誰かの為に感情を露わにしたのは、いつぶりだろうか。
客室棟の前で馬車は動きを止めると、眠ってしまったアニを抱きかかえ一緒に降りる。
「お帰りなさいませ、陛……下」
迎えに立っていたファンと他の使用人達は、その光景に思わず固まる。
雰囲気を察してか、様子を伺うような視線は感じても、余計な口をきいてくる者は誰一人としていなかった。
いつもであればこの状況に「お前が女性を抱えるなんて〜…」等と口にしそうなファンですら、それ以降は黙ったままだ。
「寝室へ連れて行く」
「承知致しました…!」
ファンに声をかけると、アンディード帝国に割り当てられた五階の客室へと向かう。
階によって国が決まっており、一緒に連れてきた護衛騎士やメイドの部屋等も五階にある。
それなりに部屋数は多いが、最奥にある特別室の二室だけは他の部屋と比べ見た目や雰囲気が異なっている為、迷う事は無い。
「………呑気なものだ」
ベッドの上で横になるアニは、あんな事があったと言うのに気持ちよさそうに眠っている。
男の前で無防備な姿を晒すなど、普通なら考えられない事だが……
「悪くない」
不思議と嫌ではないから驚きだ。
未だに赤く腫れた頬を見る度に、眉間にシワがよるのが分かる。
もしもあの時、アニの側を離れていなければ。
この様な痛々しい目に合わせずに済んだのかもしれない。
そもそも、政治についての会談だと言ってアニの同伴を拒んだくせに、実際はしょうもない雑談ばかりだった。
まるでこの為に、わざと時間を稼いでいたかのようにも思える。