相変わらず固まるわたしに樋野くんは妖しく微笑んで、それからわざとゆっくり近づく。
わたしの腕を掴んでいない方の手のひらが、後頭部を柔く触って、それからわたしの身体は樋野くんにすっぽりと包まれる。
あの甘い毒とは違う香りが、シトラスの香りが、鼻腔をくすぐっている。
────樋野くんがわたしのことを抱きしめている。
伝染しそうな心臓の鼓動が、夜のしんとした空気の中でやけにうるさかった。
突然の行動にびっくりしているはずなのに、心はどこか冷静で、受け入れてはいけないと思っているのに、まだわたしの身体は動いてくれない。
「……すみません、先輩。やっぱり顔ちゃんと見たいです」
「っ、」
一度身体が離れてから、熱っぽい視線を落とした樋野くんはわたしの知らない声でそう言った。
後頭部に触れていた樋野くんの手のひらがゆっくり移動して、耳にかかった紐に絡まったと思えば、すごく簡単にわたしの顔をおおっていたそれが外れる。
心臓が、うるさい。うるさくて、嫌だ。


