第4章:就職浪人から就職へ

 大学4年生の2月、私は発狂していた。
 私は幼稚園教諭になりたいと細かい志望を固め、さらに公立の幼稚園がいいと受験をしたものの、一次試験で不合格。企業の保育園は即日内定をもらったが、親にやれ「進路はどうするのか早く決めた方がいい」やれ「もらった内定にすぐに飛びつくのはどうかと思う」だの言われ、精神不安定の極みにいた私は悩みに悩んだ。
 当時、私は大学3年生のころからとある公立幼稚園にボランティアとして通っていた。私個人の考えだが、公立幼稚園は、社会のニーズにすごく敏感で、はじめから諸学校のような時間割は無く、学級ごとの学びが子どもたちに合わせやすいと思う。私立の幼稚園でも、周辺地域や、自由な教育に力を入れてるところも多いが、やはり、創設者の意志というものが強いのが私立幼稚園の特徴であり、また、決まったカリキュラム(英会話や算数など)の科目的な活動が多いと感じた私とは、おそらく考え方にズレが生じると思っていた。よって、私立より公立。と、強く思うようになっていたのだ。

 内定をもらった翌日は、偶然にもボランティアの日だった。
「野原先生おはよう!」
そう子どもたちに声を掛けてもらい、担任の補助をしながら、子ども達と関わりながら私は考えた。内定はある。でも、本当に私がしたいことって何だろう。どのような子どもたちが集まるところで働きたい?どんな教育を目指している?そんな考えが丸々1日続いた。そして、子ども達も帰り、教材準備の手伝いをしている最中、気付けば一人で泣いていた。
 「私は、どんな条件の子どもたちでも通える、社会のニーズに敏感である、自分で子どもたちの教育プランを考え続けられる方がいい。それがやりたい。どんな子どもが来ても迎え入れられる可能性の高い公立幼稚園がいい。諦めたくない」
 その日の夜、私は両親に頭を下げ、もう一年間頑張らせてほしいと願い出てた。また翌日、頂いた内定は、辞退させてもらった。

 大学の卒業式の日に、私は卒業証書も花束も持ったまま、とある公立幼稚園の補助講師として働くための面接を受けた。大学の先生が、人手を探しているという幼稚園とのパイプがあり、私に話を持ってきてくださったのだ。
 こうして、1年間、講師として子どもたちのいる時間は働き、そのほかの時間を受験勉強に充てることができた。

 受験は夏。1次試験の筆記、突破。
 2次試験、面接、実技、突破。

 突破?

「……え?」
 仕事が終わり、帰り支度をしていると、ふと、今日が合否発表の日であることを思い出した。スマホを手に、今見るか、帰ってから見るか、5分くらい悩んだ。
 そして、その場で受験番号が載っているか、ホームページをクリックした。
 
 あった。
 あった。
 「あった……!!」

 まだ先生方は業務時間中だというのに、私は弾む心臓を抑えきることができずに職員室に飛び込んでいた。
「あ、あの、きょ、今日がその、発表で……!!」
こんなことを言っていた気がする。先生に、落ち着いて、と言われた記憶もある。やっとの思いで伝えられたのは
「受かりました!!」
だった。
ああ、諦めなくてよかった。その日は嬉しくて泣きながら帰った。
 本当に、嬉しかった。
 あの中から私を選んでくれたことにとても感謝した。