血が滲みそうな位ギュッと、彼女は唇を噛み締めていた。
じっと下を向き、顔を上げようとはしない。

「何があったのか話してくれ」

俺は精一杯声を和らげて尋ねたつもりだが、それでも彼女は答えてはくれない。

「コーヒーの、染みだよな?」

かなり頑張って拭いた後のようだが、胸元から大きなシミがスーツについている。

「誰に何をされた?」

「・・・」
やっぱり、黙り。

はあー。こうなったら何も話さないだろう。
それこそが彼女が誰かに何かをされた何よりもの証拠だ。


俺は、彼女の泣きそうな顔を初めて見た。
いつも凜として、強くてかっこいい女性だと思っていたのに、今は少し幼くさえ感じる。

「誰が何をしたって聞くのは諦めるから、何があったのかだけ教えてくれ」
それを聞かないことには、俺は今夜眠れそうにない。

「こぼれたコーヒーが、かかったんです」
投げやりな答え。

「随分高いところからコーヒーがこぼれたんだな」
嫌みのように返してしまった。

きっと、誰かにコーヒーをかけられたんだ。
それも社内にいる身近な人間だろう。
俺としては、今すぐにでも犯人を突き止めたい。
しかし、

「お願いですから、これ以上追求しないでください」
うつむいていた顔を上げた彼女は、はっきりとした口調で言った。

「それで、君はいいの?」
こんなことをされて黙っているなんて、おかしいだろう。

「いいんです。いつものことですから」
「え?」

「私がいるから事件が起きるんです」

「それは、君がしたことなの?」

「いいえ。でも、私がいなければ起きなかった」
うっすらと目をうるませ、彼女は俺を睨む。

どうした?
なぜ、怒っているんだ?
俺が何か、

「私が専務の秘書にならなければ、ここに来なければ、こんな思いをすることはなかったのに」
溢れそうになる涙を必死にこらえ、彼女は俺を睨み続ける。

生まれて初めて、俺は自分の感情が抑えられなかった。