあからさまにきく。
それなのに、近所にすむ実の娘はキツイ宗教にかまけて、その夫も働きがわるくて何十年もお金を援助しているのだ。たぶん、その額、なん千万くらい。喜久子のことはまだまだ働かせたいらしい。自分も若いときからたいして働いたこともなくさらに実の娘もはたらかないで平然と親がかり。もう娘70代。
よく人にばかりいえるよ、と喜久子はおもう。90代になっても子育ても今だまともにできないのだ、だから娘は因果応報でまたまたその子育ても失敗した。被害者はその子供だ。連鎖はおそろしい。共依存ともいえる。
大人になっている娘をつきはなすこともできず、いい年をしてずーと娘は超老人の貞をあてにして生きているのだ、だから、まだまだ大人になれない、たぶん死ぬまで、、、。。
 かわいいはずの健に保険金をかけているらしい。
死んだら受取人は貞らしい。それを聞いたときは唖然をとおりこして言葉がなかった。
貞の娘も本当にひどい女で、、健の浮気まがいが発覚したとき、泣きながら喜久子が相談にいったら、「健はわかい時ハンサムで、当時縁談がたくさんあって」と弟自慢を聞かされてさらに「ねっ、もうしないよね」とあまえ声をだしてあきれた。姉としてひとつ位ひっぱたいてくれるとおもったのにガッカリでした。いっておきますが、健は正直、ハンサムというほどではなく、ずーと普通ラインです。いまは禿まくっている。
その後、義姉は宗教の勧誘と早く別居しなさい、攻撃がひどくて、相談したことをひどく後悔した。まともな人間じゃなかったのだ。お金も全部こちらもちだったしね。
さて喜久子は自分自身の事を全く反省してないわけではない。もっと心が広く余裕があればすべて貞の事を面白い人と、笑っていられるかもとも思えるが、喜久子はざんねんながら凡人だ。
たとえば、貞が自分の血をわけた姉妹が理由はわからないが、亡くなってこのままでは無縁墓地に埋葬される件を役所から電話があったとき見捨てた人非人、しんじられない。
たとえば、喜久子が子育て中、子供が捨て猫をひろってきて。その猫がたくさん子供をすぐ生んで、一匹もらってくれないか?と貞に電話した時、「夜遅く、遠くの山に捨ててくればいい」と冷たくいいはなった冷酷さ。子猫死んじゃいますよ。
たとえば、レストランに一緒に行ったとき、食べ放題でしたが、お腹いっぱいになると、周りをチラチラ見て確認してから、バッグからビニール袋を取りだし、残ったごはんなどを詰めこみはじめた。実の娘70代もそばで同じことをやりだした。当然、店の人にみつかりとがめられた。はずかしいったらありゃ-しない。お店のひとが、まさか90代のお婆さんがそんなことをするとはおもわないし、それを注意するのもすごく不本意だったとおもいますよ。ああ、恥ずかしい。いやしいったらない。お金持ちなんですよ、貞は。
こんな鬼姑だが、たった1回かわいそうな顔をした。それは会社の事故で亡くなった夫の遺品整理で、女とツーショットの写真がでてきたことだ、「ウンとやだ」と貞はくやしそうにいった。
だったら健の浮気まがい問題をちゃんと解決してくれるだろうか?いや、貞にそんなまともな解釈ができるとはおもえない。うっかりしたら喜久子が「なに大事な健に恥かかせてるんだ」とひっぱたかれるのがおちの山だろう。そういう訳でまだ話していない。
健をひたすら溺愛する貞には。かなしいし情けない。
たとえば、健は、喜久子の手術を伴う入院中でさえ、手術が終わると、退院でむかえになるまで一回も見舞いにこず、下の子は、喜久子の実家にあずけた。喜久子が、家に電話すると、上の子供がでて、「おばあちゃんが来ていて、今、クリームコロッケをつくっている」と答える。
貞はなぜ、健に一回も女房の見舞いにいけといわず、昔のようにわが子の健といられる幸せをかみしめる心の狭い人間なのだろう。
2回の入院、喜久子は入院する日も退院した日も家事をやっていた。
たとえば、なんども喜久子は夫の健に「私とお母さんのどちらをとる?」と聞いたが、「どちらもとれない」と調子のよい自分だけを守る返事だった。
喜久子の息子たちなら躊躇せず、「妻」と答える。それが正解だし、喜久子もそう答えることを息子にのぞんでいる。それが世界平和への第一歩だからである。でも、息子の嫁たちはとても満足してるからそんな質問は必要ないとおもう。
たとえば、夫の実家に帰省するとき、喜久子は途中のトンネルでいつもいきたくなくて吐いたが、健は急がせるばかりで思いやりの言葉さえなかった。
たとえば、貞は泊まりにくると、朝ごはんの時、喜久子が用意した食卓に勝手について、「はい、いただきますよ」、といって一人で食べはじめて子供たちでさえ驚愕した。
たとえば、健の兄が病気で入院した時、「健の車で実の娘と自分の3人でいきたいから、喜久子はつれてくるな」
それは2回目の見舞いの時で一回目は喜久子もいったが、貞はなんとか、喜久子を病人からとおざけようとした。90代になってもそうした小賢しいことにあれこれ頭をめぐらしている貞がとてもいやでしかたがない。
たとえば、貞は同居している長男夫婦と仲がわるいので、なにかと、お盆の行事など、遠くに住む健を呼び、自分のおもいどおりにやらせようとして、兄弟、世の中の秩序をみだす。
たとえば、その病人(長男)が退院して家にいるのに喜久子が健と一緒に会いに行こうとすると、健のいない間に喜久子に「あんたはここにいな」とどなりちらす。ようは、40年ちかく正式な嫁なのに全く家人と認めていないのだ。喜久子の実家では皆、健にやさしく身内として全面的にみとめている。
たとえば、貞は90代も後半になり色々キツイから老人ホームをかんがえているらしい。その相談、同居、病気の長男はもうだめだから、「娘、健、貞でしたい」らしい。
「喜久子は、だからつれてくるな」。またどうせ、健におごらせて、3人でご飯でも食べにいきたいだけでしょう。
そんな健の実家に喜久子がいきたい訳がないけど、実の長男は病気だからとはずし、おきにいりのど貧乏、宗教娘と、何でも言うことを聞く素直、健だけでまた楽しく海底温泉のときみたいにやりたいだけなのだ。その証拠にもうあれからずいぶん経つけど、老人ホームへはいっていない。喜久子の母が亡くなってすぐこんな酷いことを平気で言う、義母と義姉にとことん、喜久子はあいそがつきました。
今までも貞の豪胆なふるまいに、縁を切りたいと何度思ったことでしょう。しかし、なんとか健とうまくやりたい、健にあいかわらず愛してもらいたいとおもい我慢にがまんをかさねてきました。しかし、健には女問題で十分うらぎられたし、その必要もありません。シッカリと目がさめました。
お年寄りだから、自分たちの夫婦問題とは別で、貞を大切にしたいという気持ちももう切れました。
だって喜久子も、はや老人なんだもの、疲れましたー。
貞たちは喜久子の息子の結婚式でもあれこれ文句や注文をいったあげく、8万円(タクシー代と貧乏姉にはお祝い金をこちらから先に渡した)あげたのに、結婚式の途中でタクシーにのり帰ってしまったのです。あと少しで終わるのにあきれた。でもじぶんの食べる料理は早くといってもってこさせていたらしい。
ひ孫が生まれてもお祝い返しをよこせ、遅い、早くよこせ?みたいなことをいってとうとう、喜久子の息子も「もう、いやだ」「あっちにはもうしらせるな」と、縁切り状態に。
喜久子も、早60代。なんの未練もなく、貞と縁をきることにしました。いや実際、きってくれたのは貞「喜久子はもうくるな」と。
「はい、わかりました。お母さま、2度とお会いすることはありません。健をつうじて手紙にかいてもらいました「子育て手伝ってくれてありがとうございました。身体を大事にして長生きしてください」
多分貞は百歳まで生きるんでしょう。でももうなんの関係もない。やっと自由の身になった喜久子。ここからは好きなように楽にいきていきたいです。しあわせになりたいです
貞の顔もその他すべて一刻も早くわすれたいのです。
「喜久子さん、健は意思が弱く人にだまされやすいところがある。よくみていてください」
10年くらいまえ、貞が喜久子にいいました。おそい。おそすぎます。健には十分泣かされ過ぎました。
喜久子の人生はこれからなのです。