第3話「瑠璃玉薊」

「いらっしゃいませ」
オレンジ色のパーカーを着た男性と、青いTシャツを着た男性が店の中に入ってきた。オレンジ色のパーカーを着た男性が指を2つ立てた。
「こちらのお席へどうぞ」
カウンター席に2人は並んで座った。メニューを眺め、青いTシャツを着た男性がオレンジ色のパーカーを着た男の顔を見て話しかけた。
「瑠夏(るか)注文決まった?」
「ん」
「じゃあ、注文しよっか」
「ん」
「すみません、アイスティーと……うん、ホットコーヒーひとつずつで」
「かしこまりました」
注文が終わると、瑠夏はスマホをいじり始めた。青いTシャツを着た男性は、おもむろに自分のスマホを取り出し、同じようにいじり始めた。
しばらくそうしていると、2人の前にはそれぞれの飲み物が並んだ。一口飲んでほぅ……と息を吐くと、瑠夏は話し始めた。
「なあ、児玉(こだま)、本当に転校すんのか?」
「……うん」
「何で」
「このままじゃいけないから」
「意味わかんね。今転校したって辛いだけじゃねえの?」
「そうかもね」
「ならこのままでいいじゃねえか。なんだよ、不満でもあるのかよ」
「不満、どうだろ、このままでもって考えたよ。このまま時間が解決してくれるんじゃないかとか、そのうち変わっていくんじゃないかとか。でも、待っているだけじゃ無理だって思った」
「……」
「周りの環境ってさ、勝手に変わってくれないんだよ。自分が変わる方がよっぽど簡単なんだよ」
「それで、今までの環境を捨ててでも新しい一歩をってか?俺は馬鹿莫迦しいと思うがな」
「そうだね、実際怖いし。一人ぼっちになるような気がする」
「なら、このままでいいじゃん」
「でも、だめなんだ。僕は、このままだとだめなんだ」
「意味わかんね、理解できねえ」
引き留めるような瑠夏の声、怯えながらも決意している児玉の声。同じ空間にいるはずなのに空気がずれているように感じる。瑠夏の方が強気に感じるし、児玉の方が弱気に感じる。なのに、瑠夏の方が怯えているようにも、児玉の方が強かにも感じる。
歪。
「僕は、瑠夏と出会えてよかった。あの時話しかけてくれてすごく嬉しかった。じゃなきゃ、僕は今もきっと一人ぼっちだったよ」
アイスティーが少し減る。
「お前、暗いもんな。何でもっと明かるくできねえの?」
ホットコーヒーが少し減る。
「分からない。なんでかな、大人しくしなきゃって思うんだよ」
「それが暗いってんだろ」
「そうだね」
「俺の苦労もわかってくれよ。お前、1人じゃ何もできないじゃねえし、世話かかるし」
「あはは、ごめんね」
「ごめんじゃなくてこう、態度で示してくれないかなあ?」
「土下座でもする?」
「こんなところでやめろ」
「だよね」
少しずつ飲み物の量が減っていく。ふと、児玉が思い出したかのように問いかける。
「そういえば、何であの時瑠夏は話しかけてくれたの?」
「あ?ああ、あん時?お前ひとりでおろおろしてたから話しかけた」
「そっか」
児玉は苦笑いをしてアイスティーを口に含んだ。
「一人でいるの辛いくせに」
ふと言われた瑠夏の言葉に児玉は固まる。
「……」
そっと口に含んだアイスティーを飲み込んだ。
「転校なんかして、お前死ぬんじゃねえの?」
「……」
「転校先じゃもっと辛い目に遭うんじゃねえの?」
「……」
「なあ」
「……」
「なんか言ってみろよ」
「……」
「なあ!」
ガタンとテーブルを叩くと児玉の顔を見て、舌打ちをしてそっぽを向いた。児玉は、下を向いたまま、唇をかみしめている。何かを抑えるように、何かを固めるように。
「ごめんね」
「だからごめんじゃなくて誠意ある態度をな……」
「でも、もう決めたんだ」
手を握り込んでいるのか、児玉の肩が震えている。そして、ゆっくりと瑠夏の顔を、目を見てもう一度同じことを言う。
「もう決めたんだ」
「……」
「ごめんね……じゃないか、その……」
「なんだよ」
「ありがとう」
「は?」
「ありがとう。瑠夏に出会えてよかった」
「なんだよ、永遠の別れみたいに」
「僕がつけなきゃならないけじめだよ。誠意ある態度……かな?」
「……」
「僕のこと気にかけてくれて嬉しかった。瑠夏と友達になって色んなことを学んだよ」
過去の思い出にふけるような、甘いものを含んだような表情で児玉は回想を始めた。
「最初はさ、僕、何でもかんでも本気にしてさ、ただのじゃれ合いとかもできなくて、必死にごまかしたりして、そのうちに、冗談の言い方とか、じゃれ合いのノリ方とか知ったし、僕が知らないことを瑠夏は沢山教えてくれたよ。僕はそのおかげで世界が広がった。うん、たぶん、最初の時より広がったはずなんだ」
児玉は一気に話し終えると、一息ついた。そして再び言葉を紡ぐ。
「でもさ、段々とずれていったんたよ。本当にこれでいいのかってさ」
「……」
「環境に適応する力は必要だと思うし、瑠夏のおかげでそのとっかかりを知ることができたと思うよ。でも……でも……」
児玉は、少し声を震わせる。
「自分は、このままじゃだめになるって分かったんだ。分かった……ていうか、予感がする。実際にもう限界なんだよ」
「もう一度やり直せばいいいじゃねえか」
「もう一度、はもうやったよ」
「は?」
「覚えてない?」
「覚えてない」
「そっか」
寂しそうな表情をして児玉はアイスティーの量を減らした。
「お前のために色々してやったのに」
「うん」
「なんでそういう返し方なんだよ。恩を仇で返すっていうんだぜ、そういうの」
「うん」
「申し訳ないと思わないのかよ」
「思うよ、少しは。でも、それ以上にもう無理だ」
「無理って……ひどくないか?」
「酷いか……」
「道に非ずの非道(ひどい)だ」
「そうか……」
「……」
「……」
もう、それぞれの飲み物は少しだけになっていた。
「それでいいんだな?」
「うん」
「本当にいいんだな?」
「うん」
「忠告したからな?」
「うん」
「……そうかよ……」
瑠夏はもう冷めたホットコーヒーを飲み切って、テーブルに代金を置いて席を立った。
「さよならだな」
「うん……」
「さよなら」
「瑠夏、あのさ……」
「さようなら!!!!」
大きな音を立てて椅子をテーブルに入れて、ドアを開け放って店を出ていった。残った児玉は、氷が溶け切ったアイスティーをすする。
「…………」
無言ですする。
「…………これで、いいんだ……これでやっと、終わった……負けるもんか……まけ……」
そんな言葉が聞こえた。児玉は、見なくても分かる。泣いていた。悔しそうに、至極悔しそうに。そして、涙を見えられまいと下を向いたまま会計を済ませると、そっと外へ行った。
「ありがとうございました」