「くそっ……、なんでうまくいかない!?」


一人きりのスケートリンクに、大きな声がこだまする。

どうしても三回転のジャンプが飛べない…。

何度練習しても、フォームの確認をしても、着氷の時バランスが崩れて、十分に回りきれない。
これじゃあ、点数にならない!

一時間二万円で借りた貸切のスケートリンクも、これじゃお金の無駄だ。

僕は思わず氷から降りて、リンクのベンチに座る。


ふと、母親の用意してくれた昼食が目に入る。
プロテインと、少しの炭水化物、それに果物とチョコ。


僕はプロのアイススケーターを目指している。

高校も、コーチのスケジュールを優先して、時々休まなければならない。

僕は確かにスケートが好きだ。けれど、僕の母親の方がスケートに熱中していた。

スケートに関係ないものは、漫画もゲームもテレビも、全て排除されて。

そんな母親が嫌いだ。


「こんなんじゃ…やっていけるわけないだろ……!」

僕の文句は母親の弁当への愚痴でもあったし、自分のスケート技術への絶望の言葉でもあった。

僕と同じ高校二年生でも、三回転を跳べる選手はゴロゴロいる。

明らかに、僕は劣等生だ。
コーチも自分に期待をかけていないことはわかってる。



「そろそろ。やめ時なのかもしれないな……」


自分で言っておいて、その言葉に涙が滲んできた。

何度も何度もやめたいと思ったことはあった。

けれど、こんなに本気で口にしたことはなかった。


怖いのは、その言葉が……


「辞める」って言葉が、思ってた以上に心にしっくりきてしまったこと……。



僕は下を向いて、ただ流れる涙を止めもせずに、絶望に浸っていた。

泣いていると、スケートリンクの中から、氷を滑る音がした。

おかしいな、貸切のはずだったのに。もう時間過ぎたのかな?


顔を上げると、一人の男性が氷の上を滑っていた。

少し危なっかしい時もあるけれど、ゆうゆうと滑っている。

キャメル色の大きなコートに、帽子の隙間から見える髪の毛は、なんだか少し日本人っぽくない薄い色で…。



その時、その男性が氷の上で転んでしまった。

あまりにも大人気ない、大きな転び方だった。



でも男性は、氷から体を起こす時、笑っていた。

笑顔だった。


僕はその表情を見た瞬間、過去の自分とスケートとの関係を思い出す。

何度転んでも、できないところを指摘されても、悔しくなかった。
悲しくなんてなかった。涙なんて、出てこなかった!

だって、スケートが大好きだったから!

転んでも失敗しても、思ったことは、「もう一回飛べる!」、それだけだった…。

悔しい。悔しい!

起き上がった男性の笑顔を、引っ叩いてやりたくなった!

だって、もう自分は転んでも、笑顔になんてなれないから…。



僕がまた下を向くと、隣に誰か来て。



「これ、食べる?」


 顔を上げると、さっき転んでた男の人が、子供が食べるような小さいスティックパンの袋を持って、立っていた。


「これ……」

「なんか、泣いてたし。苦しい時は甘いものでも食べなよ」


 男性は今度はポケットの中をごちゃごちゃと手でかき回して、数個ののど飴を、僕の手に握らせて。


「スケート場、乾燥するし寒いから。よかったらどうぞ。じゃ、頑張って」


 その言葉だけ言って、さっさと帰ってしまった。


僕は手の中に残った、パンの袋と飴玉数個を見て。

昔から、脳に糖分の行かないようなお菓子は体重を増やすだけだからと、母親に取り上げられていた。

こういうものが食べれるのは、親に隠れての年に何回か、友達の誕生会くらいで。


 僕はパンの袋を開けて、一つ食べた。

 ……甘かった。


「甘いなあ、おまえ」


あんまりにも甘くて、泣いた。


そのあとは、一歩も滑らずに僕はリンクから出た。