「これは……?」

 差し出された乗馬ズボンやキュロットを手に、わたしは眠い頭をフル回転させる。でも、意図が全くわからない。

 今朝は、静かだけれどしつこいノックの音に起こされた。ドアを開けてみれば、そこにいたのは例の下僕くんで、微笑みを浮かべて部屋に入り込んできた。
 そして、いきなりズボンを差し出されたというわけである。

「私のコレクションです。カティさまが同好の志とわかったら、いてもたってもいられなくなって」
「同好の志?」
「はい! カティさまも、こういった装いがお好きなんでしょう?」
「?」

 説明を求めても、いまいち要領を得ない。ただただその綺麗な顔に笑みを浮かべている。

「カティさまのお洗濯物の中にキュロットがあったので、確信したんです! カティさまも男装がお好きなんだと」
「だんそう……?」

 そんなにズボンが好きなのか。でも男の子だったらそれは別に趣味とは言わないでしょ、などと思っていたら、聞き捨てならない言葉が飛び出してきた。

「はい、男装。あ、まだ名乗っていませんでしたね。私、アンドレアと申します。奥様たちはアンドレと呼んでくださっていますが」
「ん?」
「私、女ですよ」
「……ん?」

 一気に情報が解禁され、視覚と聴覚がパニックを起こしそうだった。
 ダメ押しでアンドレアは自分の胸元へわたしの手を持っていく。そこには、控えめではあるけれど柔らかな膨らみがあった。
 初めて見たときから、中性的な子だなとは思っていたけれど、まさか女の子だとは思わなかった。真実を知った今でも、やっぱりカッコイイ男の子にしか見えない。

「これ、良かったら着てください。きっと似合いますよ」
「あ、ありがとう。アンドレ……ア?」
「アンドレでいいです。奥様も同好の志なんで、喜びますよ」

 わたしにズボンとキュロットを押し付けて満足したのか、アンドレはさっそうと部屋を出て行った。
 なかなか朝から衝撃的な出来事で、わたしはしばらく呆然としていた。




 そして朝食のあと。
 何となく予想していたことではあるけれど、わたしはまたサロンに連れて来られていた。夫人に「今日はカティを秘密の会にご招待するわ」と言われたのだ。サロンでやるなら秘密も何もないでしょと言いたい。

「カティもあの魔術学院に通っているから、もしかしたらとは思っていたんだけど、あなたもやっぱりヘンリエッテの影響を受けた子なのね」

 夫人は、サロンに運び込ませたたくさんの洋服を前にうっとりとした様子だ。
 乗馬服だけではなく、やたら裾の短いスカートやピタッとしたズボンなど、あまり見慣れないものばかり。

「ヘンリエッテって?」
「あら、カティさまはご存じないんですか? 王都のファッションリーダーにして美のミューズ。魔術に美容の観点からアプローチしたという変わった方なんですけど、彼女の作るお洋服も美容グッズも女の子たちの憧れの的なんです」
「男装に興味があるのはヘンリエッテの影響かと思ったのに、違ったのね」
「それなら、ご説明いたします」

 わけがわからないわたしに、アンドレはそのヘンリエッテがいかにしてファッション革命を起こしたかを語ってくれた。
 かなり複雑かつ長い話だったのだけれど、要約するとヘンリエッテの友人であり魔術学院の伝説的才媛エルネスタが異世界に通じる扉を開き、その異世界の刺激的なファッションをヘンリエッテは王都の人々に広めている、ということらしい。

 そのエルネスタという人の話なら聞いたことがあった。
 彼氏欲しさに異世界から男を召喚して、その顛末を記した論文がウケて今は北部の魔術学院で研究室を持つことができているという噂だ。でも、アンドレの話を聞いてわかったけれど、どうやらずいぶん尾ひれがついていたらしい。優秀な人というのはやっかみで色々言われるから大変だ。

「この、変わった服を、そのヘンリエッテという人は着ているんですね……」

 わたしは、丈が短すぎて最早動きやすいを通り越して逆に動きにくそうなズボンを手にして、履いてもいないのに脚が寒くなったような錯覚に陥っていた。

「そうなの。これを着ようと思った勇気が、やっぱりすごいと思うのよ」
「その勇気に感銘を受けて、私も『自由でいいんだ!』って気づけたんです」

 二人はヘンリエッテにかなり心酔しているようだから、下手なことは言えない。それに、その人の働きかけによって女性の動きやすい服装が増えるなら大歓迎だ。

「私、別に女に生まれたことに不満はないんですけど、男性受けを一番の目的としたファッションとか『女性らしさ』みたいなものに嫌気がさしていたんです。小さな頃からふりふりしたものより乗馬服とかのほうが好きだったんですけど、年頃になってドレスを着ることや女らしさを求められることが増えて……大爆発して伯母さまに泣きついたんです」
「可愛い姪が窮屈な思いをしているのはかわいそうだと思ってうちへ呼んだのよ。それにこの子の男装姿はカッコイイから、家に置いたら素敵かなって」
「……伯母? 姪?」
「そうなの。アンドレアは私の妹の娘なのよ」
「……そうだったんですか」

 男装への熱い思いを語ると見せかけてさらりと重大発表をされて、わたしはそう答えるのがやっとだった。
 朝から一体何だっていうのだろう。
 イケメン下僕だと思っていたアンドレは実はアンドレアで、しかも夫人の姪だなんて。
 まだこの屋敷に来て三日しか経っていないからわからないことだらけとはいえ、いきなり色々知らされても混乱してしまう。

「さぁ、そんなことよりカティの着替えを手伝いましょう。小柄な分、私たちが着られないような服も着られるでしょうからいいわねぇ」
「ああ、腕が鳴ります!」

 結構重大なことを『そんなこと』で流した二人は、思い思いに服を手にしてわたしに迫りくる。今さら、「わたしはただ動きやすい格好が好きなだけなんです」なんて言えそうにない。

(ここはおとなしくして、嵐が過ぎ去るのを待とう)

 わたしはそう考えて、されるがままに次々と洋服を着替えていった。
 早く二人の気が済んで解放されたいのだ。
 朝食の席で、夫人が今日もわたしを独り占めすると聞いて、マティウスは少し拗ねていた。それが気になるし、魔術の稽古もつけてやりたいから、そのためにはここを切り抜けなければならない。




「何だか天気が悪くなりそうですね」

 着せ替え人形に疲れたわたしは、窓際の椅子に腰掛けて少しの間休んでいた。
 すると、急に外が薄暗くなったのがわかり、ポツリとそう口にした。
 その呟きを聞いたのか、さっきまで洋服選びに熱中していた夫人とアンドレが、弾かれたように顔をあげた。さっきまでののんびりとした雰囲気とは打って変わって、二人の間に緊張が走るのがわかった。

「マティウスは?」
「お部屋を見てきます!」

 落ち着かなくなった夫人を安心させるためか、アンドレはサロンを飛び出していった。
 けれど、それと入れ違いでセバスティアンが駆け込んでくる。

「坊っちゃまは? ……ここにもいらっしゃらないのですか……」

 ずっと走り回っていたのだろう。息を切らして今にも倒れこみそうになっていた。
 ふらつく体を支えて、椅子に座らせようするけれど、セバスティアンは頑なにそれを拒否する。

「あの、どうしてマティウスさまをそんなにして探しているんですか?」

 この状況についていけないわたしは、ひとりわけがわからずにいた。
 そんなわたしに、疲れきった様子のセバスティアンが懇願するように言った。

「カティさま、坊っちゃまを見つけて差し上げてください。坊っちゃまは、雷が……嵐がダメなのです。嵐が来ると人が変わったようになられて……怯えて近くにある物も人も傷つけて手がつけられなくなるのです」
「お願いカティ。あの子がいそうな場所に心当たりはない?」

 夫人にまで縋られて、わたしは何が何だかわからなくなっていた。
 こんなにみんなが慌てるということは、マティウスの怯えようはそんなにひどいのだろうか。

「ひとつ、心当たりがあるのでそこに行ってきます!」

 いまいち深刻さがわかっていないながらも、わたしはマティウスがいるかもしれない場所へ走り出した。