当然お手洗いに向かうはずもなく、私は走りやすいようにドレスの裾を持ち上げると使用人用居室棟を目指して一階へ向かった。
周りに見つからないように隠れながらも慎重に進んでいたが、不思議な事に一階へ向かうまでの間、誰ともすれ違わなかった。
偶々にしては、どこか可笑しい。
誰の姿も見かけないなんて……。
階段を駆け下り裏口へ向かおうとした時、意外な人物との遭遇に、持ち上げていた裾を急いで下ろした。
大勢の人を引き連れ入口で立つその人物。
「ん?これは…帰る前にまたこうして会えるとは思っていなかったよ」
「レディーナ様…」
「客人ってのは、嘘ではなかったみたいだな」
町で会った最悪な商人レディーナだった。
不気味な笑みを浮かべるレディーナは、立ち止まる私の元へ徐々に距離を詰める。
「わ、私は急いでおりますので…」
本能が危険だと告げる。
今日はもう部屋へ戻ろうと背を向けるが、レディーナの声が私を止めた。
「俺の商談を台無しにしたのはお前だろう?」
「……はい?」
「惚けても無駄だ。今日町で言っていただろう。皇帝陛下にこの事を報告すると」
何の事だと首を傾げる。
確かにあの時は言った。
『これは帰って陛下に報告した方が宜しい様ですね』と。
けれど、実際には言っていない。
それなのにこの人は、何故だか確信したような言い方だ。
「わ、私は陛下に何も申し上げておりませんが…」
「まだそう言い張るつもりか。お前のせいで俺は商談が失敗で終わった。この有名商人レディーナ様が商談を失敗させられたんだ。お前のせいで!!」
「い、一体何を申されておられるのですか…!?きゃあ…っ!!」
荒々しく私の腕を掴むと、レディーナはどこから取り出したのか刃物を頬へ当てた。
怖くて身体が震える。



