パーティー開演の時間になると、盛大に音楽が奏でられ、自然と気持ちが明るくなった。
 それはマティウスも同じだったらしく、踊りには行かないまでもダンスをしている人たちを眺めたり、振舞われる料理を楽しんだりしていた。
 アンドレは宣言通り女の子にダンスを申し込んでは、慣れた足取りでリードして見事なダンスを披露して見せた。こういうときのために男性側として踊る練習までしていたなんて、彼女の男装にかける熱意には驚かされる。

 会場を取り仕切っていたミセス・ブルーメは、わたしの姿を見つけるとすごく喜んでくれた。わたしはこれまで彼女の手伝いをするという名目で、パーティーに参加してもずっと目立たない格好で裏方に徹していた。そのわたしが初めてきちんとドレスを着て参加しているのは、彼女の親心的なものをひどく刺激したらしく、しばらく離してもらえなかった。
 こんなふうに抱きしめて窒息死させられかけるのはかなわないから、パーティーと名のつくものにはきちんと参加しようと決意して、わたしはミセス・ブルーメの腕から逃れた。
 そして急いでマティウスのそばに戻ろうと会場を見回すと、誰かに絡まれている彼の姿が目に入った。

「マティウスさま、飲み物をお持ちしましたよ」

 会話にさりげなく入ろうと飲み物片手に登場すると、マティウスはかなり不機嫌な顔で相手と対峙していた。相手は、わたしに気づくと下卑た笑みを浮かべる。

「マティウス、これがお前が今仕込んでる女か。……貧相だな。ちゃんと子供は産めるのか? まぁ、産めなければまた養子をもらえばいいもんなぁ」
「お前……!」

 わたしの腰に手を回し指先で撫で回しながら相手の男は言った。その言葉にマティウスが激しく反応したのを見て、これまでどんな会話がなされていたのか大体想像がついた。

「お、また殴るのか? いいぞ、殴れ殴れ。停学の次は何だろうな?」

 拳を握りしめて耐えるマティウスを男が煽る。その様子と腰に回された手があまりに不愉快で、わたしは男の足をヒールで踏みつけてやった。

「痛っ! 何するんだ!」
「それはこっちのセリフだ。お前、タダで触ってるんじゃねぇよ」

 距離を取って睨みつけてやると、男はまた下品な笑みを浮かべた。徹底的に自分が有利だと思っているらしい。ふざけた男だ。身なりからして貴族のご子息らしい。このパーティーに参加して貴族風吹かせたいだなんて、程度が知れるけれど。

「ちゃんとエッフェンベルグ家の跡取りが産める体なのか確かめてやっただけだ。……なぁ? 何せエッフェンベルグ家を継いだお前の養母は子供が産めない……じゃなかったか。養父が種なしだったんだっけか? とにかく、せっかく養子にもらったお前まで子供ができなかったら大変だものなぁ」

 すごく面白い話でもしているかのように、男は長い長い高笑いをする。
 その様子を見て、わたしは理解した。
 マティウスが殴って停学になったのは、この男が相手だったのだと。
 そして、理由は両親を下品な話題で馬鹿にされたからなのだと。
 怒るのはもっともだ。殴るのも理解できる。だからこそ、わたしはマティウスが拳を振り上げなくても良いよう前へ出た。

「……あんた、随分偉そうね。もし腰から粗末なもんぶら下げてるからって威張ってるっていうんなら、そのつまらない誇りをちょん切ってやろうか?」

 マティウスの手前あまり下品な言葉は使えないけれど、相手にも伝わるよう最大限配慮して威嚇してやる。低い低い、よそ行きをかなぐり捨てたお行儀の悪い声で。
 男はこう言った脅しに弱いのだ。特に、男ということを権威のひとつとでも勘違いしているようなタイプは。予想通り、この男も一瞬怯んだ顔をして少し内股になった。

「や、やれるもんならやってみろよ」
「誰に向かって言ってんの? わたしがこれまで戦闘訓練のときに何人貴族や金持ちのボンボン潰してきたと思ってんだ? 学年跨いだ訓練のときにお前のこと見つけたら真っ先に潰してやるからな!」

 この男も貴族の端くれなら、戦闘訓練における自分の立ち位置くらい理解しているだろう。ご子息さまたちは、的だ。日頃こうして幅をきかせたがるようなタイプは真っ先にやられるから、戦闘訓練(・・・・)という単語だけでひやっとなるに違いない。

「……いや、まぁ女として生きるのも悪くないけど、それは勘弁してほしいな」
「あら、誰が女にするって言った? それにわたしは破壊は得意でも、あいにく生物魔術のほうには詳しくないから、ちょん切るだけで性別を変えてやることはできないよ?」
「……」

 最初は威勢の良かった男も、わたしが両手でチョッキンチョッキンという仕草を見せつけながら脅し続けてやると最後には黙った。……まぁ、実際には脅しでも何でもなくて本音だから気迫が伝わったのだろう。わたしは男というだけで威張っているような奴は去勢してやりたいと常々思っているから。

「……マティウス、お前は随分と下品な女を連れているんだな。まぁ、お前にはお似合いだけど」
「カティは下品じゃない。強いんだ」

 捨て台詞を吐いて立ち去る男に、マティウスもわたしと一緒になってチョッキンチョッキンという仕草をしていた。二人にチョッキンチョッキンされたのがよほど嫌だったのか、男は悔しそうな顔をして足早に去っていった。

「マティウスさまが人を殴るなんてって不思議だったんですけど、あれなら殴りたくもなりますね」
「だろ? ……でも、母上たちには」
「わかってますよ。言いません。……言えませんよ」

 不安そうに見つめるマティウスにわたしは頷いてみせた。言うわけないし、言えるわけがない。絶対に触れてはいけないデリケートな問題だ。
 それをあの男は、マティウスを馬鹿にするためだけに口にしたのだ。マティウスがあいつを殴っても仕方がない。

「マティウスさまって、別に何も問題なかったじゃないですか……」

 理由がわかってしまえば、すごく納得がいくことだった。マティウスが喧嘩っ早いわけではなかったのだ。
 男性が苦手なのも少しずつ克服できているようだし、夜もそのうちひとりで眠れるようになるだろう。魔術も、やる気さえ出せば何とかなる。……わたしが大金をもらってやるような仕事は、最初からなかったのだ。そう考えると、何だか悪い気がする。

「カティが来てくれたから全部うまくいったんだ」

 わたしの心の内を読んだのか、マティウスが心配そうな顔で見つめていた。そんな顔をされても困るのに。
 わたしとマティウスとの間に、お金以上の繋がりなどないのだから。

「大丈夫ですよ。前金もいただいてることですし、きっちり期間内は仕事しますから」

 持って来ていたグラスを手渡しながら言うと、さらにマティウスは悲しそうな顔になる。
 二度と会わないと言っているわけではないのに。学院内で顔を合わせれば挨拶くらいするだろうし、マティウスから話しかけてくれば会話くらいする。
 それに、これからマティウスはきちんと社交場にも顔を出すようになれば、たくさんの女性と知り合うだろう。そうすればそういった出会いの中から、相応しい女性を選べばいい。エッフェンベルグ家の繁栄に繋がるような、ついでにマティウスも幸せになれるような、そんな女性を。
 マティウスはほんの気の迷いで今はわたしに執着しているけれど、わたし相手では何のメリットもないことに気が付くべきだ。
 恋は幻想だし、結婚は戦略だ。利益のある相手とするの正解なのだから、それはわたしではないのは誰でもわかる。

「雇い主と使用人という繋がり以上のものが欲しいのだが……それをカティに求めてはいけないだろうか?」

 切なげな目で、マティウスが訴えかけてくる。わたしが年相応に夢見る部分があれば、きっとこの眼差しに落ちていただろうけれど……わたしが信じているのはお金。ただそれだけだ。

「わたしはお金が欲しいだけです。だから、マティウスさまと心を通わせることはありませんよ。同じ学院に通う者としてなら、親しくすることもできるでしょうけど」

 努めて、冷たく言い放つ。優しく言ってもごまかしても、傷つけることには変わりはないのだから。

「……そうか。なら、踊ってくれないか? そのくらい叶えてくれたっていいだろう?」
「……わかりました」

 跪いて、マティウスはわたしの手を取った。そして、懇願するような目で見つめてくる。
 本当ならこの手を振りほどくべきなのにそれができなくて、わたしは仕方なく頷いた。
 これから先も、パーティーに参加したとしてもわたしは踊らないし、そもそも誘われもしない。だから、人生に一度くらい踊ってみてもいいかなと思ったのだ。
 マティウスは意外なことに踊り慣れているのか、初めてのわたしをリードしても覚束ないところは少しもなかった。だからわたしはただマティウスに体を預けていればよかった。
 ホールの中央でクルクルと回っていると、天井のシャンデリアが輝いているのがよくわかった。この無駄に豪華な照明は、下でダンスを踊る者がいるときに真価を発揮するものらしい。
 キラキラと降り注ぐ光の下で見るマティウスは、いつもにも増して端正だった。にこやかにわたしを見つめるその瞳にはまるで星が浮かんでいるみたい。

「カティ、私は君が好きだ」

 シャンデリアの光が降り注ぐ中、いつになく真剣な顔をしてマティウスが言った。
 反則だ。こんな場所で、こんなシチュエーションで……幻を見ても良い気がしてしまう。
 でも、わたしは目を伏せて首を振った。頷くわけにはいかないのだ。
 わたしは現実だけを見て生きると決めたのだから。