「花音が眠れるまでそばにいるよ」
パパはわたしをベッドに寝かしつけながら、頭を撫でてくれた。
「ねえ、パパ…ママはわたしが嫌いなのかな 」
嫌悪感に満ちた、ママのあの目が忘れられない。慎重に言葉を選ぶように、パパは答えた。
「…花音は何も悪くないよ。ママがああなってしまったのは、パパに責任があるんだ」
パパの声は暗い。
「…僕はこれまで何度もママを傷付けた。褒められた人間のすることじゃない。僕は家族から逃げてばかりの、ろくでなしだ」
パパとママが出会った時、ママは既に一つの家庭を持っていた。ママはパパと一緒になるために、それまで築いた家庭を壊すことを選んだ。ママの選択は、たくさんの人を傷つけることになった。
それでもいいと思えるほど、パパのことを深く愛していたのだろう。時が経つと、ママの愛は次第に歪なものへと形を変え、ママは小さな不安を抱くたびにパパを責め、徹底的に管理しようとした。
「さあ、もう目を閉じて。明日の朝起きられなくなってしまうよ」
パパがほほえむ。言われた通り目を閉じると、あたたかい指先がそっとまぶたに触れた。
「いい子だ…」
その手が輪郭を確かめるように頬を撫で、小さい頃よくしていたように、パパはわたしのおでこにキスを落とした。ーー そして不意に、やわらかいものがわたしの唇に触れる。
驚いて目を見開くと、暗闇の中でパパと目が合った。厚い雲に覆われた今日の夜空のように、その目は暗く濁っている。
パパは黒い影のようにわたしに覆いかぶさり、再び唇を押し付けてきた。香水の匂いが鼻腔を満たし、やわらかな感触がわたしの唇の上をうごめきだす。
「ん…、」
それは執拗に、長く続いた。ぎゅっと目を閉じながらキスが終わるのを待っていると、濡れた唇が「花音」と小さくわたしの名前を呼んだ。
なんとなく返事をしてはいけない気がした。暫く寝たふりを演じていると、名残惜しそうにパパの身体が離れ、部屋のドアが開く音が響いた。
「………いまの……なに…? 」
その気配が消えた後も、パパに触れられていた場所がじんわりと疼くように熱を持って、いつまで経っても治らなかった。
*
「…ちゃん、……花音ちゃん!」
「あ、…なに?冬樹くん」
「さっきからぼんやりしてるみたいだけど大丈夫?人混み疲れちゃった?」
「う、ううん!大丈夫、なんでもないよ!」
週末、わたしは冬樹くんとリトル・フランス村を訪れていた。開園時間前にも関わらず、入場ゲートの前には既に長蛇の列が出来ている。
「週末なだけあって流石に混んでるね」
「そうね。あっ、開演したみたい。行こうっ、冬樹くん! 」
リトル・フランス村は、フランスの伝統文化に因んだテーマパークだ。
入場ゲートを越えた先にそびえ立つのは、フランスの世界遺産、ヴェルサイユ宮殿の一部を模した大きなお城。中に入ると、一階は博物館、二階は文化体験ブースが展開されていた。
「あっ、ここ、フランスの本格的なドレスが着られるんだって。期間限定のイベントらしいよ」
冬樹くんが指指す先には、フランスの伝統衣装やドレスを実際に着ることの出来るコーナーがあった。
「ドレスかあ。花音ちゃん、すごく似合いそう」
「えっ、そうかなあ?」
ドレスなんて、小さい頃のピアノの発表会以来着ていない。入り口付近で迷っていると、中からスタッフの女性に声を掛けられ、ドレスの展示室に案内された。
そこには、映画でしか見たことがないような豪華なドレスが並んでいた。色とりどりの綺麗なドレスを前に、わたしは「わあっ」と声をあげる。
「お客様でしたら、どんなドレスもお似合いだと思いますよ!」
「すごい…こんなにたくさん…迷っちゃうわ」
「あちらのドレスなんていかがでしょう?お客様のイメージにぴったりですわ」
展示室の一番奥に、ピンク色のドレスが飾られていた。お花畑のようなキラキラした胸元の装飾は、ここに並べられたドレスの中でも、一段と華やかだった。
「わあ、素敵!マリー・アントワネットみたい!」
わたしはドレスに駆け寄った。レースの折り重なった袖口や、ふんわりと裾野広がったドレスのシルエットは、とても本格的なデザインだった。
「すごく似合うと思うよ、花音ちゃん。着ておいでよ」
冬樹くんがほほえむ。わたしは綺麗なドレスを目の前に、ドキドキと胸を弾ませた。
パパはわたしをベッドに寝かしつけながら、頭を撫でてくれた。
「ねえ、パパ…ママはわたしが嫌いなのかな 」
嫌悪感に満ちた、ママのあの目が忘れられない。慎重に言葉を選ぶように、パパは答えた。
「…花音は何も悪くないよ。ママがああなってしまったのは、パパに責任があるんだ」
パパの声は暗い。
「…僕はこれまで何度もママを傷付けた。褒められた人間のすることじゃない。僕は家族から逃げてばかりの、ろくでなしだ」
パパとママが出会った時、ママは既に一つの家庭を持っていた。ママはパパと一緒になるために、それまで築いた家庭を壊すことを選んだ。ママの選択は、たくさんの人を傷つけることになった。
それでもいいと思えるほど、パパのことを深く愛していたのだろう。時が経つと、ママの愛は次第に歪なものへと形を変え、ママは小さな不安を抱くたびにパパを責め、徹底的に管理しようとした。
「さあ、もう目を閉じて。明日の朝起きられなくなってしまうよ」
パパがほほえむ。言われた通り目を閉じると、あたたかい指先がそっとまぶたに触れた。
「いい子だ…」
その手が輪郭を確かめるように頬を撫で、小さい頃よくしていたように、パパはわたしのおでこにキスを落とした。ーー そして不意に、やわらかいものがわたしの唇に触れる。
驚いて目を見開くと、暗闇の中でパパと目が合った。厚い雲に覆われた今日の夜空のように、その目は暗く濁っている。
パパは黒い影のようにわたしに覆いかぶさり、再び唇を押し付けてきた。香水の匂いが鼻腔を満たし、やわらかな感触がわたしの唇の上をうごめきだす。
「ん…、」
それは執拗に、長く続いた。ぎゅっと目を閉じながらキスが終わるのを待っていると、濡れた唇が「花音」と小さくわたしの名前を呼んだ。
なんとなく返事をしてはいけない気がした。暫く寝たふりを演じていると、名残惜しそうにパパの身体が離れ、部屋のドアが開く音が響いた。
「………いまの……なに…? 」
その気配が消えた後も、パパに触れられていた場所がじんわりと疼くように熱を持って、いつまで経っても治らなかった。
*
「…ちゃん、……花音ちゃん!」
「あ、…なに?冬樹くん」
「さっきからぼんやりしてるみたいだけど大丈夫?人混み疲れちゃった?」
「う、ううん!大丈夫、なんでもないよ!」
週末、わたしは冬樹くんとリトル・フランス村を訪れていた。開園時間前にも関わらず、入場ゲートの前には既に長蛇の列が出来ている。
「週末なだけあって流石に混んでるね」
「そうね。あっ、開演したみたい。行こうっ、冬樹くん! 」
リトル・フランス村は、フランスの伝統文化に因んだテーマパークだ。
入場ゲートを越えた先にそびえ立つのは、フランスの世界遺産、ヴェルサイユ宮殿の一部を模した大きなお城。中に入ると、一階は博物館、二階は文化体験ブースが展開されていた。
「あっ、ここ、フランスの本格的なドレスが着られるんだって。期間限定のイベントらしいよ」
冬樹くんが指指す先には、フランスの伝統衣装やドレスを実際に着ることの出来るコーナーがあった。
「ドレスかあ。花音ちゃん、すごく似合いそう」
「えっ、そうかなあ?」
ドレスなんて、小さい頃のピアノの発表会以来着ていない。入り口付近で迷っていると、中からスタッフの女性に声を掛けられ、ドレスの展示室に案内された。
そこには、映画でしか見たことがないような豪華なドレスが並んでいた。色とりどりの綺麗なドレスを前に、わたしは「わあっ」と声をあげる。
「お客様でしたら、どんなドレスもお似合いだと思いますよ!」
「すごい…こんなにたくさん…迷っちゃうわ」
「あちらのドレスなんていかがでしょう?お客様のイメージにぴったりですわ」
展示室の一番奥に、ピンク色のドレスが飾られていた。お花畑のようなキラキラした胸元の装飾は、ここに並べられたドレスの中でも、一段と華やかだった。
「わあ、素敵!マリー・アントワネットみたい!」
わたしはドレスに駆け寄った。レースの折り重なった袖口や、ふんわりと裾野広がったドレスのシルエットは、とても本格的なデザインだった。
「すごく似合うと思うよ、花音ちゃん。着ておいでよ」
冬樹くんがほほえむ。わたしは綺麗なドレスを目の前に、ドキドキと胸を弾ませた。
