「うわっ!!」
「──大地?」

 螺旋城(ゼルシェイ)が扉工房を食べてしまったのが、そもそもの発端だ。

 梅が放った黄金の炎に包まれ、大地と深名斗は扉工房から遠く離れた別の場所へと、飛ばされてしまったのである。

 炎が螺旋城に届く瞬間と、螺旋城が透明な扉に届く瞬間と、大地が螺旋城に届く瞬間が重なり、世にもまれな現象が生み出された。


 カチッ!


 黄金の炎に包まれた螺旋城から、深紅の時計が生み出した秒針の音が鳴り響く。

「大地!」

 螺旋城は動きを止め、大地と深名斗は梅の前から完全に姿を消した。












『あなたは螺旋城へ嫁ぎなさい』

 高天原で失脚した実母エナの言葉が決定打となり、全世界を支配する時の神スウと結婚するため、ユナは無理やり嫁がされた。

 神輿の中に座ったユナの頬から、涙がはらはらと零れ落ちる。

 元いた国には好きな人がおり、彼と心から愛し合っていた。

 引き離されたことだけでも辛いのに、会った事の無い誰かと無理やり結婚させられる事にも我慢ならない。

 無事に螺旋城へ到着し、召使が螺旋城門で手続きをしている間、彼女が乗る神輿へと、どこかから声がかかった。

「どうして泣いている」

 ユナが顔を上げると、黄金の装飾で縁取られた銀の軽装束に、肩まで伸ばした艶やかな黒髪を風に揺らす少年が、空中に立っていた。

 ユナはなぜか、背筋がゾッとした。

 あたりを見回すと時がピタリと止まっており、声をかけた美しい少年と神輿の中にいる自分だけが息をして、動いている。

 夫となるはずだという、時の神の力では無いようだ。

 彼は、新しい妻となる自分をめとる準備に、忙しいはずだから。

 時を止める暇など無いはず。

 思わず悲鳴を上げそうになったが、勇気あるユナは少年と会話をする方を選んだ。

「あなたは…………どなたですか?」

 時の神の支配を超える、気の力。

 こんな事が出来るのは、たった一つの存在…………最強神だけなのでは?

「ミナトだ。質問を質問で返すな。お前、どうして泣いている」

 無礼千万な言い方だが、この少年には反論しない方がいいと咄嗟にユナは思った。

「螺旋城の王子と、結婚させられるからです」

「どうしてそれが悲しい? 結婚が嫌なのか」

 ユナはこくりと頷いた。

「会った事の無いどなたかと結婚させられるのは、とても悲しいです」

「会えば、悲しく無くなるかも知れないでは無いか。政略結婚とはそういうものだ」

 深名斗の言葉に、ユナはほほを膨らませる。

「力を利用されるだけだと、知っていても?」

 深名斗は笑い出した。

「利用か。なら逆に、とことん螺旋城を利用してやればよいではないか、お前が」

「…………」

「名は何という」

「ユナと申します」

 再起をかけた彼女の身内にとって、残された道はこの結婚による恩恵だけであり、ユナは身一つを持って新しい世界に飛び込まなければならない。

 深名斗はめそめそと泣き出すユナを興味深そうに見つめ、笑いながら提案した。

「ユナよ、元気を出せ。ここには変わったやつと一緒に来ているから、そいつに命令してお前の結婚式を、ぶち壊してみせてやろう」

「本当ですか?」

 ユナの目は輝いた。

 彼女はのちに、マユランの母となる女性である。

 深名斗はこっそり、彼女の神輿の中に入り込み、螺旋城への潜入を図った。

 時が再び動き出す。

 ユナの時代に飛ばされた深名斗は、こうして妙ないきさつにより、歴史に残る結婚式を意欲的にぶち壊す算段を企て始めた。

 大地に何の断りも無しに。














「螺旋城の肉片が材料か」

 太くて低い男の声が聞こえる。

 ふんわりとした何かの上へと落ちた感覚で、大地はふと目を覚ました。

「…………?」

 ここはどこだろう。

 梅とまたはぐれてしまったようだ。

 あたりを見回して探したが、一緒に飛ばされたはずの深名斗がどこにもいない。

「スム様」

 少し若いと思われる別な男の高い声が、反対の方角から聞こえる。

「今日の結婚式の最後を飾るべく、新しい生き物を作ろうと試みましたが…………」

 この、甘い菓子のような香りは何だろう?

 あたり一面に広がっている。

 泡のように柔らかくて白い何かが邪魔をして、大地は上手く身動きが取れない。

 白い何かの隙間から注意深くあたりを見ると、全身白ずくめの生き物たちが数十体せわしなく、何かの料理を作るために奔走している。

 巨大なテーブルの上で、何かの生地を懸命にこねている者たちがよく見える。

 大地は失敗した菓子の残骸のような白い生地の中に、落ちてしまったようだ。

 生地に覆い尽くされてはいるが所々に穴があり、外が見えるようになっている。

 誰にもばれないように大地はその中で目を凝らし、じっと聞き耳を立てる。

 いくつも並んで作られた生地は、生き物の形をしていた。

 動物型のケーキでも作るのだろうか?

「所詮、螺旋城の肉片で作る生物など、ろくな味はしないだろうな。トニ」

 スムと呼ばれた黒いマントを羽織った男が、白い粘土のような生地をテーブルの上でこね回しているトニと呼ばれた若い男に、話しかけているのが見える。

「はい。まだまだ未完成です。魂などは偽物を合わせて作っております故」

 答えたトニは料理人というよりも、神職者のようないでたちをしており、小さなため息をつきながらこう続けた。

「我らの城は生物の亡骸で覆われており、それらを原材料とすればいくらでも、体を維持するための栄養が満点な生き物は作れます。ですが肝心の、本物の魂がもう底を尽きてしまっており…………」

「手に入らないのか?」

「…………そうですね。もう螺旋城の近辺では決して、手に入らないでしょう」

 その白い粘土のような何かを、答えた男の横に並ぶ複数名の神職者たちが美しい形にし、装飾が施された皿の上に乗せている。

 粘土のような何かは、気力の無い生き物のように見える。

「だからこそ、今日のこの結婚があるのだ。岩時の国からお越しいただくユナ姫様の力に期待するしかない」

「…………たった15の少女にですか」

「もう結婚式は始まっており、姫がご着席あそばされておるのだ、早くしろ!」

「スム様。岩時の地では『光る魂』があまた出土すると聞き及んでおります。螺旋城で採れた本物の魂入りの生き物を出せなければ、我が国の力を誇示出来ませんが、よろしいのですか?」

 トニが、なおもスムに苦言を呈す。

「もう既に我が国は、岩時の属国と化しているのだ。今更体裁を取り繕って何になる」

「魂をこの中に入れて動かして見せなくては、全世界におわす神々に恥をさらすようなものです。螺旋城は今までよりさらに、下等に扱われるのですよ、侍従頭スム様」

 その言葉を聞いた途端、スムの眉間に青筋が立った。

 下等に扱われることほど、我慢のならない事は無い。

「では魂が無い生き物を作り、いかにも魂があるように見せかけながら、皿の上に出すしか無いであろう! 今は螺旋城の存亡がかかっている一大事ぞ! 魂など生み出せ無くても、これからはユナ様がいるのだ。もう、どうにだってなるのだ、トニ」

 スムと呼ばれた男が、二割くらい白髪が混じった髭をさすりながらこう言い放つ。

 やり方が雑過ぎる。

 見ているだけの他者は一瞬騙せたとしても、食後のデザートを口にしたユナには、菓子に本物の魂が入っていない事など易々と伝わってしまう。

 味覚だけは誤魔化せない。

 きっとがっかりなさるだろう。

 神職者トニは、侍従頭スムを睨みつけた。

「……ユナ様はまるで、魂ある生き物を生み出せ無い我が国の、生贄では無いですか。彼女がこの螺旋城で何年正気を保っていられるか、見ものでございますな!」

 トニはユナ姫に、心から同情した。

 この国は万事がこの調子で、狂っている。

 王家も侍従たちも街の人間も全て。

 そして恐ろしい事に、自分達が狂っていることに誰一人として気づいていない。

「我が国は過去に、魂ある生き物を搾取し過ぎたのだ。だから形成が逆転し、岩時が栄華を極めた。無いものは無いのだから、仕方があるまい」

「ですが!」

「黙れ! ものはやりようだ。ユナ様がご納得し、この結婚が上手くいけば、我々は地位と権力と富、そして魂、全てを手に入れられるでは無いか」

 スムの言葉を聞き、付き合っていられないという調子で、トニはため息をついた。

 それを聞いた大地も、脳内を忙しく働かせた。

 こういった国があちこちにあるという噂は、聞いたことがある。

 魂の作り方を盗んで、模倣するだけならまだいい。

 より良き文化がこの国に生まれて根付き、栄えるきっかけにはなるかも知れない。

 だが苦しい実情をばれない様に他国に隠して上手く欺き、貰えるものだけはかすめ取るように搾取し、あとは何もかも放ったらかしで、どうなろうと知った事ではないという戦略は、果たしてどうなのだろう。

 中身など空っぽ。

 結局何も生み出せないまま。

 何も持っていない薄っぺらさを、全世界にただ露呈するだけでは無いか。

 思いがけず時を超えて、螺旋城の奥深くへ潜入したようだ。

 スムの指示により、魂のかわりとなる食材を使って『魂があるように見せかけた菓子』を完成させて運んでゆくトニを、大地は生地の隙間から見守った。

 やがて部屋から誰一人としていなくなったタイミングを見計らって、真っ白なクリーム生地から抜け出して、大地は廊下の方へと走り出した。