まずは馬鹿でかい光球を放って、マティウスの出方を見る。
 光を生み出すのはごく初歩的な魔術で、本来なら詠唱などいらないのだけれど、唱えたのはそれを使うとマティウスに知らせたかったからだ。
 防ぐには真逆の属性をぶつけるか、球そのものを弾き返すか。
 その二択のうちどちらを選択するか知るだけでも、相手の戦闘スタイルを推測することができるのだ。
 授業での戦闘訓練のときも、よくこの光球を使う。てっとり早く相手の視界を奪う、もしくは次の行動を制限することができるから。

 さて、マティウスはどう動くだろうか。

 杖から放たれた光球が、今まさに彼の顔の前で弾けた。
 それなのに、打ち消すことも弾き返すことも、ましてはよけることすらしなかった彼は、何と……ギュッと目をつむっていた。

「何やってんのよ⁉︎」

 思わず、声が出た。
 本当ならここで間髪入れずに次の攻撃ーーたとえば、圧縮した空気の球だとかーーを叩き込むのだけれど、マティウスのまるでズブの素人ような反応に驚いてしまった。

「あんた、死にたいの?」
「いや……カティがひどいことをするなんて思わなかったから」
「はぁ? あんた、わたしのこと舐めてるの? 学年が違うから知らないのかもしれないけど、わたしは貴族たちから『下町の悪魔(ストリートデビル)』って呼ばれてるのよ?」

 悪口のつもりなのだろうけれど、わたしはその名前が気に入っている。舐められるより嫌われたほうがずっといいから。そう呼びつつも、彼らがわたしを恐れていることはちゃんとわかっている。
 ボロボロにしてきた金持ちの子は数知れず。おかげで奴らに圧力をかけられがちな一般生徒の身でありながら、喧嘩を売られたことなど一度もないのだ。みんな、長生きはしたいらしい。
 そうはいっても負けっぱなしもその高すぎるプライドが許さないのか、訓練のたびに束になってかかってくるようなあまちゃんたちもいる。そんなあまちゃんたちの攻撃パターンを読み、一枚も二枚も上をいって、そのプライドと体をバリバリにしてやるのが好きなのだけれど、マティウスはそもそもわたしを攻撃対象とすら考えていないらしい。

「随分と生ぬるい頭してるのね。いいよ……それなら、次は火の魔術で行く。焼死したくなかったら、本気で避けろ!」

 呆けた顔で突っ立っているマティウスに腹が立って、言いながらわたしは杖から火球を出していた。同時に風の魔術も使って、火球に空気を送り込んで大きくしていく。火球が人ひとりを飲み込むサイズになったところで、今度は風の力によってマティウスのほうへ押し出す。
 突風に弾かれた火球は、熱風を放ちながら速度を増して飛んでいく。これでも何もしないというのなら、坊ちゃんは一度焼け死んだほうがいい。
 普通の思考回路をしているなら、属性として火より優勢の水の魔術を放つだろう。そうすれば、それがわたしの放った火球より大きければ、わたしにダメージを与えることができる。

「ーーはぁ?」

 ところがマティウスは、大きな土壁を出現させていただけだった。おそらく、その後ろで座り込んでいるのだろう。
 現時点ではそれによって火球から逃れられているけれど、根本的な解決にはなっていない。壁越しに熱は伝わっているだろうし、そのままにしておけば、やがて火球を押し出している風が土壁をえぐるだろう。
 そうじゃなくても、わたしが今すぐ火球に進路を変えるよう指示を飛ばせば、彼の体を焼くのは簡単だ。

「舐めてんのか!」

 火球を消して、すぐさま土の魔術に切り替えた。そんな、入学したてで習う土の壁でわたしの攻撃をどうにかできると思っているのなら、それを壊してやる。
 杖から放たれた大きな岩に鋭い風をぶつけ、砕く。礫(つぶて)となった岩はそのまま弾丸のように次々とマティウスを守る壁に突き刺さっていき、やがて打ち砕いた。

「痛っ」

 自分が作った壁の瓦礫に痛がりながら、マティウスはまた馬鹿の一つ覚えのように壁を出現させる。
 腹が立つ。魔術や戦闘を平面的にしか捉えない奴は嫌いだ。
 だからわたしは、「上にも気をつけろ」ということを伝えるために、今度はマティウスの真上から礫を降らせた。

「痛い痛いっ!」

 言いながら、彼は自分の四方を壁で囲んだのち、最後は天井を蓋する形で閉じこもってしまった。
 本当に、土壁しか使うつもりがないらしい。というより、彼の魔術知識がここで止まっている可能性がある。

「馬鹿なの⁉︎」

 噴水を利用して土壁を押し流す勢いの水流を生み出し、マティウスへぶつける。マティウスを囲んでいた箱はしばらくの間それに耐えたが、やがて崩壊した。

「おっと」

 瓦礫と水に押され溺れそうになったマティウスは、またまた土壁を出現させ、何を考えたかそれに乗り、風の魔術を使って水の上を滑ってわたしの元までやってきた。

「ちょっと! 何やってんのよ!」
「うまいだろ?」
「うまいだろ? じゃない! 今は戦闘中よ?」
「もう戦闘は嫌だ。他のことをしないか? 私はこんなことができるんだ」

 わたしの怒りなどまるで気にならないのか、マティウスはポケットから取り出した何かを地面に落とし、それに対して魔術を使いはじめた。
 控えめな光の球は地面をそっと照らし、その照らされた部分に小さな雲が雨を降らせていく。すると、先ほどマティウスが地面に落としたものから双葉が出て、伸びて、葉を増やし、ぷっくりとした蕾をつけ、やがてそれが開いた。

「どうぞ」

 魔術で咲かせたピンクの花を、マティウスはわたしに差し出した。
 それはまごうことなき本物の植物。マティウスは、種の成長を魔術で促し、短時間で開花までさせたのだ。

「戦うのは、どうも得意ではないんだ。こういう、植物とかを生やすほうが好きだな」
「……そうですか」

 鹿でもいっちょ狩りますか! みたいな服装した人が何を言っているのだろうか。顔つきだって鋭くて、好戦的な感じなのに。

「カティは軍人には向いていないな」
「……なぜそう思うのですか?」

 花を持つわたしを、マティウスは微笑みを浮かべて見ていた。まさか、「花が似合うから」とか言い出すのだろうか。そんなお花畑なこと言い出したら、また濁流で押し流してやる。

「確かにカティは強いのだろうと思う。でも、冷徹さが足りないんだ。ものすごく感情で動いていただろ?」
「……そうですね」
「でも、私のために一生懸命になってくれてありがとう。おかげで土壁の練習がたくさんできた」
「……どういたしまして」

 嫌味でも何でもなく、マティウスは本当に嬉しそうにしている。
 猛獣を相手に本気の戦闘をするつもりだったのに、球遊びでも一緒にさせられたような気分だ。
 肩透かしというか何というか。

「マティウスさまは、日頃の戦闘訓練はどうされてるんですか?」

 防戦一方のマティウスのスタイルでは、いずれ疲弊して倒れるしかないし、そもそもあれでは多方面からの攻撃を防げない。
 わたしのような院生に目をつけられたら長く持たないはずだ。
 わたしもこれがアルバイトでなかったら、光球を放ったあと何らかの攻撃を仕掛けて撃破していただろうから。
 何ができて何ができないかを探るために長引かせただけだ。

「私は『もぐら』って呼ばれているんだ。……さっきのように箱に入ったあと、土を掘って地中を進んで、別の場所に出るんだ。私が箱の中にいると思っている相手を出し抜いて、背後に回って『コン』とやるときもあるし、ただ逃げるときもある。でもまぁ、いつもそれなりにやっているよ」
「……」

 無邪気に答えるマティウスに、わたしは何も言えなかった。この人はたぶん、本気で戦闘をしたことがない。苦手とかそういうこと以前の問題だ。
 好戦的とは、まるで真逆の性格。
 今回のことで、学友を殴って停学というのもかなりの疑問が出てきた。
 冤罪だとは思わないけれど、このマティウスが人を殴ったというのは、それなりに事情があるのではないかという気がしてきたのだ。
 ……まだたった一晩と少し一緒にいただけだから、欺かれている可能性もあるけれど。