パーティーが終わって屋敷に帰り着いてからは、またいつもの生活が戻ってきた。
 マティウスにはっきりと想いを告げられたからといって、特に変化はない。相変わらず熱視線を向けてくるし、使用人の中でわたしに対してだけ心を許している様子ではあるけれど、わたしのほうに変化がないから進みようもない。
 シャンデリアの下で見たマティウスの美顔にやられそうにはなったけれど、無邪気に恋をできるほどわたしは純粋ではないのだ。誰かに好かれるというくすぐったい感覚は、確かに悪くないけれど、ただそれだけ。
 この感覚に溺れてみたいだとか深く味わってみたいという気にはなれなかった。

 変わったことと言えば、アンドレとはかなり仲良くなった。これまで同年代の友達というものがいなかったわたしだけれど、彼女とはどうやら気が合うらしい。
 パーティーに一緒に行ったことで、使用人と客人という奇妙な線引きがなくなって、ただの同年代の女の子同士という気安さが生まれたのだ。本来ならアンドレのほうが良家のお嬢さんでわたしが雇われる身という関係だけれど、そういったことを意識させないくらいアンドレは隔てのない人だった。
 日々の些細なことを話し合う相手としてはわたしたちはとても相性が良い。彼女は服のこと以外では決して自分の考えを押し付けないし、無理やり共感を求めたりしない。そういったところが一緒にいて居心地が良かった。



「カティ、お茶にしない?」

 ノックの音と共に、アンドレの声がする。ちょうど休憩にしたいと思っていたわたしは、返事をするより先にドアを開けた。

「お邪魔じゃなかった?」
「大丈夫。明日の訓練プランを大体練り終えたから、ちょっと休みたいなって思ってたの」
「熱心だね。ここまでしてもらったら、マティウスは新学期からは良い成績残してくれないとね」

 茶器のセッティングをしてくれながら、アンドレはわたしが読んでいた魔術の教科書に目をやった。座学は自分で努力してもらうとして、問題となっている実技を中心に残りの期間はマティウスを鍛えていくことに決めたのだ。
 ここ最近は朝食のあとから昼過ぎまでマティウスと魔術の訓練をして、昼からは次の日の訓練内容を考えながら自分の勉強をしている。マティウスの戦闘心を引き出すにはどういった攻撃をしかければいいのかとか、どういう魔術を仕込んでおけばマティウスが今後困らずにすむのかということを考えるのは、かなり勉強になる。

「カティは卒業後どうするつもりなの?」
「どうするって、就職? それなら、お金が良いところがいいな。特に希望する業種はないし」
「お金かぁ。それならマティウスと結婚すればいいのに。永久就職、みたいな?」
「なっ……!」

 アンドレの突拍子もない発言に、わたしは危うくお茶を吹き出してしまうところだった。顔を見たら別段冗談を言っているというわけでもなくて、反応に困ってしまう。

「いやいや、ないから」
「えー? マティウスはダメ? あの子はカティのことすごく好きでしょ?」
「いや……マティウスさまがダメとかじゃなくて、わたしは結婚するつもりはないの。ずっとひとりで生きてひとりで死んでいくつもりだから、そのためにもガッツリお金は欲しいなって」
「結婚、しないんだ。まぁ、結婚が永久就職って時代でもなくなったのはわかるけど。それこそ、貴族の女の人じゃあるまいしね」
「そうそう。これからは女も賢くなくっちゃね」

 結婚しない決意は幼いときからしていたけれど、そのことを人に話したのは初めてだ。なぜなら、それが異端な考え方だということは理解していたから。もし話せば、頭ごなしに否定する人もいることがわかっていたから。
 でも、アンドレはそれをせずにいてくれた。ひとつの意見として受け止めてくれるその姿勢が、すごくありがたい。

「結婚しないっていうのはいいけど、ひとりで生きてひとりで死んでいくって言うのはやめてよ。恋はしなくても友達はいるでしょ? 私は今後もカティと仲良くしたいって思ってるんだから、少なくともひとりじゃないわ」
「そうだね。ありがとう」

 屋敷にいる間は仕事中だから男装をしているけれど、二人でこうしているときはアンドレは男の子になりきるのをやめる。だから、こうして手を握られたり見つめられたりしても、女の子の友達なのだなぁと思う。
 マティウスのときに感じたドキドキはないのだということに、わたしは気がついてしまった。

「カティ、変な顔してるけど、どうかした?」

 少しぼぉーっとしてしまっていたらしく、アンドレが目の前で手をブンブンとさせた。慌てて意識を戻したけれど、一瞬脳裏にマティウスを思い出してしまっていたことが何だかすごく恥ずかしい。

「いや、アンドレは男装しているとすごく格好良いんだけど、それでもドキドキはしないんだなって思って」
「えー何それ。私はこれでもこの前のパーティーで随分とファンができたんだよ?」

 正直に考えていたことを打ち明けると、アンドレは可愛らしく唇を尖らせて拗ねてみせた。確かにアンドレはあのパーティーで女の子たちの心をガッチリと掴み、何人かの子たちとは文通もしているらしい。女の子たちの目的はわからないけれど、アンドレは学院のファッション情報をいち早く掴めると喜んでいる。

「さてさて。羽を伸ばせるのはこのくらいかな」

 最後のお茶菓子をパクリと口に入れてアンドレが立ち上がった。

「もう行くの?」
「うん。近々旦那様が大きな商談があるとかで、その関係の晩餐会がこの屋敷であるの。だから打ち合わせとか手配とかでしばらく忙しくなるはずだから。何でも、新しい事業への出資だとかで旦那様も張り切ってるからね」
「そうなんだ」

 立ち上がったアンドレはさっきまでの寛いだ様子から一変して仕事中の顔になっていた。こういう姿を見ると、立派に下僕をやっているのだなと感心する。

「カティもドレスの準備とかしておいたら?」
「わたしはいいよ。それより人手が足りないなら手伝うからってセバスティアンさんに伝えておいて」
「カティのメイド姿? やった! 伝えとく」

 わたしはただ手伝うと言っただけなのに、アンドレはどのお仕着せを着せようかと考えながら楽しそうに部屋を出て行ってしまった。前言撤回だ。アンドレはもう少し仕事に集中したほうがいい。

 大きな商談だなんて、一体どんなことをするのだろうか。
 せっかく貿易商家として名高いエッフェンベルグ家に働きに来たのに、わたしは氏の仕事を全く知ることができていない。貿易に携わることはきっとないだろうけれど、後学のためにどのような仕事なのか知っておきたいのだ。
 だから、晩餐会に参加するのは嫌だけれど、給仕などをする立場でならぜひその場にいたいと思っている。

「メイドか……」

 わたしはエプロンドレスのいかにもなお仕着せ姿の自分を想像して、ちょっぴりげんなりした。