マティウスとのことが無事に片付いて、休暇も残すことあとわずかと言うことで、エッフェンベルグ夫人と買い物に行くことになった。
 夫人曰く、「これまで我慢していたぶん、たくさんお洋服とかを買いましょう」ということらしい。
 この前たくさんドレスを作っていただいたから大丈夫と断ったのだけれど、「娘とお買い物に行くのが夢だったの」と少し悲しそうな顔で言われてしまったから、それ以上強くは言えなかった。
 わたしはどうも、あのくらい年齢の女性に弱いみたいだ。
 母のことを思い出すからか、どうにもあのくらいの歳の女性にお願いごとなんかをされると無下にできない。
 だから夫人が悲しそうにしてみせるのも作戦だろうなとわかっていても、それに乗らないということはできないのだ。

「学校が始まったらまた忙しくなるんだから、今日のお買い物で必要なものも欲しいものもたくさん買っておきなさいね」

 市街地へ向かう馬車の中、エッフェンベルグ夫人は上機嫌で言う。
 これはわたしが思う存分欲しいものを期待した口ぶりだけれど、そうは言われても何も浮かばない。
 何せ、これまでの人生は質素倹約を地で行くようなものだったのだ。幼い時分は生きているだけで丸儲けだったし、母を亡くしてからは学業の合間に生活費を稼ぐのがやっとだった。
 だから、使えるものを使えるうちはずっと使い続けるのが当たり前だったから、何が必要で何を欲しいのかと聞かれても、いまいちピンとこない。

「今あるもので十分……だと思うんですけど」
「そんなわけないでしょ! 下着は? 古いものを長く使っているでしょ? そういうのが実は、病気の原因になったりするのよ。それにお勉強に使うペンだって安物だと長時間握っていると手が痛くなるだろうし、紙だってケチケチしないでたくさん使ったほうが頭に入るんじゃないかしら」
「じゃ、じゃあ、下着とペンと紙が必要です……」
「そうそう、それでいいのよ」

 夫人のことをオウムのように繰り返して言っただけなのだけれど、満足そうに微笑まれた。
 本当ならあれこれ欲しいものを口になのはわかるものの、物欲がないから仕方がない。というより、何となく自分の中にお金を使うことへの恐怖というか忌避感みたいなものがあるのを感じる。
 最低限のもので暮らし、最低限のものを食べて生きていく――そんな生活というか考え方が、思いきり身体に染み付いてしまっている。

「カティ、お洋服もたくさん買おうね! 調べてみたら、ローブの下には何を身に着けてもいいんでしょ? だからブラウスとかスカートとか、あとズボンも買おうよ。乗馬用のキュロット、一着しかないでしょ。だったら、この際だからたくさん買おうよ」

 馬車に同乗しているアンドレもノリノリだ。今は可愛らしいご令嬢スタイルだから、アンドレアと呼ぶべきか。
 一緒に買い物に行くとなって、朝からアンドレアにあれこれ弄り回されたから……わたしも今日はそれなりにお嬢様だ。
 丁寧に編み込まれた髪に、レースたっぷりの手触りがいいブラウス、お尻の部分が段々のフリルで膨らんでいるラベンダー色のスカートと共布でできたカマーベルトという出で立ちは、慣れないけれどものすごく可愛くて素敵だと思う。
 これも夫人がこっそり用意してくれていたものらしい。アンドレアは、こういうお洋服をもっとたくさん買うべきだと言ってくる。

「ローブの下に着るものは、汚れても傷んでもいいものを着たいから新しく仕立てるのはどうかな……きれいな洋服が汚れるのは嫌だな」
「汚れたり傷んだりしたら買い換えればいいんだよ!」
「それならなおさら安物でいいよ」
「カティは吝嗇家(りんしょくか)だなあ。お金はあるなら使わないといけないんだよ! 金持ちが貯め込むなんて、悪だからね!」
「……そういうものかな」

 金は天下のまわりもの、とでも言いたいらしい。
 確かに豊かな人がきちんとお金を使うことで経済が回るのはわかるのだけれど、それをわたしがいろいろと買い込むことに結びつけられると、どうにもピンと来ない。

「まあ、カティも今はそうやって物欲ってものがわからないって顔をしてるけど、いざお店を前にしたらどうなるかわからないわよー? というわけで、到着ね」

 おしゃべりをしている間に到着したらしい。
 馬車が停まったかと思うと扉が開けられ、身なりの良い男性に手を差し伸べられた。どうやら、馬車から降りるエスコートをしてくれるようだ。

「フットマンを抱えたお店もあるんだね」
「そりゃ、ここくらいの店になればね。だってここは、この国で一番大きなハローズ百貨店だもん!」

 馬車を降りてアンドレアに小声で耳打ちすると、なぜか彼女が得意げな顔をした。
 なぜなのかそのときはわからなかったけれど、店の方に視線を向けたときにわかった。

「わあ……!」

 そこにあったのは、大きな建物だった。わたしがこれまで見てきたどんな店よりも、大きな大きな建物だ。もしかしたら、魔術学院の校舎と同じくらいあるかもしれない。

「大きくて驚くわよね。私も初めて見たときはびっくりしたわ」
「あの、これ、何屋さんですか……?」
「何でもあるのよ。紳士服も婦人服もアクセサリーもカバンも、それからレストランもね」
「す、すごいところに来てしまった……!」

 わたしがあまりにも貧乏人丸だしで驚くからか、そばに控えていたフットマンがクスッと笑った。
 笑われて恥ずかしくて、わたしはアンドレアの背中に隠れたかったけれど、そうはさせてもらえなかった。

「新鮮な驚きをご提供できたようで、誇らしい気持ちです。お嬢様、どうぞお買い物をお楽しみください」
「は、はい」

 にっこり笑顔でフットマンに言われて、わたしは必死に笑顔を浮かべて返事をするしかなかった。

「さあ、何から見ていきましょうか」
「まずはカティが喜ぶものってことで、文具はどうかな? 徐々に気分が高まれば、きっと服とかも欲しくなるはず」
「そうねえ。それがいいわ。小物から攻めましょう」

 案内されて店内に入り、わたしがエントランスの広さや装飾に驚いている間に、夫人とアンドレアは勝手に話を進めていた。
 エントランスには色硝子や金属細工の見事な装飾が施されているというのに、二人は目もくれない。これだから金持ちは。
 まだ見ていたいけれど二人が先へと進んでしまうから、仕方なくわたしもあとに続いた。

「文具は確か宝飾品と同じ階だから、三階だったはずよね」
「これが、魔術式昇降機(エレベーター)……! 魔術で浮遊を制御して、速度や角度を計算して人を運ぶ、高度な魔術の結晶のような技術!」
「そういえばカティって、魔術バカだったね。こんなところで興奮のスイッチが入るなんて……」

 エレベーターに乗り込んで、わたしはまたつい興奮してしまった。
 魔術で動く、人を運ぶ箱があるというのは聞いていたけれど、実際に乗るのは初めてだ。
 自分がもしこういった魔術を使えたらどんなふうに利用しようかと思うと、やっぱり興奮してしまう。
 どんな理屈で、どんなきっかけでこれを思いついたのか、メインの魔術は何属性なのか、そういうことを製作者に尋ねてみたい気分だ。
 ゆっくりと上昇する箱をじっくり観察したかったけれど、目的の階に到着するとアンドレアに引きずるように降ろされてしまった。
 今日の目的が魔術の探究ではなく買い物だから、仕方なくそれに従う。
 百貨店の中は天井も柱も凝った装飾が施されていて、本当はもっと見たいけれど。

「さあ、ここが文具店よ。紳士のためのものが多いけど、ちゃんとご婦人用のものもあるから」
「……おお!」

 婦人が手で指し示した場所には、たくさんの文具が並んでいた。
 珍しい色のインク、香りを吹きつけて使うことができる箔押しのしてある便箋、可愛らしい意匠の文鎮、それから様々な種類のペンだ。

「カティ、便箋をひと揃い買ってみたら? この箔押しの部分、好きな柄にしてもらえるのよ。あなた専用の便箋を作って、それに香りをつけてマティウスに手紙を書いてみたらどうかしら?」

 夫人は楽しそうに「うふふ」と笑って言う。たぶん、冷やかす意味もあったのだろうけれど、わたしはそれにひらめきを得てしまった。

「では、それでお願いします。箔押しは……花とか植物の可愛らしいものを。それと、香水はわたしはよくわからないもので、マティウスが喜びそうなものをあとで選んでください」
「わかったわ。……カティったら、あの子のことになると買い物に積極的ね」
「学院に戻ったら、手紙で釣ろうかと思いまして。課題でいい成績を出すたびに手紙を書くと言えば、おそらくやる気を出すのでは」
「まあ、そういうこと……しっかりしてるわね」

 甘い事情だけで手紙を書くわけではないとわかって、夫人は苦笑した。でも、手紙を書けばマティウスが喜んでくれるだろうなと思ったのも本当だ。

「カティ、こっちにあるペンが素敵だよ! 絶対好きだよ!」

 ひとりで店の中を見て回っていたアンドレアが、笑顔で手招きしてきた。そっちに行ってみると、地味な感じのペンがずらりと並んでいた。

「これね、魔法使いや魔術師たちの杖に使われる木材で作られてるんだって」
「杖と同じ? 確かに、見覚えがある感じかも」

 杖と同じ材質だと思うと、見え方がさっきとは変わってくる。ただの地味なペンではない、味わい深いペンのように思える。

「お嬢様は魔法使いか魔術師でいらっしゃいますか? でしたら、お使いの杖の材質をお申し付けいただければ、同じ材質のものをお持ち致しますよ」

 わたしが興味を示したのを見抜いたのだろう。店員が寄ってきて、そう丁寧に申し出てくれた。
 夫人のほうを確認すると「大丈夫」というように微笑んでくれたから、わたしは店員の申し出を受けることにする。

「では、ヤマナラシのものと、カラマツのものをお願いします」
「かしこましました」

 店員は軽く礼をしてから店の奥に消えた。
 二種類頼んだ意味がわかったらしい夫人はニコニコしているけれど、アンドレアは首を傾げていた。

「何で二種類?」
「わたしのと、マティウスの杖の材質と同じものを頼んだの」
「ああ、なるほど。カティもそういう、恋人とお揃いのものを持ちたいって気持ちがあるんだね」
「まあ、それは……ちょっとくらいなら。それより、ペンがお揃いってことでマティウスが少しでも勉強にやる気を出してくれたらいいなって」
「そういうことにしといてあげる」

 アンドレアにニヤニヤされて、わたしは恥ずかしくなってしまった。お揃いにしようという意識がそんなにあったわけではなくて、きっとマティウスも喜ぶだろうという気持ちだっただけなのだ。
 でも、一度言われてしまうと、これからこのペンを使うたびにお揃いなのだということを思い出してしまうだろう。……そう思うと、ちょっと恥ずかしい。


 それからわたしたちは下着や洋服、ちょっとした髪留めやブローチを買って、ひと通りの買い物を終えた。
 わたしとしては素敵なペンを買えた段階で満足だったから、あとは夫人とアンドレアのアドバイスに従って、言われるがままにいろいろと買ってもらうことにした。
 最初は、何でそんなにたくさんのものを買うのだろうと思っていたけれど、そのうちに麻痺してしまった。女の人のお買い物好きパワーは恐ろしい……。

「さて、私たちはもう今日のところは気が済んだけれど、カティはまだしたいことがあるかしら? せっかく百貨店に来たんだもの。してみたいことがあるなら言ってみて」

 わたしの衣類を好きに選べてご満悦の夫人は、そう提案してくれた。
 言われてみて、そういえばこういうところに来たら行ってみたい場所があるのだと思いだした。
 これまでは聞いたことがあっても、決して行くことができなかった場所だ。きっと就職して安定した収入を得るまで、来ようとも思えなかったところだ。

「えっと……喫茶店に行ってみたいです。おいしいケーキやアイスクリームがあるというので」
「いいわよ! 行きましょ! いっくらでも食べたらいいわ!」
「いいねいいね! ちょうど喉が渇いたし甘いものもほしかったし」

 喫茶店に行ったことがないと言ったら驚かれるんじゃないかと思ったけれど、二人はなぜかすごく嬉しそうにしてわたしの手を引いていってくれた。
 フロアを仕切って存在している喫茶店は、入り口からして格調高くて、きっとひとりでは入れなかったと思う。でも、なれた様子の夫人のアンドレアがいてくれたから、わたしもふたりに倣って堂々としていることができた。

「何でも好きなものを頼んでね。カティってあんまり何かを食べたがるような印象がなかったから、こうして食べたいものを言ってもらえると嬉しいわ」

 席についてメニューを見ながら夫人に言われて、そういえばそうだなと思った。
 食べたいものがないというより、食への関心自体が薄かったのだ。お腹に入れば何でもいいし、もっというなら命をつなげたら何でもいいと考えていたところがある。
 
「どうしよう……フルーツタルトも気になるし、アイスクリーム三種盛りも気になる」
「じゃあ、両方頼んだらいいよ。残してもいいし、私と半分ずつ食べてもいいし」
「いいの?」
「いいのいいの。文通してる子がさ、友達とお店に来たらそうやって半分こしてるって書いてて、ちょっとやってみたかったんだよね」
「じゃあ、頼んじゃおうかな」

 食べられる量には限りがあって、でもいろいろ気になるものがあって困っていたけれど、アンドレアが素敵な提案をしてくれた。
 そういえば、わたしは友達がいなかったからしたことがなかったけれど、女の子は半分こが好きだ。
 でもそれはきっと庶民の文化で、一応はいいところのお嬢様のアンドレアには縁がなかったことなのだろう。
 だから、気になるものをいくつか頼んでそれを半分ずつにするというのは、わたしにとってもアンドレアにとっても初めての経験で楽しかった。
 それに、こういうお店で食べるこだわりの甘味は、すっごく見た目がキラキラで可愛くておいしかった。

「今日はとても楽しかったわね。帰る前にお化粧直しに行ってくるわ」
「私も!」

 喫茶店を出てあとは馬車に乗って帰るだけという段階になって、夫人とアンドレアが化粧室に行くと言い出した。
 わたしは特に行きたくなかったし、これはいいチャンスだと気がついた。

「だったら、わたしは待ってます。このお店の内装がすごく素敵で気になっていたので、待っている間にじっくり見ておきます」
「じゃあ、見て回っていていいわよ。でも、ちゃんと化粧室の前まで戻ってきてね」
「はい!」

 夫人に許可を得たことで、わたしは堂々と室内の装飾を見てまわることができるようになった。
 柱は古代の神殿を思わせるような彫刻が施されていて、よく見ていくと天井を支える部分のレリーフが一本ずつ違うのがわかる。
 天井には見事なシャンデリアがいくつもさげられていて、その灯りを受けて輝くようにと、周辺には特殊な塗料で模様が描かれている。
 立ち止まることがなければじっくり見ることができない部分を見ることができて、わたしはすごく満足した。
 でも、そのせいで自分がすっかり隙だらけになっていることを失念していた。

「お嬢ちゃん、ちょっといいかな」
「え? ……うっ」

 化粧室の前まで戻ろうとした途中で、知らない男の声でそう呼びかけられた。
 振り返ろうとした瞬間、背後から首の後ろを殴られてしまった。
 助けを呼ばなくちゃ――そう思うのに、猛烈な痛みに声が出なくて、わたしはそのまま意識を手放してしまった。