第3章:大学生活

 幼児教育に本格的に取り組むようになっていった。勉強の内容については「幼稚園教諭 保育士 資格」で検索を掛ければたくさん出てくるとだけ言っておこう。つまり沢山だ。必須科目の単位だけで卒業単位分を超えてしまうくらいには沢山勉強をした。もし、読者の方に幼児教育の資格に関わる勉強をした方なら共感してくれると思う。多分、おそらく、きっと。

 さて、何かと波乱のある友人関係だが、やはり始まりはひどいものだった。これだから女は……とため息をつきたくなる。近くの席同士で仲良くなろうと試みた私のいたグループは、早々にグループ内派閥を作り始めたのだ。この子は自分の一番だとか、この子は省いていいだとか、自分はハブられないよにこの子と繋がっておこうなど。
 もちろん、私はつまはじき側だよああそうだよ、私ははじめからハブられる側だったんですよ。悪かったな!

 ……失礼。

 まあ、そんなグループとはいつの間にか自然分解しており、気付けば、私に最初に優しく声を掛けてくれた子と、一匹狼のような大人な雰囲気をもつ子と一緒に過ごすことが増えた。ここでありがたかったのは、自分が勉強したい物を自由に選んでも、友達という関係に一切支障をしたさなかったことだ。
 女子特有の、何でも一緒にしたい、という気質から、同じ科目を取ろうとする学生も多かった。だが、自分の勉強したいものが友人と共通しなくても、自分のしたい勉強をすることが当たり前の空気だったため、私はのびのびと勉学に励むことができた。
 また、コミュニケーションに支障のある私は、修行だと思ってファミレスのフロアスタッフとして接客業に励んだ。最初なんて泣きそうになりながらオーダーをとり、お皿を何枚割ったか……お客様の呼ぶ順番を間違えて刺青の入ったお兄さんにどやされたとか……喫煙席に行こうとする中学生の対応やら……。

 ……失礼。

 途中から早朝出勤に変わり、始発でアルバイトに行ってから大学へ行ったことも懐かしい。朝は常連客が多いため、朝の挨拶から、いつものでよろしいですかまでが、心地よかった。いつも一緒に働いていたパートの方々には本当にお世話になったし、私と年の近い異性との関りもあり、他者との交流の方法をたくさん学ぶことができた。あと、尊敬するという気持ちを始めて本気で感じたのもこの頃だった。
 時々
「あれ?野原さん高校生じゃないの?」
「え?成人してる?嘘」
とか言われたこともあったっけ。全く。それを言われた当時は22歳ですわよ。もう4年生だったのですわよ。なんて話も、今では懐かしい。

 順調に資格の取得、卒業へと私は進んでいった。
 そう、卒業までは順調だった。