「そんな私が何か違うと思い始めたのは、10年ほど前、兄が大学受験をするときでした」

「お兄さん?」

「ええ。兄は頭も良かったし、運動もできたんですが、それ以上に絵を描くのが好きで、とても上手でした。小さい頃から絵を習っていましたし、コンクールで入賞する度に母も喜んでいたんです。きっと美大に行って画家になるんだろうと思っていました。でも」

「でも?」

「父が反対したんです。家には男の子は兄しかいませんでしたし、『会社を継ぐのに美大へ行ってどうするんだ』と、あっさり却下でした」

「それで、お兄さんはどうしたの?」

聞いているうちに興味がわいていて、私は身を乗り出した。

「さすがにはじめは抵抗して1週間部屋に閉じこもったんですが、ふらふらになって倒れたところを病院へ運ばれて、母や祖父母に説得されて、キッパリ絵を辞めました」

「そう」

なんだか、お兄さんがかわいそう。

「その時思ったんです。私は自分の意志で生きていく。そして、母のような誰かのために生きる家庭人ではなく、働きながら自分のために生きるって」

「なるほどね。だから一華ちゃんは、営業なんて女の子にはキツイ職場を選んだのね?」
「はい」

お金持ちにはお金持ちの苦労があるのね。
私には縁がないけれど。

「麗子さん」

1杯目のカクテルをちょうど空けたところで、真面目な顔をした一華ちゃんが私を呼んだ。

「何?」

「だから、私は兄に幸せになってもらいたいんです」

「うん」

何が『だから』なのかはわからないけれど、話を聞いて一華ちゃんのお兄さんがかわいそうに思えたし、幸せになって欲しいと思う。

ちょうどその時、

「麗子」

入り口から孝太郎が入ってきた。