依舞稀達二人は本当に愛し合って結婚を決めたわけではない。

お互いに、自分に必要なことを補うための偽装結婚だ。

一度は全てを失う覚悟で遥翔を拒絶したが、彼の熱心さと、偽装工作から始まった関係だからこそ本当の夫婦になろう、と言ってくれた遥翔の言葉に動いた心を信じてみたい。

今ではそんな気持ちになっているのだ。

この、たった一枚の紙切れに不備がなければ、自分達はあっという間に戸籍上夫婦となる。

そう考えると、体に何とも言えない緊張感が走った。

全ての項目を確認し終わると、「こちら受理させていただきます。おめでとうございます」と職員がにっこり微笑み、お祝いの言葉を掛けてくれた。

複雑な気持ちで遥翔を見上げると、初めて見るような自然な微笑みがあった。

対応してくれた職員に「ありがとうございます」とお礼を言うと、遥翔は依舞稀の肩を抱いたまま区役所を後にした。

二人で車に乗り込むと、依舞稀は大きく深い溜め息をついた。

「本当に出しちゃいましたね……」

覚悟していたこととはいえ、いよいよ本当にもう後に引けなくなってしまった。

後悔はしていないが冷静になると、今まではぼんやりとしていた今後のことが急に現実味を帯び、とんでもないことになってしまったんじゃないかという気持ちになった。

借金の肩代りに実家の保持、おまけに遥翔からの好意と、自分にとっては得しかないこの結婚だが、遥翔は本当に自分を選んでよかったのだろうか。

自分と結婚したことを、いつか後悔するときがくるのではないか。

不安になった依舞稀の手を、遥翔は力強く握りしめた。

そして一言。

「今日から宜しくな、桐ケ谷依舞稀さん」

依舞稀は極上の笑顔の遥翔から、思いがけない一言を貰ったのだった。